魔王17歳~最底辺人間族の少女、家族じゃないと殺された魔王候補の主に代わり魔王にならんとす

雪見桜

プロローグ

よろしく、リリム

「私はね、リリム。世界すべての民が皆平等に幸せに暮らせる世界を作りたいと思っているんだ。西も東も、貴族も平民も」




 帝都の端の端、かろうじて貧民街ではないその境目の地域にわたしは母と暮らしていました。物心ついた頃から父はおらず、母も多くを語ろうとはしなかったために今となっては父がどんな人だったのか知るよしもありません。


 しかし、母はデモン族のお屋敷で下働きとして仕えていたために暮らしに苦労したことはありません。最下層の人間族である母が貴族であるデモン族のお屋敷で働くにあたり、母にも相当の苦労があっただろうと今では察することができますが、当時のわたしはまだ幼く、そこまで考えが至ることはありませんでした。


 そんな状況で慎ましくも幸せに過ごしていたわたし達でしたが、ある日を境に大きな転機を迎えることになります。


 狭く、暗く、そして隙間風で寒い、でも幸せな思い出の詰まったわたし達の家で母はいつものようにわたしの頭を撫でながら、優しく言いました。


「お屋敷に住み込むことになったの。引っ越しよ」


 人見知りのわたしは「嫌だな」と思いましたが、そこでだだをこねても母を困らせるだけだということがわかっていたので、言われたままに引っ越しの準備を進めました。と言っても荷物など鞄ひとつに収まる程度だったので、その晩のうちに終わってしまいました。


 そして次の日。母に連れられて向かった“お屋敷”の姿にわたしはただただ驚いて口を大きくあんぐりと開くことしかできませんでした。


「お母さん、これがお屋敷なの?」

「そうよ、大きいでしょう?」


 大きいなどというものではありません。母はこれがお屋敷だと言っていましたが、未だにこれがお屋敷だとは信じられません。

 なぜなら、目の前にはただ森が広がるだけでお家などどこにもなかったからです。


 母はそれだけでわたしのお家よりも大きな門の前に立つ獣人の門番さんに挨拶をしてその中に入っていきました。門番さんに酷いことされないかとビクビクしていたわたしも慌ててそのあとを追いかけます。


 中に入ってからも驚きの連続でした。ただの森と思っていたそこには小さな石が敷き詰められたきれいな道が延々と続き、そこにはゴミひとつ落ちていません。それどころか、道端には色とりどりの花々が植えられていてわたしの目を奪います。


「さあさあ、急ぐわよ」

 花に目を奪われて足を止めがちなわたしを母は手を引いて促します。


 そうして十分ほど歩いた頃でしょうか。森は突然ひらけ、その先に大きな建物が現われました。


 大きなという簡単な一言で済まされるものではありません。その建物は普段わたしがお使いに出かける市場よりも広く、市場の真ん中に生える大きなナラの木――いつも登って遊んでいた――よりも高かったのです。


 しかもそれだけではありません。その建物は白くキレイで、赤い屋根とあわせてまるで大きな大きなお菓子の家のようでした。周囲にきれいに咲き誇るたくさんのお花や、きらきらと日の光を反射する澄んだ水を出す大小様々な噴水もあわせてまるで夢の国にやってきたようです。


 そんな風にお屋敷に見とれていたからなのか、母の出迎えに人が来ていたことなど全く気づきませんでした。


「やあ、君がリーリの娘? ずいぶん小さいな」

 突然声を掛けられ、わたしはびくりと小さく跳ね上がって慌てて母のスカートの向こうに隠れました。


「ははっ、驚かせてしまったようだな、すまない」

 そう朗らかに笑う声にわたしは興味を引かれ、母のスカートから少しだけ顔を出して声の主を見ました。


 幾人もの黒いビシッとした服装に身を包んだ獣人やエルフたちに囲まれ、一人の男の子が立っていました。


 年の頃はわたしよりも五つ――いえ、もっと上でしょうか。背が高く、その落ち着いた話し方も相まってずいぶん大人っぽく見えます。雲のように真っ白の上着に日の入り後の空のような濃紺のズボンを穿いて、その上から裾の長い真っ赤な上着を羽織っています。


 輝くような銀色の髪の向こうから赤い瞳がわたしのことを興味深そうに見つめています。

 そして額からは小さな二本の角が――


「さあ、お坊ちゃまにご挨拶なさい」

 母が優しく言いながらわたしの背を軽く押して前に出るよう促します。

 この方が母の仕えるデモン族の貴族の方なのでしょうか。


 そう思ったわたしはここで失敗してしまうと母が仕事を失ってしまうかもしれないと思い、勇気を振り絞って前に出ました。


 手を胸の前で交差させて跪きました。母から教わった目上の人に対する挨拶です。

「り、リリムです。よろしくお願いします……」


 最後の方は声が小さくなってしまって聞こえなかったかもしれない、そう思って言い直そうとしましたが、それよりも早くデモン族の男の子が満面の笑顔で右手を差し出してきました。そして、少し低くてほっとするような声で、


「よろしく、リリム。私はアガリアレプト。魔王サタナキア陛下の第五皇子だ。これからよろしく頼む」


 私は驚きのあまり、その後のことをあまり覚えていません。


 母は魔王さまの側室と、そのお子様であるアガリアレプト殿下のお屋敷で働いていたのです。どういういきさつがあったのかはわかりませんが、何かと差別されがちな人間族のお妃さまにお仕えするために同じ人間族の女性がいた方がよいということで母がこのお屋敷で働いていたということはあとになって知りました。


 その後、私は当然のようにアガリアレプトさまにお仕えするようになり、それは母の死後も続くことになります。


 わたしの運命を逆転させたあの日から十二年前の出会いです。




 強さがすべての弱肉強食社会である帝国において、筋力も魔力も持たない人間は最下層の種族とされています。

 その人間に生まれたわたしですが、ここまでの十七年間は母と、そして主のおかげでとても幸せであったと言っても過言ではないでしょう。


 そう、あの日、あの時までは――





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