第4話 そつない君と厄介な頼まれごと

「なんだか人聞きの悪い会話してんなお前ら」


 そんな時扉が開いて、俺と新宮蛍の待ち人である日高先生の怪訝そうな声がする。


「実際、合ってるじゃないですか」


「やかましい。俺から持ちかけたわけじゃねえよ。二人ともな」


 日高先生は俺と新宮を交互に一瞥すると、面倒臭そうに髪をガリガリと掻く。それを言われてしまえば、こちらとしても返す言葉がない。実際に、日高先生に交換条件を持ち出して密約を交わしたのはこちらからなのだから。



「それで?持ち駒二つを一堂に集めて、今回は何をするんですか?部費カットの草案作り?それとも、生徒会役員の雑務の手伝いですか?」


 新宮が指折り数えながらさっそく本題に切り込んでいく。この様子を見ると、今彼女が挙げたのは今までやらされた事なんだろう。こいつそんな事させられてたのか…

 ちなみに俺は、校内の不要な掲示物を全部剥がしていったり、用務員のおっちゃんと校舎裏の草むしりなど、どちらかと言うと肉体労働がメインだった。どうやら、頭脳労働担当が彼女だったらしい。


「今回は、ちと、お前ら二人にどうにかしてほしい案件があってだな…」


 日高先生は、新宮からの問いかけに少し淀みながらも言葉を紡ぐ。いつもどこか飄々とものを言う彼にしては珍しい態度だ。


「あー、宇久井の方が詳しいだろうが、紀伊薫の件でお前らにやってほしいことがあるんだわ」


「それは...」


「紀伊薫?」


 日高先生の言葉に俺は息を呑み、恐らくピンと来ていない新宮は首をかしげる。彼女が説明を求めるような目線をぶつけてきたので、俺は一呼吸置いて強く息を吸い込むと、


「うちのクラスの不登校生徒だよ」


 と、そう言った。


 紀伊薫。うちのクラス、一年C組の不登校生徒であり、小柄で可愛らしい女生徒である。不登校といっても、最初からそうだったわけではなく、つい一週間と少し前までは学校には普通に来ていた。


 彼女はその相貌に違わず、楚々として穏やかな気性で、優しい性格をしていた。だが、意外も意外、彼女がいつも行動を共にしていたのはうちのクラスのトップカーストの連中である。

 なんでも修介から聞いた限りでは、トップグループの一人が幼馴染で、その可愛らしさもグループ内で気に入られて、成り行き上そうなったらしい。


 だが、傍目にも紀伊薫が馴染んでいるとは思えなかった。大きな声で教室内でお喋りするトップグループの中で、困ったように笑っていたのを何度か見かけた。

 俺はそれを見る度に、心の中で応援していた。俺もカーストトップの奴らに馴染むために無理をしている人間だから。


 だが、火の中に飛び込むような覚悟で仮面を被っている俺と、成り行きで飛び込まされた紀伊薫では前提条件が違ったようで、決壊の時は案外早くやって来た。


 きっかけは些細なことだ。数学の授業中、教師が紀伊薫を指名して問題に答えるように言った。普段は指名などしない教師だったため、彼女は予想外だったのか慌てて立ち上がると、頭を悩ませた様子で立ち尽くす。そんな状態が一分も続いてしまえば、それだけでも恥ずかしくきついというのに、そんな時トップグループの一人が笑いながら、こんなふうに囃し立てたのだ。


「薫ー、大丈夫?顔真っ赤だよー?」


 そいつは、沈黙の降りた場を和ませようとそう言ったのかもしれない。事実、クラス内にはクスクスと笑いが漏れ、教師も困ったように笑っていた。

 だが、本人にとっては笑い事ではない。たった一言でクラスの笑い者にされたのだ。皆に笑顔が漏れる中、紀伊薫の顔は真っ赤どころか真っ青だった。


 教師が「もういい、紀伊。座れ」と言ったおかげで、一見その場は収まったように見えたが、事態はそう甘くはなかった。

 その三日ほど後だっただろうか、再び紀伊薫が指名された。前回が非常事態だっただけで、彼女は今まで、教師に指名されても落ち着いて答えていたように思う。

 だが、その日は違った。彼女は震えた様子で立ち上がると、三日前の再演のように教室に沈黙が降りた。


 どのくらい時間が経っただろうか。紀伊薫はか細い声で「…わかりません」とだけ言うと、席に座った。

 その次の日からだ、彼女が欠席するようになったのは。


 あろうことかクラスの大半は、紀伊薫が学校に来なくなった理由を理解していないらしい。ほとんどの生徒にとって、これは些細な出来事だったのかもしれない。

 だが、俺は十中八九これが原因だろうと思っている。大人しい部類である彼女にとって、クラスのみんなに注視され笑われるというのは、それぐらい大きなことなのだ。


 恐らく、二回目は前回のことがフラッシュバックしたのだろうと思うと、同情を禁じ得ない。

 同じ異質のカーストトップ組仲間としては正直気にする気持ちはあるが、まさか日高先生の口から名前が出るとは思ってもみなかった。


「不登校生徒?」


「そ、一週間と少しかな、学校に来てない」


「あー、正確には登校はしてるんだよ」


「え?」


 俺は日高先生のその言葉に、もう一度息を呑む。


「…保健室登校、ですか?」


「正解だ新宮。一応、保健室には来て授業は受けてる」


 そうだったのか。教室に姿が見えないだけで、一応登校はして来ているならば不登校とは言えない。


「あ、一応、他言無用な。お前らなら大丈夫だとは思うが」


「ええ、私は大丈夫です。こちらの方も、きっと話す相手がいないので大丈夫だと思います」


 こいつなんか俺に恨みでもあんの?


 唐突に向けられた鋭い舌鋒に笑顔が本当に崩れかけるが、紙一重でなんとか耐えきる。

 

「こちらの方じゃなくて、宇久井鼓星です。どうぞよろしく、新宮」


 崩れかけの微笑みで、何とか忘れていた自己紹介をするが、新宮はまたしても不機嫌そうな顔で「どうも」とだけ言った。


「それで?私と、えっと…宇久井君に何をして欲しいんですか?」


 そう、それこそが本題だ。それはそうとお前、十数秒前に聞いた俺の名前忘れかけてただろ。


「んーとな、言いにくいんだが、お前らには紀伊薫が教室に戻れるようになる手伝いをして欲しいんだわ」


 新宮蛍の疑問に、日高先生はどこか遠くを見つめるような目でそう言った。


 正直、日高先生の頼みは想像の範疇だった。一生徒でしかない俺たちに不登校児の話を持ち出した時点で、復帰の手伝いか家に訪ねてみてくれないかの二択の腹積もりだった。

 そして、保健室登校しているという事実を開示された時点で、なんらかの形で彼女と接触して、復帰の手伝いをして欲しいのだろうと薄々と勘付いていたのだが案の定。


「…やるのは構いませんけど、その前に、一つ聞いておくことがあります」


「ほう、なんだ?」


「教室に帰りたいと彼女が望んでいるのかどうかです。そうじゃないなら、俺達のすることは追い打ちになりかねませんから」


「ふむ、それは大丈夫だ。本人が、なんとか傷が浅いうちに、教室復帰したいと希望していてな。それに関しては間違いない」


 それなら、第一の懸念は大丈夫だ。余計なことをしたと思われるのは避けたい。頭に浮かぶ懸念はもう一つあるが、それは本人に聞けばいい。


「私達を集めたということは、今日何かできることがあるということですよね?」


 新宮蛍が腕を組んだままそう問うと、日高先生は付いて来いとでも言うよう、立ち上がると、応接室の扉を開けて外へと歩き出す。

 俺たちもそれに倣って背を追って歩き出す。向かう先は恐らく、西館の一階にある保健室だろう。

 部活やら委員会やらでほどほどに人が行き交う校舎を、日高先生とも新宮蛍とも距離を取りながら歩を進める。当然、会話はない。


 俺の少し前を歩く新宮蛍をぼんやりと眺めてみると、すれ違う人間のほとんどが、ちらりと視線を向けているのがよくわかった。

 揺れる腰まで届きそうな黒髪。糸で吊るされたみたいに垂直に綺麗に伸びた背筋。まっすぐ前を見据えた目線。確かに所作の一つ一つは綺麗だが、至って普通の範疇にあることなのに、彼女がするとなぜか人目を惹きつける。美しさをさらに彩る、存在感の様なものが彼女にはある。


 そんな美少女を、少し間隔を空けた後ろから付いて行ってる俺はどんな目で見られているのだろうか。多分、みんな新宮を見ていて俺なんて視界の外に追いやられてるから大丈夫だとは思うけれど。新宮蛍が先ほど言ったストーカーがあながち間違っていない形になっているのが、非常に居心地悪い上に癪である。


 そんな居心地の悪さを抱えて歩くこと数分。日高先生率いる俺たちは、保健室というプレートが下がった扉の前にたどり着いた。


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美少女その一の好感度が低すぎる主人公。ちゃんと理由はある。

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