オモイカネ ~ハイスペッカーが奏でる権謀術数駁論~

琥珀 大和

第1話

寒くて目が覚めた。


ぼんやりとしていた視点が定まると、砂利の様な石で覆われた地面が見えてくる。


どれくらいここで寝ていたのかはわからない。


うつ伏せの体勢で、地面に接している部分に不快感があった。


視界にある砂利の上で寝ているのだからあたりまえのことだろう。


ゆっくりと寝返りをうつ。


足がなぜだか重たい。


首だけ動かしてそちらを見ると、膝から先が水の中にあった。


体を頭の方向にずり上げて足を水から出す。ひどく体が重たかった。


ゆったりとした流れの川が見える。


少し混乱していたのか、せせらぎの音がようやく耳に届いてきた。


上体を起こして自分の体に視線を向けてみる。


ケガや服の損傷などはない。


ただ、水に使っていた部分が貼りつき、体温が下がっているのも自覚できた。


ポケットの中をまさぐり所持品をチェックする。


ポケットティッシュにハンカチ、それにキーホルダー。腕にはスマートウォッチをつけている。濡れているのは膝下だけで持ち物は無事だ。


しかし、肝心のスマホは持っていなかった。


まだ頭が混乱しているのか、なぜここにいるのかがわからない。そもそもが見たことのない景色なのだ。


冷たい風が肌を打った。


冬ではなく、晩秋に吹くような風だ。


ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。


近場は河原のようになっているため、砂利と砂しか見あたらない。その向こうにあるのは深い緑と木々の群れだ。


所々にある砂場に近づくと小さな足跡が残っていた。鹿か何かが水を飲みに来ているのかもしれない。


危険な動物の足跡はなさそうだ。


今の状況を把握しているわけではないが、とりあえず濡れた体を乾かすことにした。


不快感もあるし、体が冷えている。


適当に辺りを歩き回り、それなりに乾いていそうな小枝を拾い集めた。


十分に乾燥しているわけではないが、焚き火さえできれば問題ない。


少し太めの木も落ちているが長過ぎて使えない。それに水分量が多いと異臭を放ち、大量の煙が出る。


薪の理想的な含水率は20〜30%といったところだが、拾い集めた木々にそれを望むのは無理な話だ。とりあえず暖をとり、濡れた衣服を乾かせる程度のものでよかった。


枯れ草の中央にティッシュペーパーを置き、小枝を空気が通るように組み上げる。


本格的なキャンパーではないが、この程度の知識は持ち合わせていた。


キーホルダー代わりに使用しているアーミーナイフを取り出す。


このアーミーナイフは別名で十徳ナイフや万能ナイフとも呼ばれている。スイスの有名メーカーのもので、ヨーロッパを訪れた際に自身への土産として購入したものだ。刃物を日本に持ち込む際にはいろいろと規制があるが、銃刀法に違反しないものであれば預かり手荷物に入れれば問題ない。もちろん、日本の銃刀法に抵触しないように刃渡りは規定値内のものをチョイスしている。


このアーミーナイフの機能のひとつであるコルク抜きに、俺は火付けができるアダプターを付けていた。


ファイヤースターター。


いわゆる火付け石である。


メタルマッチとも呼ばれる純正品で、普段は使わないコルク抜きの螺旋らせんに捩じ込める。キャンプやバーベキューの時にしか使わないが、今回のようなケースにはありがたい機能といえるだろう。


ただ、本体に一体化している着火剤は一度しか使えない。今使えば、自宅に戻って予備を確保しなければ次はないのである。だから着火剤代わりにティッシュペーパーを使う。


早く暖をとり、体を乾かしたかった。不本意だが、最悪の場合はここで一夜を過ごす可能性があるのだ。このままの状態で風邪をひくわけにはいかない。


コルク抜きを立て、ファイヤースターターを回して抜き取る。マグネシウムでできた本体をナイフで勢いよく削って着火させた。


ティッシュペーパーに一発で火がつき、やがて小枝に燃え移る。小枝から水分が出てくるが、そのまま問題なく燃え広がった。


枯れ木や枯葉を追加して、息を吹きかけ火の勢いを増していく。


しばらくして体が温まり、ようやく物事を分析する状態に至った。


まずはこの状況を把握し、これからのことを考えなければならない。


なぜここにいるのかよりも、どうやって家に帰るかを模索する方が先決だ。


理解が及ばないことをあれこれ考えても混乱しか生まない。


俺は極端な現実主義者なため、理解よりも先に結果を重視してそのための手順を模索する。




焚き火をしている河原を中心に周囲を散策した。


半径2キロメートルを指標に動いてみたが、人が通るような道は見つからない。獣道が何ヶ所かに見つかり、その幅を見て眉をひそめてしまった。


山奥にしろ、日本国内では大型の生物が活動している場所はそう多くはない。焚き火で暖をとりながら、今の状況が夢や妄想ではないことを実感していた。


夢ではない理由ははっきりとしている。


夢は深い眠りでも浅い眠りでも見ることができる。深い眠りはノンレム睡眠、浅い眠りはレム睡眠と区分されていることは有名だ。


ノンレム睡眠で見る夢は断片的で日常的なものが多い。未来のものではなく、過去の追体験からの派生がほとんどだそうだ。対してレム睡眠は非現実的で起きてからも記憶に残る夢である。


まず、現在いる場所の記憶がない。となると、非現実的としてレム睡眠中の夢である可能性が高くなる。しかし、水に浸かり寒さを感じたことは現実である。そして、ノンレムとレムを合わせた睡眠サイクルは1サイクル90〜120分だが、その時間は既に過ぎていた。


時計に視線をやって失念していることに気がついた。睡眠トラッキング機能を表示すれば一目瞭然だったのだ。


睡眠トラッキング機能は心拍数の変化や体の動き、呼吸の回数や血中酸素濃度を計測することで睡眠中か否かを表示する。結果は思った通りのものだった。俺の今の状態は非睡眠状態である。


所持しているスマートウォッチの精度は高い。これで夢を見ている可能性はほぼないといってもいいだろう。


それがわかればすぐにやるべきことがあった。


武器の調達だ。


獣道の幅を見る限り、この近辺には猪や熊が生息している可能性がある。


これが現実なら、倒せなくとも一時的にでも相手の動きを制止させ、逃走する手段を講じなければならない。


猪は時速45キロメートル、熊は時速35〜60キロメートルで走ることができる。人はせいぜい時速十数キロメートルでしか走れない。


因みに、世界には八種類の熊が存在する。ここが日本なら北海道でヒグマ、本州と四国の33都道府県でツキノワグマが生息している。まさか、関西在住の俺が北海道に飛ばされたなどとは考えにくいが、ツキノワグマの脅威を受ける可能性はゼロではなかった。


一方、猪は基本的に東北や北海道には生息しない。熊よりは危険度は低いが、100キログラムを超える個体もいるため安心はできなかった。


獣道の幅を見る限り、熊か猪のどちらかは判断がつかない。ツキノワグマは全長110〜130センチメートルで体重は80キログラム程度、猪は平均で全長140センチメートルある。山中に生息する動物では鹿の可能性もあったが、鹿は足が長細いので獣道の幅もそれ相応のものだろう。


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