第5話:母娘の約束

 ちょっとまぁ、正直想定外だったからな。

 

 俺が絶句していると、代わりに相棒が応じてくれた。

 フォルネシアがオドオドとして疑問の声を上げた。


「そ、それはアレかの? 始末とは、つまり殺せと? 村長を?」


 頭領はさも当然とばかりに頷きを見せた。


「そりゃそうだ。前から反抗的だったからな。良い機会だ。出来るだけ苦しめて殺してくれ」

  

 俺は即断とはもちろんいかなかった。


(え、えぇ……?)

 

 胸中で、どうにも当惑することになる。

 正直、それは違うのだ。

 それは俺たちの流儀じゃない。

 搾取する側ではありたいのだが、わざわざ人を殺すつもりなんてさらさら無いのだ。


 もちろん返答は否だ。

 ただ……こ、断ってもだよな?

 断ったところで、きっと誰かがあの女村長を殺す。

 遠回しにだが、彼女の殺害に加担することになってしまう。


 恐ろしく悩ましかった。

 じゃあ、どうするのかって話だ。

 金貨の革袋で彼女の安全を買うのか?

 ただ、それはなぁ?

 それは悪徳勇者としての流儀に背くようであり……って、


「ふ、ふざけないでっ!!」


 まぁ、うん。

 くっそ驚いたのだった。

 俺はフォルネシアと共にビクリと肩を震わせたのだが、それほどの叫び声であった。

 声の主は当然この子だ。

 村長の娘である少女。

 叫び通りと言うべきか、彼女の顔にあるのは凄絶な怒りの表情だった。

 顔を真っ赤にし、剣呑な眼差しをして男を鋭くにらみつけている。


 これに対し、男の見せた反応は案の定のものだ。

 アイツは「あ゛ぁ?」と物騒な唸り声を上げる。


「なんだ? ずいぶんとまぁ、失礼な物言いだな? いいんだぜ? お前も一緒でも。ママと一緒に仲良く死ぬか?」


 その脅しは、彼女に届いていたのかどうか。

 少女は駆け出していた。

 頭領の脇を抜けて女村長に駆け寄ろうとする。

 おそらく助け出そうとしているんだろうな。

 だが、


「おい! 何してんだ、テメェ!」


 あっけなく頭領につかまった。

 少女はもがく。

 拘束を外そうと必死にみじろぎをし、それが敵わないと悟ると……彼女は目に涙を浮かべた。

 男に対し、震える唇を開いた。


「……帰って」


「は?」


「帰って! 帰ってよ! お父さんにお母さんまで……こんなのおかしいよ! 行ってよ! どっか行ってよぉ……っ!」


 涙をぼろぼろとこぼしながらの、声を振り絞っての訴えだった。

 俺は胸中で納得だった。

 なるほどな。

 父親がいないとは思っていたが、そういう理由があったわけか。

 そんな彼女が、今度は母親まで失いそうになっているのだが……これまた案の定だ。

 アイツはとことん人間らしい感情とは無縁らしい。

 頭領は笑みだった。

 嗜虐しぎゃくの笑みを浮かべ、少女の胸ぐらを掴んでは釣り上げる。

 果たして、次の瞬間に何が起こるのか?

 良い予感はまったく無く、俺は慌てて声を上げようとした。

 だが、


「……リズ」

 

