有隣荘の住人達
小鳥のさえずり
第1話 変人とささやかな贈り物
宇宙では宇宙船が光速で飛び、巨大ロボットが人を乗せて戦い、街には空飛ぶ車が跋扈し、朝にはかわいい幼馴染が家まで迎えに来る。
漫画やアニメの未来は希望で溢れていた。現実は違ったけれど。
今の自分はどうだろう。自分自身の理想と現実の食い違いに嫌気がさす。そのギャップはいつ埋まるのだろう。もう40年以上生きているが自分自身のギャップはあまり埋まらない。
前澤友平は漫画家志望者だ。何度も持ち込みをし、そのたびに原稿を突き返されて、落ち込み自暴自棄にこそなれ、漫画を描くことを諦めはしなかった。だが40代に突入したことでそろそろ夢を諦めたほうがいいような気がしてきていた。
「空疎だなあ。」担当編集者は前澤が持ち込みをするたびにそういった。
「君の描く物語はなんだか現実感がないんだよね。夢物語。もっと現実を観察したほうがいい。あえていわしてもらうけど、あなたろくに何かを努力したことないんじゃない?能動的に色んな事にチャレンジしないと!いつまでも子供みたいな夢を見ていられるほど世の中甘くないよ!」
「はぁ…。」
彼の担当編集者は30代で、いつもシワのないおしゃれで派手なシャツを着て、たまにおでこに眼鏡やサングラスをかけていて、腕には高級時計をはめており、前澤はなんだか成金みたいで漫画の編集者っぽくないなと思っていた。
彼は漫画家のアシスタントをしていたこともあったが、仕事をするのががトロく、絵もそんなにうまくないのでろくな仕事をさせてもらえず、すぐクビになってしまった。
彼は2階建てで風呂なし4畳半のボロアパートに住み、バイトをしながら食いつないで、漫画を描いていた。
「食費、光熱費、水道代、スマホ代、保健医療費、家賃もろもろを引くとあんまり残んないな、バイト増やそうかな。でも漫画描く時間も確保せにゃならんし…。」
家族を持つことも、車を持つことも、贅沢も、貯金すらろくに出来ない人生に自分の選択でしたのだ。好きなことをやっていても生活は苦しく、たまに何もかもリセットしたいような気になった。彼にはもう漫画で成功することしかなかった。そういった自負だけが彼を支えていた。老後の幸せのことなんか考えていられる余裕はなかった。
ウー、ウー
外からサイレンの音が聞こえる。
「近いな、なんだろう火事かな。」
彼が扉を開けると、どす黒い煙が部屋に入ってきた。
「ゲホゲホ、おいウソだろ。」
サイレンの音が近づいてくる。
燃えていたのはアパートの自分の部屋の下の階だった。
「おい早く逃げろ!火がまわってきてるぞ!」
前澤は水を含ませたハンカチを口にあてがい炎と煙を避けて下の階に降りていった。
彼は自分の部屋が炎と煙に包まれるのを野次馬に混ざって眺めていた。
「パソコンも液タブも、描いてた漫画のデータも原稿もみんな消えちまった。ああ…でもまぁ最初から何もなかったようなものかもな…あの部屋には…」
アパートは全焼し、一階に住んでいた大家さんの人のいいお婆さんは亡くなってしまった。彼は引っ越すことを余儀なくされた。
収入源はアルバイトで、両親とも他界していて、頼れる親族もなく、保証人はいない。彼はそれまであまり意識したことはなかったが、天涯孤独の身とはこんなにあっけない感じなのかという感想を持った。
不動産会社ではあまりいい顔はされなかった。
「漫画を描かれてるんですか?」
「ああ、まぁ、プロではないですけど。」
「それならこちらの物件とかどうでしょう。」
彼は担当者の話をよく聞いていなかった。もう色々なことがどうでも良く思えるようになってしまっていた。このまま自分と一緒に世の中も終わっちまえばいいのにとも思った。
勧められたのは「有隣荘」という名の古いボロアパートだった。
