第6話 そつない君と家族


 家に帰りついたのは、六時を少し過ぎた頃だった。面倒事をまた背負い込んだなと溜息をつきながら、校舎から徒歩圏内に存在する自宅に辿り着く。


「ただいま」


  玄関扉が閉まる音に消えないくらいの声量で、帰りついたことを知らせると、二階からパタパタとスリッパのどこか間の抜けた足音が聞こえて、ラフな部屋着姿の妹が現れた。


「あ、おかえりー。今日のご飯当番、つー兄でしょ?」


「ただいま、白星。今からメニュー考えるよ」


 俺の事を「つー兄」と呼ぶ我が妹の名は、宇久井白星。俺より二つ年下の中学二年生であり、バレーボール部に所属している。片側だけ耳にかける形のショートカットに、いつも首にかけているヘッドフォンがトレードマークだ。なぜか、親しい人間を妙なあだ名で呼ぶことが多いのも特徴である。


「私、ビーフシチューが食べたいなー」


「ルーの買い置きねぇよ。昨日の冷蔵庫の中身からして生姜焼きだな。風星は?」


「かー君は、どうせもう少し遅いでしょ。生徒会も忙しいみたいだし」


「それもそうか」


 そして、俺達にはもう一人兄弟が存在する。それが、白星の双子の兄であり、俺にとっての弟にあたる、宇久井風星。一体誰に似たのかという文武両道の爽やかな二枚目であり、和歌山県屈指の進学校に通って、そこで二年生ながら生徒会副会長を務めているらしい。電車で随分と離れた校舎に通っているために基本帰りも遅く、両親ともに家を離れがちな宇久井家は、料理当番を基本的に俺と白星で回すことになる。


 白星と風星では、一応風星が兄という事になっているのだが、本人たちにはあまり兄や妹という感覚がないらしく、白星も「かー兄」ではなく「かー君」と呼ぶ。本人曰く、語感もこっちの方がいいとのことだ。


「ちょっと、シャワー浴びてくる。そしたらすぐ夕飯作るわ」


「はーい。出来たら呼んでね?それまで、ゴロゴロしてくるからさー」


 スリッパの擦れる音が遠ざかり、二階からドアが閉まる音を聴きながら、俺は制服を脱ぎ、風呂場に向かった。学校から帰るとすぐにシャワーを浴び、頭についたワックスを落とすのが日課だ。擬態している自分に幕を下ろして、楽になれる気がするから。


 サッとシャワーを浴び終えると、湯冷めしないうちに体を拭いて部屋着に着替え、ドライヤーをかけると、ようやく気が抜ける自分になった。


 欠伸をひとつすると、スマホでお気に入りの音楽をかけ、冷蔵庫を開く。流れる音楽のリズムに乗るように、指差しで材料を確認していく。やはり生姜焼きが作れそうなので、ぱっぱと作ってしまおう。


 米を研ぎ炊飯器にかけ、豚肉を醤油とみりんに生姜を混ぜたものに漬けていると、音楽を遮るようにスマホから通知音が鳴った。


 なんだろうと通知を確認すると、風星からのメッセージだった。


『生徒会の皆と駅でご飯食べることになったから。今日の夕飯、僕の分はいらない』


 きっちり三人分漬けた豚肉と炊いたご飯に目をやると、ため息を一つ吐きフリック入力で返事を打ち込む。


『もうお前の分も作り始めてる。もう少し早く言うように』

 

  俺がそう送ると、程なくして既読の表示が浮かび上がり『ごめん』という返信と、項垂れている犬のスタンプが送られてきた。


 心の中で、明日あいつの朝食だけ山盛りにしてやると思いながら、風星から送られてきたスタンプで思い出した、実はまだ存在する家族の元へ向かう。


「おーい、毛玉」


 俺が毛玉と呼んだのは、我が家で飼っている、というか白星が飼っている犬だ。マルチーズという種らしく、白い毛がモコモコしているので名前は毛玉。ちなみに、そんな名前で呼んでいるのは俺だけで、本当の名前は彦星。名前からわかるようにオスだ。


  いつもなら帰ってくれば走り寄ってくるのに、今日は思い返せばそれがない。予想通り、いつもいるはずのケージにはおらず、不思議に思って二階に上がると、白星の部屋をノックする。


「はーい、なに?もうご飯できたの?」


「いや、毛玉にエサやろうと思ったらいないから」


 どうやら白星が部屋に連れ込んで戯れていたようで、部屋の床には尻尾をブンブンと振った小さな犬が居座っていた。


「あ、もうそんな時間!いいよ、今日はひーちゃんには、私がエサやっておく」


「じゃあ頼むわ」


  基本的に、夕食当番が毛玉にも餌をやることになっている。ちなみに、白星は毛玉のことを「ひーちゃん」と呼ぶ。オスなのになぜ「ちゃん」呼びなのかは、どうでもいいので誰も聞いていない。


