流灯
せきうさ
流灯
橙の灯が、砂浜に道を作っていた。
夜のネコタカ海岸に堀越が溶けている。足取りは繊細だ。ぼうっと光を放つ無数の輪をつぶさないように、する。
「トウロウコガニっていうんだ」
声は波にさらわれないが、モーセのようでもない。ただ頼りないいかだに乗ってこちらへこぎつけてくる。私ははためく白衣を儀式的におさえ、聞いた。
「飲みにでも行こうか」
「うん……」
言いながら、堀越はにょろにょろと進んでいく。私も仕方なく後を行った。
蟹たちは堀越を避け、幅の広い二列になっていく。さながら薄オレンジの滑走路だ。一瞬、立ち止まり目を凝らせば、足を絡ませあったり、ちょこちょこ親蟹についていく彼らの、六本足の付け根がそれぞれ確かに光っているのが見える。
「どう思う?」
滑走路はさすがにきざったらしい気がして、私はもう一つの考えを言った。
「きれいだけど。バズりそうだな」
堀越はまた、うん、とうなずいて前を向いた。
「行かないのか。時間あるけど……明日も朝からだから」
「ごめん。本当に、通りがかっただけだから。もう帰るよ」
言ってまた、堀越は夜の濃い方へ行く。向こうにあるはずの岸壁は見えなくて、動いたり、止まったりする柑子色の絨毯だけが彼を待っている。
その時も堀越は慎重で、彼らを蹴散らさないようにしていた。
だからきっと、本当に偶然だったのだと思う。
一匹の子蟹が波にさらわれた。哀れ、群れから引きずり出された橙蟹は、ちゃぷちゃぷ必死に水面を掻きながら寄せる波を待った。蟹が沈むのか、溺れるのかは知らないが、とにかく私にはその光が今にも溺れそうに見えた。それはとても苦しそうで、一瞬、過去の救えなかった患者たちがフラッシュバックした。掻く、掻く。それは努力で、駄々で、不可抗力だった。しかし蟹は流れに逆らえない。今にも、シュワちゃんよろしく波間に消えていこうとしていた。
だがありがたいことに、救いの波は来た。力強い波がぐっと後方から差してくると、瞬く間に子蟹を巻き込み、押し上げ、群れの中心へ放り投げた。夜の砂浜に、細いオレンジのアーチがかかる。子蟹は砂浜を三回転、見事な着地で高得点を決めた。
問題があったとすれば、ヒーローは張り切りすぎたことだ。子蟹は堀越の足元に転がった。堀越はちょうど、足を踏み下ろすところだった。蟹は脆い。
ぐしゃりという音がして――きっとしたのだろう。蟹の左脚三本は粉々になった。
その時の堀越の表情を、私は今でも忘れられない。額に強く刻まれた皴と、泣きそうにゆがむ目尻。強い慈愛を湛えながら一方で、目からも肌からも色が無くなっていく。それはみるみる進行し、やがてボトルシップより透明になった。
促されるまま、私は医院に帰った。
最後にひとつ、気になっていたことを聞いた。
「俺の仕事、知ってたのか。白衣を見ても何も言わないけど」
堀越は、仕事って、と聞いた。
「……。いわゆる……お悩み相談かな」
その時彼の目に蟹が、寄せる波が、世界が戻ってきた気がした。だがそれは一瞬、風も見逃すほどの刹那だった。私も気のせいだと思った。
その日以来、堀越に会っていない。
流灯 せきうさ @cookieorbiscuit
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