反転世界の鬼子の子

三嶋トウカ

第1話


 鬼の存在は、私にとってはただの言い伝えだった。

 それは怖かったり、悲しかったり、愛しかったり。様々な鬼の話があった。

 ――全部、作り物だと思っていた。物語だと思っていた。妄想だと思っていた。


 ――それなのに。


「……お前、もしかして、オニ……か?」

「え……あ……お、鬼……?」


 目の前に立っているソレは、頭から角を生やし、長い爪と口から覗いた牙を光らせながら、私の目の前で私と同じように驚いた顔をしていた――。



 ――数時間前。



「……ほんと、ムカつくんですけど」

「……っ」


 ネガティブな台詞を吐きながらぎこちない笑顔で、如月音奈-きさらぎおとな-は私を見下ろしていた。制服のスカートから伸びた脚は真っ直ぐと床に倒れ込んだ私を踏みつけ、グリグリと抉るように靴底を押し付けてくる。……ように見えて、その脚に実際力は入っていなかった。


 まったく痛くないわけではないが、私は何も言わない。……だって、知っているから。


「あはっ。さっすが音奈ちゃん。えげつなー」

「幼馴染に、よくそんなことできるよねぇ」

「ヤバいよね。マジでウケるんですけど?」

「あ、あっはは……だ、だって、コイツ……きっ、キモいんだもん……!」


 ほんの少し離れた位置で、女子3人が音奈に笑いながらそんな言葉を投げかける。音奈自身は、言い慣れない言葉に頭がついていかないのだろう。声は上擦って、相変わらず笑顔はぎこちない。そう、クスクスと楽しそうに笑うモブ3人に比べたら、音奈は慣れていないのだ。


 ――小学校を卒業するまで、私はいじめられていた。音奈は、そんな私を助けてくれた。1人にならないように、いつも一緒にいてくれた。時には身を挺して庇ってくれた。音奈のおかげで、私は休むことなく学校に通い、無事卒業することができた。

 これは、感謝してもしきれないだろう。


 だから、今度は私が、音奈が守ってくれた東雲秋穂-しののめあきほ-が、音奈を守る番なんだ。


 いじめてきた人たちと同じ学校になるのが嫌で、私は試験を受けていじめてきた人たちとは別の学校へ入学した。私を心配してくれた、音奈と共に。……楽しい学校生活を手に入れるはずだった。

 ――なのに、なのに。

 今度は音奈がいじめられてしまった。私たちのためを思って、親が少しだけ背伸びをしてくれた学校は、100%私たちを歓迎してくれたわけではないようだった。


 音奈の艶々して綺麗だった黒髪は、ブリーチを繰り返してパサパサになり軋んでいる。ミニスカートは苦手だったのに、太腿が露わになっているスカート。耳に空けられたピアスの穴は、いくつになったんだっけ。


「……はーあ。なんか飽きちゃった。ねぇ、ケーキ食べに行こーよ」

「サンセー! 駅前のお店にしない?」

「良いねぇ。ちょっと豪華にいっとく? あ、音奈も行くっしょ?」

「あっ……う、うん……!」

「今日もおごりよろしくー」

「えっ……」

「音奈ちゃん、お金持ちなんだから下々に恵んでよー」

「ほんそれ。……お金ないなら、ソイツから貰えば?」

「……っ……あ、あ……わ、私、お小遣い、貰ったばっかりだから!」

「そーなん? ラッキー」

「さぁすが音奈ちゃん。貰ったばっかってほんっとタイミング良いなぁ」

「うちらのためみたいな? じゃ、よろしくね~」

「……ぅぅ……うん……!」


 いじめられてはいるが、私は守られてもいる。あの時と形は違うが、意味は変わらない。ヘラヘラと作り笑いを浮かべて、音奈は足早に去っていく3人組の後を追いかけようとしていた。遠慮がちにチラリ、と私に目線をやった、その時――


 ゴロゴロゴロゴロ――ドオォォォォンンン――!!


「ひっ……!」


 今までに聞いたこともないような雷に似た音が耳を刺す。そして、ピリピリと電気が走るような身体の痺れが私を襲った。


「うっ……」


 音奈も同じだったのか、顔をしかめている。


「お、おと……」


 音奈の名前を言い切る前に、ブチっと電気が切られたように私の視界は真っ暗になって、ほぼ同時に意識も途絶えていた――。


 ――そして、次に目を覚ました時、私は全く知らない場所にいた。目の前には、件の鬼……のような存在。


「お、鬼……」

「オニ……オニ……なの、か……?」

「ひいっ……! た、食べないでください! 美味しくないです! スッカスカです! もしくは脂身ばっかりです! なんでもします! だっ、だから! 殺さないでください!!」