 三十分ほどかけて生姜焼きを作り終えると、ちょうど炊飯器が鳴った。今度こそ白星に夕飯の時間だと告げると、毛玉を腕に抱いた白星が食卓につく。


「あれ?かー君は?」


「生徒会の仲間と駅で食べてくるってさ」


「へー、仲良いんだねー」


 社交的な風星のことだ。うまくやっているのだろう。俺のように意識しなくても。


「つー兄は大丈夫なの?中学の時なんて、いっつも仏頂面で本読んでるだけだったじゃん」


「ほっとけ。上手くやってるよ、今のとこな」


「まあ、高校入ってから週末に遊びに行ったりしてるし、美羽姉ちゃんから聞いてる限り大丈夫みたいだけどさ」


「二人で何話してんだよ」


 「秘密ー」と笑う白星が毛玉をケージに入れた。後は、手を洗って自分の分の箸と夕飯を運ぶと、いよいよ夕飯の時間だ。


「「いただきます」」

 

  手を合わせると、夕飯に箸をつけ始める。時々挟む会話も、取り留めがないものばかりだ。


「そういえば、パパとママ、いつ帰ってくるんだっけ」


「んー、確か今週末には」


「今回どこに行ってるんだっけ。ノルウェー?アイスランド?」


「ロシアだったと思う」


 我が宇久井家のネーミングセンスで大体分かるかもしれないが、両親ともに星をこよなく愛する人間だ。というか、二人とも同じ大学で星を研究する天体学者であり、方々を飛び回っていることが多い。


 さすがに、一ヶ月空けることは年に数回しかないが、いない時はとことん居ないので、俺達はそれに慣れてしまっている。


「あ、かー君帰ってきたんじゃない?」


 門の開く音が聞こえたのか、白星がそう言うと同時に、玄関が開く音と鞄を床に下ろす音が聞こえた。その音に反応して、毛玉がワンと小さく鳴いた。


「おかえり」


「おかえりー」


「ただいま。ごめんね、兄さん。夕飯せっかく作ってくれたのに」


「本当だよ。お前だけ明日の朝ごはん、これだからな」


 俺が容器に移してラップした白米と、焼く前の生姜焼きを指差してそう言うと「食べ切れるかなあ…」と風星がお腹をさする。風星は食が細い。故に、体も細い。部活でエネルギーを消耗するからか、白星の方が食べるくらいだ。


「兄さん、お風呂って湯船張られてたりする?」


「洗ってすらない」


「じゃあ、僕が洗うから、一番風呂貰うね。なんか、疲れちゃって」


「ん、ゆっくりしてこい」


 「白星、ごめん。化粧水切らしちゃって。貸してくれない?」なんて会話を尻目に、俺は手を合わせ食事を終えると、食器類を水に浸けて二階にある自室に戻る。

 電気をつけると、壁際に置かれたベッドに飛び込んだ。今日は、イレギュラーがあったせいか疲れてしまった。このまま睡魔の誘いに従って眠ってしまいたいが、風星の学校ほどではないにしろ、俺の通う高校も勉強に力を入れているので、今日も宿題があるし、風呂にも入っていない。


 なんとか頬を叩き起き上がると、数学の問題集を開いてスマホにメモしておいた出題範囲を解いていく。『そつない君』として、勉強も怠るわけにはいかない。

 三十分ほどで宿題を終えると、勉強机に頬杖をつき、紀伊薫のことを考える。彼女が自信を持ってクラスに帰るには、どうすればいいのか。


「どうしたもんかねえ…」


 頭を捻っても特段名案が降りてくる訳でもなく、ため息だけが漏れ出る。新宮蛍は解決に自信ありげにしていたが、一体何をするつもりなのだろうか。逆効果にならないことを祈るばかりだが、それは明日になってみないとわからない。


「俺も何か考えとかないとな…日高先生も厄介な問題持ち込んでくれたもんだ…」


 そんなことを呟くと、創や修介から来ていたメッセージに返信しておくことにする。明日の放課後の誘いが来ていたが、残念ながらまた断ることになりそうだ。

 二日連続、理由なしに断るのはまずいよなあ。なんて考えながら、泣く泣く貴重な休日を差し出して、代案に遊ぶ日にちを送っておいた。ほどなくして了承の返事が来たので、安堵と面倒さが混じった心を持て余しながら伸びをした。やっぱり、リア充に混ざるのも楽じゃない。


*************************


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名前ごちゃつきすぎ問題。


長男→鼓星つづみ


次男→風星かぜほし


長女→白星しらほし


です。


両親は、星大好きだからこそのネーミング。警察官の両親が勢い余って「正義ジャスティス」とかつけるようなもん。

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