色々なクリエイターが集まるというコンセプトのアパートで、打放しコンクリートで、4階建てで、築五十年で、家賃は水道光熱費や無線LAN費用など含め月額3万円だった。大家さんと話がつき、希望の部屋を見つけ、内見に行き、流されるまま全てがスムーズに進んでいった。クリエイターのための物件というが、そのことにはあまり関心がなかった。クリエイターという肩書だけで格安で住めるところが見つかってありがたかった。
彼が入居日に玄関口からアパートに入ると、玄関の横に共用スペースがあった。20畳くらいで、広いテーブルと椅子が並んでいる他には何もない。そこに何人か住人が集まっていたので挨拶に行った。
ボブヘアにメガネで、地味なファッションで、パソコンで何かしらのデザインをしている女性。自分と同世代に見える。腕の模型のようなものを持ちこちらを見る、角刈りでくたびれた白いシャツを着た初老の男性。共用スペースでドラムスの練習をするホームレスのような小汚い格好をしたじいさん。
なんだか胡散臭かった。
「君が新しく入る人ですね。」
初老の男性が干からびた腕のようなものを持ってこちらへ寄ってきた。
「君、これ買わないかい?幸運を呼ぶかっぱの手のミイラ。地元の土蔵の奥深くに眠っていたのを引き取ったんだ。3000円。今ならオリジナルキャラクターのカッパちゃんのポストカードもついてくるよ。」
「へ!?」
「そのポストカード私が作ったんですよ。」
パソコンで作業をしている女性がこちらを見る。
見たことのないキャラクターだった。
「どこかで使われてるんですか?このキャラクター。」
「今は彼のオカルトグッズにだけよ。」
じいさんは相変わらず一人でへたくそなドラムスを叩いている。
前澤は、なんだ自称クリエイターの集団かと思った。自分だって人のこと言えないけれど。
報われない者が最後に集まる吹き溜まりのようなところに来てしまったのだと思った。
自分の部屋へ行くと、部屋の前の廊下に前髪がぱっつんで、タートルネックでジーンズを履いた、30代くらいの男がタバコを吸いながら立っていた。
「こんにちは。」
前澤は無視した。そのまま部屋に閉じこもった。一人になりたかった。
それから数日の間に何度かその男と廊下ですれ違った。男は無視されてもめげずに挨拶してくるのだった。
前澤は共用スペースを避けて、裏口から出入りしていた。彼らと馴れ合ってもしょうがないと思っていた。
彼は冷蔵庫以外には何もない殺風景な自分の部屋で、ずっと何をするのでもなく寝転んでいた。時々スマホを見ては、ただ天井を見つめているのだった。アルバイトに行く気力もなかった。
漫画やアニメにも希望のない暗いバッドエンドの作品はある。恋や夢や希望が報われなかったり、なんの意味もなく登場人物が殺されたり、最愛の人が自殺したり。できるだけそういう作品やその結末を見ないように忘れるようにして努めてきたことを思い出したのだった。
何もする気が起きなかった。なにも思い浮かばないし、描けなかった。これがスランプなのだろうか。
「俺の人生はバッドエンドで終わるのだろうか。漫画とかアニメだったらいいけど、他人事じゃないってのは辛いなぁ。」
グルルル。
絶望すれども腹は減る。冷蔵庫には何もないので、外に材料を買いに行こうと思い立ち上がった。
廊下でまた前髪がパッツンの男がタバコを吸っていた。すれ違う。
「こんにちは。」
前澤は無視する。
「君漫画家志望なんですって?」
「……………。あの、それ誰に聞いたんです?」
「大家さんです。入居するときに聞かれたでしょう?」
「あんまり知られたくないので、それと俺のことは放っておいてもらえます?」
「せっかくこんなアパートにこして来たのに?」
「はは…自称クリエイターの集まりのね…。」
「……うん……僕から言えることは……あまりないですけど…あなたが、あなたにとっての暗闇の中にいて堕ちて行こうともそこにささやかな幸せはあると思いますよ。だから生きることを諦めてはいけないですよ。道端のどんなに小さな石ころにだって雑草にだってこの世の美しさと残酷さが詰まっているんですから。」