 安っぽい命乞いの言葉が、私の口をついて出る。スラスラと流暢に。死にたくない。まだ、死にたくないのだ。


「ほ、本物……本物だぁぁぁぁ!!」

「……えっ?」


 怖いものだと思っていたのに、目の前の鬼のような存在は、キラキラと目を輝かせて私を見ていた。声を弾ませて、私の周りを軽快にクルクルと回っている。


「……あ、あの?」

「すごい! 本当にオニは存在したんだ! 報告! みんなに報告しなきゃ!!」

「え、あ、その」

「うーん? まだ子供に見えるな? いや、オニならなんでも! 誰だって構わん!」

「なんの話を……?」

「おおおおお前! こっちに来い!」

「えっ、あああ、ち、ちょっと!」


 相手のテンションの高さに、思わず冷静になった。よく分からない場所に状況。そして多分鬼。逆らおうにも情報が少なすぎる。分析するのは得意だった。冷静なフリをするのも。鍛えられた、小学生の頃に。


 手を引っ張られ、私はこの鬼らしき存在のあとをついて行くことになった。

 私がいた場所には、よく見ると魔法陣のようなものが描かれており、その中心に横たわっていたことが分かる。どこかの室内のようで、明かりは魔法陣の上に置かれた蝋燭で賄われているようだった。これだけ見ると、私は異世界にでも召喚されたのかと、そんな非現実的な気持ちになる。


「私、召喚されたの?」

「そうだ、召喚した! オレが!」


 冗談のつもりだったのに、肯定されてしまった。


「……あれ? 言葉が通じるのか?」

「……多分。アナタが何を言っているのかはわかります」

「そりゃあ良かった! とにかく、行くぞ!」

「……どこに行くんですか?」

「王様のところだよ!」

「王様?」

「あぁ、そうだ! よく考えたらなぁ。オニが来るなんて、とんでもない話だからなぁ」

「と、言いますと?」

「物語やら言い伝えの世界だからなぁ。オニ、なんて。はー、実在するんだなぁ。自分で呼んでおいてなんだけど、本当に出てくるなんて思わなかったよ」

「は?」


 そんな馬鹿な。私の存在が、物語や言い伝えの世界だなんて。まるで、私達の世界の、鬼のようなものではないか。


「ちょっと待ってください。鬼なのは、アナタのほうなのでは……?」


 私は素朴な疑問を口にした。角と牙と爪。それらは特に目立っていて、明らかに鬼のそのシンボルそのものだった。服装やその他の見た目こそ私たち人間と同じだが、裏をかえせばそこ以外は明確に私たちとは違っていた。


「はぁ? オニはあんただろ?」

「え?」

「角もなくて爪もなくて牙もない。それ以外は、俺たちニンゲンに似ている。伝承の、昔話の、物語の。オニそのものじゃないか」


 私は思わず目をぱちくりさせた。鬼にオニと言われるなんて。鬼が自分のことをニンゲンと言うなんて。


「あんた、名前はあんのか?」

「……東雲、東雲秋穂です」

「シノノメアキホ、かぁ」

「アナタは?」

「俺はジンキ、だ」


 鬼にも名前があるのか。青鬼や赤鬼ではなく。ジンキと名乗った鬼は、角と爪、そして牙以外はやはり私たち人間となんら変わりがないように見えた。なんなら、人間が鬼のコスプレをしている、と言われても、信じてしまうくらいに人間味がある。


「いやー、シノノメアキホは本当に俺たちに似てるんだな? 牙も角もないし、爪も短いけど」

「え、っと、アキホで良いです。その、長いので」

「おぉ? そうか? じゃあ、アキホ。お前どっから来たんだ?」


 どこから――そう聞かれて背筋が凍った。私の住む世界に鬼はいない。……いや、いないはずなのだ。先ほどジンキは私を「召喚した」と言っていた。だから、ここは私の住む世界ではない可能性が高い。人間が珍しくて、オニと呼ばれていて、存在が怪しい生き物で、逆に鬼が普通に暮らしている。そんな世界。


 ――まるで、私達の世界と、反転しているような。


「……日本、って知ってます?」

「いんや? 初耳だなぁ」

「じゃあ、地球……は?」

「おお! 聞いたことあるぞ! 物語の中に出てくる、オニの住む場所だ!」

「う……そこから来ました」

「……あっはっはっ! そうか、そうか。本当に……すごいなぁ……」


 噛み締めるように何度も頷いて、ジンキはしみじみとそう言った。


「あ、あの! ここは、どこなんですか?」

「ここは、黒の地図の一部だな。知ってるか?」

「……いいえ、初めて聞きました」

「そっか、オニでも知らないことはあるんだなぁ」


 今度は悲しそうにポツリと呟いている。


「……おお、着いたぞ」

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