ファザー・リプレースメント

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ファザー・リプレースメント



 日曜日。大手製薬メーカーの営業として忙しく働く男にとって貴重な休日になるはずだったが、市役所で順番待ちをしているだけで午前が終わりそうだった。自然、男の口からはため息が漏れる。手持無沙汰でやることもないから、男はスマートフォンに届いた一件のメールを開いてその文字列を目で追う。もう何度も読んでいるがいまだにこれが自分宛てだとは信じられなかった。

「142番でお待ちの方ー、どうぞー。142番の方ー」

 カウンターに座る職員のよく通る声にハッとなって、男は慌てて窓口まで向かった。142番と印刷された紙を見せると、愛想よく「おかけになってください」と席を勧められる。男は「ありがとうございます」と小さく言って席についた。正面に座る職員は20代半ばくらいの女性だった。肩口のストレートボブに白のピンタックブラウスという出で立ちで、真面目さのなかに若者特有の確かな溌剌さがにじんでる。男のような中年男性ならまず『当たりを引いた』と内心ほくそ笑むだろうが、だからこそ男はこれから行う手続きが一層億劫になった。男の小さくない自尊心がバツが悪そうにうずくのを感じたが、どうしようもなかった。

「ええっと、ご用件は……と。あっ、メールが来たんですね。QRコード読み取らせていただきますね」

 男がなにか言う前に、開いたままになっていたメール画面を見つけた職員はそれに付随していたコードを慣れた手つきで読み取った。

 数年前に実施された大規模な行政業務のIT化の一環で、マイナンバーと紐づけた個人のメールアドレスに送付された行政からのメールには職員側の作業に必要な情報を全て組み込んだQRコードが付けられるようになった。それにより市役所などは、手続きごとに細分化して窓口を分けていた従来の形態から一括で業務にあたることが可能になり、大幅な効率化を実現した、と改革の立役者である現政権は謳っている。  

 しかし男にしてみれば結局こうしてたまの休みを削って市役所に足を運ばなければいけない以上、細分化されていようが一括だろうが大した違いはないように思えた。きっと次の選挙で交代する新政権が全てオンラインで済むようにしてくれるはずだ──、と男はぼんやりと考えていた。そうやって世の中は上手く変わっていくのだから。

 コードリーダーの接続先であるノートパソコンに必要な手続きの内容が表示される。その文字列を目で追っていた職員の視線がほんの一瞬男に向けられ、すぐに戻された。それだけで男はきゅうと締め付けられたような居心地の悪さを感じる。

「はいはいはい、わかりました。本日のお手続きは『父親交代』でお間違いないですか?」

「ええ、まぁ……」

 男の煮え切らない態度を見て職員の表情が少しだけ訝し気なものに変わった、ような気が男にはした。

「いやね、心当たりがないと言いますか。ほら、僕はこれでも妻と娘、二人を養うために身を粉にして働いてきたんです。娘なんか今年高校三年生だから大学のお金だって準備しないといけないわけだし、結構頑張っていると思っていたんですけどね、僕自身としては」

 誰に責められたわけでもないのに、男の口調は言い訳じみたものになっていた。

「だから、その……、今日お伺いしたのは、恥ずかしい話ですが『父親交代』を断るためでして」

「なるほど、『父親交代』に納得できていない、ということですね?」

 職員の取り繕わない率直な物言いに閉口しながらも、男は曖昧に頷いた。職員は机の上で手を組み、男を安心させるように少し身を乗り出しながら微笑んだ。

「お客様のような方はよくいらっしゃいます」

 男は市役所のなかで『お客様』と呼ばれることに額縁の合ってない絵画を見るような微妙な違和感を覚えたが、わざわざ指摘するのも大袈裟だと思い、「そうなんですか」と相槌を打った。

「親、子ども、兄弟、はてには鳩子まで、家族や親族の関係というのは日常生活に深く溶け込みすぎていて、そんな簡単にホイホイ切り離し、また繋げられるようなものじゃない、と皆さん仰るんです。私もそういった考えはよくわかりますし、皆さま本当にご家族を大切に思っておられるんだ、とその度に実感しています。ただですね、一つだけ申し上げておきたいのですが、『家族交代』は感情論ではなく、AIによる全くの合理性に基づいた判断なんです。つまり交代の要請があった家族はなにかしら問題があって、手を加えなければいずれ社会的な不利益が生まれうる、ということです」