「…はあ。」
「後半はある漫画の受け売りです。つまり気分転換にそのへんを散歩でもしてきたらっていうことです。この辺ではアパート横の小川の桜並木がきれいですよ、桜は咲いてないですけど。」
前澤は買い物ついでに、そこへ行くことにした。
裏口から出ると川を挟んだ両脇の桜並木が見える。まだシーズン前なので桜は咲いていない。人もまばらだ。
そこを歩いていると、真っ青な空や小鳥のさえずりや桜並木の横の公園で遊ぶ子供の声に、どうとでもないものに癒やされる。
「なあ、ともちゃん、きれいだねぇ。もう梅は咲いてるねえ。」
彼は振り返る。
「父さん?」
今、確かにもう何年も前に死んだ父親の声が聞こえたのだ。
前澤が5歳の頃に母親は病気で死んだ。なのでほとんど彼女の記憶はない。
だからだろうか、父親は仕事であくせくしながらも、時間の許す限り前澤にかまってくれたのだ。彼は仕事を真面目にこなし、また家事にも手を抜かない、優しくて全てのことに丁寧な人だった。
幼少期の前澤は父親に連れられて近所を散歩をするのが好きだった。
「あそこに橋みたいのが見えるだろ?あれは水道橋って言って向こうの丘まで水を運んでるんだよ。あそこに石垣の跡があるけど、たぶん昔は立派なお屋敷があって…。」
地元の満開の桜並木の中二人は歩いていた。
父親が見聞きした蘊蓄を話すのを横でぼおっと聞きながら散歩をするのが好きだった。話してる内容よりも周りの自然や町並み、雑多な人々や父親のささくれた手の感触など様々な情景が強く記憶に残っていた。
現在の前澤が顔をあげると真っ青な空に飛行機雲がかかっていた。公園では子どもたちがかけっこや凧揚げなんかをして遊び、小鳥がさえずり、足元では新たな草木が芽吹き始めている。
彼はそれらのささやかさを愛おしく、美しいと思った。
そして自分がずっと下を見て歩いていたことに気づいた。
彼の心残りは父親の死に立ち会えなかったことだ。その頃前澤は漫画のアシスタントをしていて、激務で碌に眠る事もできず、田舎の病院にいる父親の死に際に間に合わなかった。病院についたときには面布が顔にかかっていた。
父にさよならを言えなかった。ずっとそれが言いたかった。心残りだった。
前澤は公園の隅で自然に静かに泣いていた。友達と凧揚げをして遊んでいた男の子が前澤のところまで走ってきた。
「おじさん、大丈夫ですか?泣いてるの?」
「うん、こんにちは。大丈夫なんでもないよ。」
前澤は涙を拭った。
「こんにちは。ほんとうに?……ふーん、そうなんだ。じゃーねー!」
「じゃーねー。」
アパートに戻ったら前髪がパッツンの彼にあいさつをしてお礼を言おうと思った。
自分の感じたささやかな美しさ、情景を漫画に描こうと思った。父親から貰ったものを、他の誰かに贈り物としてパスしたいと思った。
彼が夕方にアパートに戻るとちょうど前髪のパッツンの男が裏口から出てくるところだった。
「またあいましたね、どうですかこの街は?」
「美しい街です。あなたのアドバイスでそのことに気づくことができました。ありがとう。」
「今から飲みに街に繰り出そうと思うのですが、あなたもどうです?」
「!ご一緒させてください」
「僕はここではみんなから宇宙人くんとよばれています。よろしく。」
「宇宙人!?前澤ですよろしく。」
前澤は何週間かかけてマンガ原稿を完成させた。明るい未来でも、暗い絶望でもなく、ただ淡々と自分の感じた現実そのものの美しさを描いた。それには確かな手応えを感じた。内容は絶望していた青年が少年時代を回想して復活する話だった。
編集部に持ち込むと、担当編集者が絶賛した。
「これだよこれ、こういうのが欲しかったんだよ。いいじゃない。現実と向き合ってるじゃない。」
彼は編集者を殴りたくなった。
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