第61話 感謝
6月初旬から始まった梅雨シーズンは、7月に入り終わりを迎える。
今年は梅雨入りが早く、梅雨明けも早かった。
ただそのぶん、長く夏の暑い日差しに晒されるわけで、外で活動する運動部にとっては厳しい夏だ。
一昔前ならいざ知らず、今は熱中症が特に怖い。
水分補給だけではとても追いつけず、木陰での適度な休憩が求められる。
「あついねぇ」
「うん、でもここは扇風機もあるし、屋根もあって日陰だから、ちょっとはマシ」
「そうだね。でも、まだ7月に入ったばかりでしょう。それで梅雨明けして、この暑さだから、今年の夏は大変そう」
「だねぇ、まさか、こんなに早く梅雨明けするとは思わなかったよ。水不足にならないのかなぁ」
「ああ、それは怖いね。時々聞くもんね、それ」
いつものように練習場でボールを打ちながら、この夏の暑さを心配する瑠利と陸斗。
頻繁に額の汗を拭きながら、打席に向かうを繰り返す。
「ルリ姉ちゃん、そろそろ水が無くなりそう」
「あ、ほんとだ。事務室へ行って、取ってこようか?」
「ううん、大丈夫。僕が行くから、ルリ姉ちゃんは練習してて」
「そう? じゃあ、私のもお願い」
「わかった」
そうして事務室へ向かう陸斗を眺めながら、瑠利は思う。
「リクくん、背が伸びたなぁ。前はもっと小さかったはずなのに」
その呟きは誰の耳にも届かなかったが、その思いは他の誰もが感じていることだった。
陸斗が中学生になって、まだ三か月。
それでも、目に見えて身長は伸びていた。
これまで小学四年生の平均だった140センチが、145センチと小学五年生くらいにまで成長。
この分では一年で10センチ以上は伸びそうだ。
ただ、それを嬉しく思う反面、寂しくなるのも事実。
可愛いままでいて欲しいが、陸斗のためを思えば順調に成長して欲しいとも思う。
そして、それを一番望んでいるのは、父親である佳斗だ。
「ルリくん、今日は暑いから、無理しちゃダメだよ」
「あ、はい。師匠」
「よろしい。それと、いつも陸斗を見てくれて、ありがとう」
「えっ、あ、いや、こちらこそ、お世話になってます」
「ははは、驚かせてしまったようだね。でも……、最近になってようやくあの子の身体も大きく成長し始めたみたいでね。これまで無理させてたんだろうなって、美里と反省しているところなんだ」
そう言った佳斗は、少し心苦しいといった表情を見せる。
彼の妻、杏沙が亡くなって、そろそろ4年。
これまで息子の成長が遅れていた原因は、自分にあると理解しているだけに、その心は複雑だ。
生きていくためとはいえ、無理を押し通してきた結果が、大事な息子の成長を妨げることに繋がった。
それではダメだと気づき、練習場を閉めようとした時に現れたのが瑠利である。
「ルリくん、キミには本当に感謝しているんだ」
「あ、いえ、こちらこそ弟子にしていただけて、感謝していますよ」
「ふふふ、そうか……」
そう言った佳斗の気持ちは、瑠利にはわからない。
でも、嫌な気分ではなかった。
「それよりも、師匠。少しスイングを見てくださいよ」
「ああ、もちろん構わないよ」
「ありがとうございます。それでですね―――――――――」
そうしてレッスンが始まり少し経った頃、事務室で美里に掴まっていた陸斗が、両手にペットボトルの水を持って戻ってきた。
「あれ、お父さん。ルリ姉ちゃんに教えてるの?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕にも教えて。最近、ぜんぜん勝てないんだ」
「ははは、そうか。それは不公平だね。よし、絶対に勝てる秘策を教えてあげよう」
「ほんと!」
「もちろん」
「やったー」
「ああ……、お喜びのところ申し訳ないのですが、それを私の前でやっていいのですか?」
「「あ……」」
「「「クッ、アハハハハッ」」」
そんな、楽し気な笑い声のする、日曜日の午後だった。
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