「社会的……、家庭内の問題が社会全体のマイナスになるとでも?」

 男は困惑しながらも「飛躍しすぎでは」と眉をひそめた。しかし職員は大仰に頷いてみせる。

「『個人の不幸は社会の不幸! 個人の幸福は社会の幸福!』ですから。ご存じでしょう?」

 たしか現政権のスローガンだったか……、通勤途中に駅で見かけたなにかの選挙のなにがしかの候補者がそんなようなことを叫んでいたな、と男は思い出した。

「それに、社会的不利益というのもあながち誇張された表現でもないんです。例えば……、なぜ『父親交代』のメールが届いたのか、お客様は心当たりがないと仰いましたね?」

「ええ、そうです。だって至って真面目に働いて家族を養っているんですよ、犯罪にだって生まれてこのかた無縁です。娘が医療系の大学に進みたいというから、二年ほど前に思い切って給料の良い仕事に転職して、それまで以上に大変な思いをしながら頑張っているというのに……。そんな人間に『交代しろ』だなんてやっぱりおかしい」

 ふつふつと不満を湧き上がらせる男に対して、職員は困ったようにノートパソコンへと視線を一度向け、言いづらそうに切り出した。

「失礼を承知でお聞きしますが、お子さんの万引きの件はご存じですか?」

「は?」

 男は目を見開いて、引きつった苦笑いを作った。

「万引きだって? いや、うちの娘が……?」

「はい」

「いや、そんなの全く聞いていないです。娘からも、それに、妻からだって」

 職員は首を横に振る男の反応を見て「やっぱり」と小さくつぶやいた。

「お客様にメールが届いたその日です。お子さん、駅前の書店で万引きしちゃったんですよ、ファッション雑誌一冊。不運なことに──いやむしろ幸運なことにその場で店員に見つかって、捕まって、警察に通報されています」

「そんな馬鹿な」

「嘘ではありません、確固たる事実です。未遂に終わったこと、初犯だったこと、本人に反省の意思があり呼びつけられた奥様が丁寧に謝罪したこと、それらによって店側も納得のうえ簡易送致の手続きのみで済んでますけどね」

 男は困惑していた。なんと反応していいのかもわからず、ただ口をぱくぱくと動かすだけだった。

「この件の原因についてAIは、家族間のコミュニケーション不足だと断定しました。より正確に言うならば、受験勉強の悩みやストレスを両親に打ち明けることができず抱え込んでしまった結果だと。だから『父親交代』が必要なんです」

「ちょ、ちょっと待ってください。万引きの件はよくわかりました、たしかに仕事を詰め過ぎていた僕にも非があるし、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいです。けどそれでなんで『父親交代』なんですか? これから改善していけばいいでしょう、家族なんだから。そんな猶予もなしにいきなり交代なんて……、それはあまりにも性急すぎる」

 男が泡を食ったように反発したが、職員は毅然とした態度を崩さなかった。

「ではむしろお聞きしますが、お客様はメールが届いてからの約一週間でご家族となにか会話をされましたか? 交代要請が来てしまったこと、お子さんの万引きの件、職場や学校での他愛のないこと、どんな話題でも構いません」

「そ、それは、仕事が忙しくて……」

 問われた男はしどろもどろになって答えを濁した。仕事が忙しいのは事実だが、会話もできないほど時間に余裕がないわけではなかった。ただ最近は精神的に穏やかになれず、自然と家族を避けるようになっていた自覚はあった。交代要請が届いてからはなおのこと仕事に明け暮れ、朝早くに家を出て深夜に帰って逃げるように就寝していた。『父親交代』は自分の収入が思うように伸びていないからだと焦り、恥の上塗りになるのが恐ろしくて家族に打ち明けることも出来なかった。同情を示すように少しだけ眉を下げた職員の目を見ていられなくて、男は目を逸らした。

