第4話 田中さんの黒縁メガネと恋の模様

「そう、そんなことがあったんだ。」


数日後の晩、前澤は田中さんと共用スペースで話していた。彼女はいつものボブヘアに角ばった黒縁眼鏡で、地味な茶色のセーターとスカートを着ていて、あんまりオシャレには見えない。彼女自身はファッションにあまり興味がないらしく、それはそんなものに頼りたくないかららしい。


「なんか自信をなくしてしまって、でも音楽を始めてまた新たなフェーズに入ったというか。」


「私あなたのそういう切り替えが早いところ好きよ。」


前澤は照れてしまった。


「前澤くん漫画は描いてるの?」


「うん、もうすぐネームが完成しそうで…。」


「出来たら読ませてね、ガールズリフレクションも面白かったから。」


「ウス。」


「私、あなたのファンになりそうよ」


翌日彼は完成したネームを出版社に持っていった。内容はファンタジーの世界で、眼鏡をかけた地味な女の子が、ヒロインとして自信を持とうと努力する話だった。


「うーんなんか分かりにくいなぁ、いちいち表現が小難しいのよ。もしかして、漫画を誰か一人のために描いてない?そして、もしかしてその誰かに恋をしてるんじゃない?」


「いや…そんなことは…ないと思います…。」


「みんなが分かるくらいまで表現を分かりやすくしないと!売れる作品ってのはねみんな分かりやすいんだよ!分かりやすくしてから持ってきて!」


前澤はなんだか煮えきらない気持ちを抱えつつ出版社を後にした。


アパートに帰ると、共用スペースに田中さんが居て、パソコンで一人で作業をしていた。なんだか悩んでいて、気難しそうな顔をしている。彼女の方から気づいて話しかけてくる。


「前澤くん!読み切りの反応、どうだった?」


ネームを見せる。


「前澤くん、すごい面白いよこれ!才能あると思う!」


「ありがとう。」


「それでね…このヒロインの女の子のモデルってあたしかしら?」


「え…いやそんなつもりはないけど…。」


「なんか、見た目の特徴が似てるような気がしたの、それにこの子の考え方っていうのが、すごい自然に自分の中に染み込んでくるのよ。ごめんね自意識過剰で。」


「いやぁ、もしかしたら無意識にモデルにしてるのかも…。」


「フフ…前澤くんは才能があっていいなぁ。私なんか何もかも中途半端、でもへこたれないんだ!私が図々しくこの世に生まれて、生きてる限り。私、生きてる間は図々しくするって決めてるの。」


彼女はメガネを拭く。


「そうなんですね…。」


「君ももっと自信を持って、似合うよ。」


彼女は彼に自分のメガネをかけてあげる。彼は少し自信をもらったような気がした。


その日の夜遅く、彼女が前澤の部屋へやって来る。


「ごめん今大丈夫?」


「はい、大丈夫っすよ。どうぞ。」


「おじゃまします。」


彼女は部屋の片隅にある小さな椅子に座る。その周りには生活用品や漫画本や趣味のプラモデルやフィギュアが雑多に置かれている。彼女は部屋の汚さを気にせずノートパソコンを開く。


「これを見てほしいんだけどさ。宇宙人くんの小説を元にして…読まされたことあるでしょ、「2人の世界」ってやつ。勝手にキャラクター考えたの、デザインを評価してくれない?」


「喜んで!……。う〜んこの話だったらもうちょっとデフォルメしてかわいいほうがいいかも、なんか堅苦しいというか…。」


宇宙人くんの「二人の世界」はコメディなSFラブコメなのだが、彼女のキャラクターデザインはとてもリアルで少し地味だった。


「う〜ん、そっかぁ…。ところで君はいつもどうやってキャラクターを作ってるの?」


「自分の好きなものをつめこむ感じかなぁ…誰かからもらったものを無意識に組み合わせてる?それがどんなに非現実だとしても別にいいんだ。」


「フフフ、お互いに見せあうと勉強になるね、私も今度からもっと好き勝手にやろうと思うよ。」


「そうだね…。」


「今夜はありがとう、またね、おやすみ。」


「おやすみなさい。」


彼は翌日、メガネ屋に伊達眼鏡を買いに行った。それから彼は田中さんが掛けているような角張った黒縁の伊達メガネをかけるようになった。そして自分が彼女のことが好きなことを自覚した。


その日の夜のはじめ頃、彼はカゲローさんと路上ライブをしていた。休日で、公園の前は人が行き交い賑やかである。道路の向かい側でも路上ライブをやっている若者がいて、そっちには多くの観客が集まっているが、対照的にこっちはなかなか集まらない。たまに立ち止まる人も居るが、しばらくすると離れていってしまう。


「少年、もうそろそろお開きにしようか。」


「そうですね、そろそろ…すみません僕の書いた曲がつまんないんだと思います。」


「自分を卑下するな少年!」


「あ、ここでやってたんだ〜。」


「!田中さん!」


「やっほ〜何々ライブしてんの?あたしにも聞かせてよ。」


「なんだ、わざわざ茶化しに来たのかい?」


「いやスーパーの帰りですよ。聞かせてよ〜。」


「じゃあやりますか!カゲローさん!」


「お、おう、急にやる気になったな少年…。」


前澤がサビを歌う。


「眼鏡をかけた、君の頑張る横顔に、そっと口づけを、眼鏡のツルを取って、言ったんだ、」


街ゆく人々は冷たい視線を浴びせて通り過ぎていくが、田中さんはとても熱心に聞いてくれる。それだけで歌ったかいがある。


二人は歌いきる。


「すごい良かったよ〜、私、元気をもらっちゃった!………やっぱりこれあたしのこと…ううん、なんでもない!前澤くんメガネかけるようになったんだ!似合ってるぜ!」


「田中さん、俺は…。」


「お母さーん!」


「お、健太、あんた背え伸びたわね。」


彼女のところに小学生くらいの二人の男の子が駆け寄る。


「えっもしかしてあれって…。」


カゲローさんが彼の肩にポンと手を置く。


「少年、あの子はやめとけ。彼女バツイチで、少ない稼ぎを夫のところにいる、子供の養育費に当ててるんだ。お前に彼女の夢と家族を両方支える覚悟はあるのかい?」


「そうなん…ですね。」


前澤は彼女もいろんなものを背負って、諦めずに折れないように生きているのだと思った。


「へこたれないんだ!」と言う彼女のことを思い出す。


「前澤くん、私この子達と用事があるから、ここでバイバイ!私、あなたのおかげでもっと、自由になろうと思えたんだ!じゃあまた明日ね!」


前澤も手を振る。

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