 不意に響いた女性の声に、俺は言葉を呑み込むことになる。

 意識を半ばにしていた彼女……村長がぽつりと娘の名を呼んだのだった。


 頭領は動きを止めていた。 

 少女を釣り上げるだけに留め、村長に嘲笑らしき笑みを向ける。


「なんだ、思ったよりも元気そうじゃねぇか。こりゃ痛めつけ甲斐がありそうだな?」


 まったくアイツらしい発言だったが、村長はアイツを一瞥いちべつすらしなかった。

 彼女が見つめているのは自分の娘だ。

 少女は母親の無事にわずかに安堵の笑みを浮かべていた。

 そんな彼女に対し、村長は優しげに微笑みを返す。

 そして、


「止めなさい、リズ。約束でしょ?」


 そう少女に告げたのだった。

 約束。

 俺は首をかしげざるを得なかったが、彼女は別らしい。

 少女──そう言えばリズなんて名前だっけな。

 彼女はきつく目をつむる。

 激しく首を左右にする。


「い、嫌っ! そんなの嫌だっ! 絶対嫌っ!」


「リズ。一緒に話したでしょ? きっとこうなるだろうって。その時にはこうしようって」


 なんともなしに推測は出来た。

 約束っていうのはアレだ。

 彼女たちはきっと覚悟していたんだろうな。

 俺たちに300万エゼルを払ったけどさ。

 その末に……みかじめ料が払えなくなって、男たちにどんな目に遭わされるのかって。

 それを予期して、甘んじて受け入れようと覚悟をしていたのだろうな。

 

 ただ、いざとなってはそうはいかなかったらしい。

 リズはいやいやと首を振り続ける。

 村長は笑みを深めた。

 一層優しい笑みを娘へと向ける。


「ごめんね、リズ。でも、お願い。耐えて。きっと良いことがあるから。耐えていればきっと変わるから。だから……ね?」


 きっと優しい子なんだろうな。

 死を覚悟しての母親の訴えを無下むげには出来なかったのだ。

 リズはもがくことを止めた。

 代わって、服のすそをぎゅっと握ってうつむく。

 肩は震えている。

 きつく閉じられた両目の端からは、とめどなく涙がこぼれ続けている。


 そこに「あはは!」と笑い声が響いた。

 当然と言うべきか、頭領のものだ。

 アイツは掴み上げているリズに醜悪な笑みを突きつけた。


「そういうことだ。耐えていればきっと……な? 良いことがあるかもしれねぇからな! あははははっ!」


 ともかく、彼女たちのやり取りがお気に召したってことかね?

 アイツはリズを手放した。

 無造作に地面に落とし、乱暴に突き飛ばす。

 偶然だろうが、彼女は俺の方へと飛ばされてきた。

 思わず受け止めることになる。

 俺の腕の中で、リズは何の反応も見せなかった。

 母親との約束を守ろうとしているのだろうか。

 目をつぶって、ただただ涙を流し続けている。

 

 そんなリズを、アイツは「ふん」と鼻で笑う。


健気けなげなこった。まぁ、それもいつまで続くかだな。じゃあ、勇者さんよ。さっき言った通りだ。あの女を、出来るだけ苦しめて始末を……って、は?」


 アイツは一体何を思ったんだろうな。

 突然として、大きく目を丸くした。


「ゆ、勇者さんよ? なんだよその顔は?」


 疑問の声は俺のふところからも上がった。

 

「……泣いてるの?」


 リズは涙の浮いた目で俺を見上げ、そんなことを口にしてくれたわけだ。

 俺は胸中で「ふん」と鼻で笑うことになった。

 まさかまさかだ。

 俺は悪徳勇者なのだ。

 こんな茶番劇に何か思うことがあるなんてあり得ない。

 ましてや泣くなんて……なぁ?

 もちろん訂正が必要だった。

 抗議が必要だった。

 俺は酷薄な笑みを浮かべ、すかさず声を張り上げる。


「こ、このお……この俺が……げほんごほんっ! まさ、まさか……まさ……こんなちゃ……げほがほっ!」


「な、なんだよ!? 全然言葉にもなってねぇじゃねぇか!?」


 男が妙なことを叫びやがったのだった。

 なってるよ。

 全然言葉になってるし、むせこんでなんか全然無いよ。

 

 ともあれ、俺は手のひらを広げて見せる。

 別に深い事情は無いのだが、少し待てということだ。

 俺は深呼吸を1つ、2つ。

 さしたる意味も無く繰り返す。

 その上で、あらためて男に対し抗議の叫びを上げる。

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