「もちろんAIもいきなり『父親交代』を提案したわけではありません。改善の兆しがあると判断したならそれに沿った合理的なプランを示しているはずです。実際、お子さんの万引きに真摯に対応した奥様は交代の必要がないという判断が下されているわけですし。おそらくもう少し経ったら奥様とお子さんには親睦プログラムとしてグアム旅行があてがわれるでしょう」

「はぁ、そうですか……」

 うなだれる男に、職員は努めて明るい声をあげる。

「そう落ち込まないでください! お客様にとってもこの交代は最善のものになるはずなんですから」

 職員は「こちらをご覧ください」とノートパソコンを軽く持ち上げ、その画面を男のほうへと向けた。そこには形の異なる二つのレーダーチャートが表示されている。

「これらはお客様の総括的社会スコアを示したグラフで、現在の平均値はAマイナスと少し下落傾向にあります。ご家族との親密度の低さ、軽犯罪を犯した子どもへの監督責任問題などが主な原因ですね」

 職員が指さした『親類との良好な関係』という項目は、他と比べて大きく下回った数値になっている。男は神妙な顔をしたまま独り言のようにつぶやく。

「そういえば、タクシーが無料で使えなくなって困ってたんですが、これのせいだったんですね」

「残念なことにタクシーの無償化はスコアA以上の方に限られていますから」

 職員は首肯しつつ、続けてもう一つのグラフへ指を滑らせる。そちらの総合スコアはAプラスと表示されている。

「こちらは量子コンピュータを使ってシミュレートした、お客様が『父親交代』に応じた場合の数値です。もともと経済活動の面においては高い水準だったうえに『親類』の項目が評価対象外になるんですから大幅なスコアアップが期待できます。タクシーが乗り放題になるだけでなく、模範市民という扱いとなり株式投資に対する減税や国による資産の保証、さらにAプラスである期間に応じて国民年金支給額が漸増されるんです。おまけにお客様が受けるストレス値は現在の三分の一ほどに低下、最適なワークライフバランスを実現できるでしょう」

 きっと今以上にほとんどの生活が仕事に置き換わるだけだろうな、と男は内心で自嘲した。それしかやることがないし、それ以外何をしていいのかわからない。

「……僕にもそれなりのメリットがあるとして、残された妻と娘はどうなるんですか?   生活費すら妻のパート収入だけじゃ補いきれないのに、大学の学費が払えるとは到底思えない。どこの馬の骨ともわからない新しい『父親』がそれを支えられる保証があるんですか?」

「ご心配には及びません」

 もうほとんど屈服した男の最後の抵抗も、職員のゆるぎない確信に満ちた笑顔の前に一蹴に付される。

「『父親候補』に登録されている未婚男性のうち四十代後半から五十代前半の方は現在約四万人と、お客様の代わりはたくさんいらっしゃいますので。四万件のパーソナルデータを全てシミュレートにかけ、その中から最善と判断された人物が次の『父親』になります。四万回のシミュレート程度ならものの数秒で完了しますから、お客様のサインさえいただければ即座に決定されるでしょう。お二人の新しい生活は何一つ苦のない、素晴らしいものになると断言します」

「ははっ、それはいい。僕も後腐れなく『父親』をやめられる」

 男はもう笑うしかなかった。それほどまでに完璧で合理的な、だった。

「では、『父親交代』に同意されますね? ここにサインをお願いします」

 男がろくに注意書きも目を通さないまま差し出されたタブレット端末に署名をしていると、年若い職員は控えめに訊ねる。

「なぜ、そんなに苦しそうな顔をなさるんですか? ……『家族交代』はより最善の人生を歩むことができる絶好の機会だというのに、手続きをされる方々のほとんどが今のお客様のような表情を浮かべるんです」

 男は一度ペンを止め、目を丸めながら職員の顔をまじまじと見た。なぜそんな答えのわかりきった質問をするのか疑問に思ったからだった。

「家族だからですよ。いくらうまくいってなくたって、家族なんだから別れるのはつらい。当たり前のことでしょう? たとえそれが」

 署名を終えて吹っ切れたように微笑んだ男は、もう『父親』ではない。



「五年前AIに決定された、赤の他人同士の『家族』だったとしても」


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