第13話 起きてくれ、愛しい人
朝、琉生は心を奪われていた。
一文字真子。
橋呉高校の入学式で見たときから心を射貫かれ、それから毎日、彼女に見とれていた。
その子が今、俺のベッドで寝ている。
なんて美しい人なんだろう。
モネは画家人生の後半は人物を書かなかったけれど、彼女を見れば睡蓮なんかほったらかして、ひたすら彼女を描こうとするに違いない。
こんな綺麗な子が、本当に俺を好きでいてくれるのか。
もし自分が赤の他人と入れ替わって自分自身を見たとしても、はたして好意を抱くだろうか。
それほど自分に魅力があるとは思えない。
だがそんなことを考えてこの瞬間を疑ったところで何の意味があるだろう。
真子は琉生に身も心も委ねようとしているし、琉生も覚悟を決めた。
彼女の寝顔を見て、琉生は改めて誓う。
銃弾を浴びてもびくともしない彼女を物理的に守るなんて無理というか、必要ないかもしれない。
けれど、黒魔子さまは弱い、弱い人なのだ。
確かに体は強い。だからこそ、心が脆い。
俺は彼女の心を守ろう。
辛い思いをさせない、泣かせない。
赤ん坊のように無垢な顔で目を閉じる彼女を見て、そんな決意を抱かない奴がいたら、そいつはどこかで生き方を間違えたに違いない。
「大丈夫だからね」
言葉が勝手に出てきた。
それにしても、本当によく眠る。
熟睡の極みというか、息もしていないほど深い眠りに落ちているようだが、
「って、ホントに息してないぞ!」
ようやく気付いた男。
慌てて耳を彼女の口と鼻に近づけるが、吐息を一切感じない。
こうなると頼れるのはひとりしかいない。
真子の妹で、姉の面倒を見ているうちにその体を知り尽くし、姉を改造したマオーバの知識まで吸収してしまった天才、桜帆である。
まだ中学二年なのに、英文で書かれた小難しい科学の本を朝から読み倒していたが、真子の様子がおかしいと説明すると、
「ふうん。もう一緒の部屋で寝たんだ」
「あ、いや、話してただけだよ」
「いいよいいよ。わかってるから」
桜帆はニコリと笑って琉生の部屋に向かう。
「いつもこんな感じだから気にしないで良いよ。寝てるっていうより、スタンバイモードみたいなもんだから」
「すたんばい……」
「ただ普通の人と違って、ただじゃ起きないんだよね~」
そういうと桜帆は自分の部屋からあるものを持ってきた。
上等な紫の風呂敷に包まれた棒状のなにか。
「一文字の家宝をお兄ちゃんに預けるときが来たね」
家宝と聞いて息を飲んだが、あらわになったその姿を見ると、
「……金属バットにしか見えないんだけど」
「そりゃそうだよ。金属バットなんだから」
平然と言ってのけると、桜帆は上段にバットを構えたので、琉生はぎょっとした。
「それで起こすの?!」
「うん。今日は私が見本でやるから、明日からはよろしく」
「いやいやいやいや、さすがにそれは」
ちっとも起きない主人公を幼なじみがいろんな凶器を使って叩き起こすシーンはアニメ、漫画でよく見るが、あくまでギャグであり、ほんとにそんなことしたら殺人事件になりかねない。
「大丈夫! 体が頑丈すぎるからこれくらいしないと起きないの!」
「いやだからって!」
「遠慮無用に手加減無用! 目覚めろ、我が姉!」
全力全開でバットを振り下ろす桜帆。
見ていられない。
頭を抱えながら視線を外す。
がん……っと鈍い音。
衝撃で部屋がカタカタ揺れる。
そして聞こえる。
「ああ、よく寝た」
という声が。
「おはよう琉生くん」
猫のような甘い声を出した後、
「桜帆は邪魔だから出てって」
威嚇するように声が低くなる。
「はいはいはい……」
舌打ちしながら桜帆は出て行くが、バットは置いていった。
「……」
これが彼らの日常の一部なのか。
次からは俺が殴り起こせと?
バットを見ているとさすがに不安になってくるが、
「ねえ、琉生くん」
黒魔子は甘い声で琉生を呼ぶ。
「ん、どうしたの?」
「さわって」
腕を回して琉生に絡みついてくる。
「あ、朝から……?」
こうしてふたりの第一日が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます