私とポルカを、きみとギャロップを!

海道ひより

雨降って地固まる

「やぁ、会いに来たよ! きみは今日も麗しいね!」

「そういうの本当に止めて欲しいんだけど」

「止めないさ!」


 私立高嶺華たかねばな中学校に、今日も煌樹きらきふじの高笑いが響き渡る。

 彼女の声に周囲はいつものことだと教室中のクラスメイト達は微笑ましく見やるが、藤に愛を言われた側である高森たかもり裕二ゆうじはたまったものではないと赤くなった顔を、手で隠し俯いた。


「おや、どうして顔を隠すんだい? 裕二の顔はいつだって素敵なのに」


 ふふ、と笑う藤をじとりと睨む裕二。

 容姿も行動も王子様然とした藤は、裕二と同じ十四才の幼なじみである。

 高身長、モデルのような細身の体格、性格も強く優しく麗しく、藤は学内でファンクラブが出来るほどの人気者だった。


「照れ屋で恥ずかしがりな性格も、裕二の良いところだけどね!」

「誰のせいで、こんな性格になったと……」

「? なんだい?」

「っそれよりも何の用。ひる食ってんだけど」

「相変わらず裕二は偏食だね。給食くらいマトモに食べたらどうだい?」


 素直な疑問をぶつけた藤にうるさいと返して、裕二は持っていたアンパンを一気に食べる。

 藤に対して高森裕二は顔こそ美少年だが、偏食がたたって低身長が目立つ。見た目だけなら小学生に見えなくもないだろう。


「いいでしょ別に。それよりも用事、何?」

「それでは、風紀委員会の設立について話そうか」


 藤がにんまり笑いながら、唐突に風紀委員会の設立について話し始めようとする。


「風紀委員会? 何の話?」


 まず疑問を解消させてほしい。困惑しきりの裕二を無視して、朗々と藤は説明を始めた。


「風紀委員会はね、学校内でマナーやルールを守ることを目的にする『学生』委員会だよ。 学生同士で学校内の問題を解決し、自分たちの学校環境を整えることができるのさ」

「いや、風紀委員会が何なのかは知ってるけど。それが何?」

「この高嶺華を守っていこうじゃないか! 私達が風紀委員となって!」

「なんで??」


 話の前後がまるで分からないままの裕二の手を取り、藤は彼を連れて教室から出ようとする。


「待って藤、本当に意味が分からないんだけど。そもそもこの学校に風紀委員は無い、」

「だから作るんじゃないか!」


 藤は裕二を引きずりながら元気よく答えた。

 引きずられるままに二人が辿り着いたのは職員室。勢いよく引き戸を開けた藤は、元気良く一人の教師の名を呼んだ。


「陽先生!」


 藤の通りの良い声に肩を跳ね上がらせ、振り返ったのは男性の教師。

 彼は国語を担当しているハイネひろだ。三十代前後の若さで、かつドイツ人と日本人のハーフで顔立ちがまた整っている人物である。

 

「っえ、ぁ……煌樹さんか。ええと、まさか本当に人を集めたとか言うつもりじゃ……」

「私だけじゃ風紀委員会の設立は無理だと言っていただろう? だから連れて来たよ、我が愛しき高森裕二を!」


 さぁごらん! と言わんばかりに裕二を見せびらかす藤に、顔を手で覆い隠す裕二の姿。陽はため息をついた。


「分かった。……分かったから、煌樹さん、とりあえず声量を落として……」



 陽は二人を高嶺華の部活棟の空き部屋に案内した。

 しばらく使われていなかったらしい薄暗い部屋だった。カーテンの隙間から差し込む日光が空気中のホコリを不相応に光らせている。

 備品は最低限のものだ。何も入っていない棚、学習机が二台と椅子が二脚散らばっていて、閑散としたものだった。

 裕二は少し咳き込み、藤は相変わらずの高笑いを響かせる。


「あっはっは! 暗い! まだ昼休みだというのに!」

「藤、うるさい。何も無いから反響して余計に声が響く……。陽先生、いろいろと説明してほしいんですけど」

「えぇ、と。どこから……最初から説明した方が良いかな」

「お願いします。藤からだと要領を得ないどころか、意思疎通が困難な時があるんで」

「実に失礼だね!」


 そう言いつつも藤が怒っている様子はまるで無い。

 部屋の電気をつけてから二人を空き部屋に招いた陽は

 、少し疲れた様子で説明を始めた。


「……その、煌樹さんが自分のファンクラブの子から『高嶺華中の治安が悪化している』という話を聞いたらしくて」

「治安悪化? そんな話がうちにあるんですか」

「私が聞いた話だと、不良グループがカツアゲしていたり、イジメをしていたり。その話はさまざまなのだけどね……」


 珍しく眉を下げて心配している様子の藤に裕二はおどろいた。

 だけど「藤にも人の心があったのか」だとか、そういう余計な一言はあえて何も言わず、説明を引き続き聞くことに専念した。


「僕達の方でも、聞き及んでいることは何個かあって。だけどこの学校は、ほら、こう。親も生徒も自由というか」

「あー……」


 裕二は納得して、気の抜けた声をあげた。

 高嶺華中学校は私立校であり、親の収入がそれなり以上の家庭環境の生徒が多い。

 藤のような先の先まで突き抜けた変わり者はそうそういないが、自由な校風というのも相まってか生徒も自由気ままで奔放な者が多い。

 それは良い意味でも、悪い意味でも。


「つまるところ先生達はモンスターペアレンツ、問題行動を起こしている生徒の親に気をつかって動けない。だからこそ私達の出番さ!」

「いや何で『だからこそ』?」


 裕二の疑問に陽が答える。


「生徒達が自主的に活動するのに、先生も親も何も言えないよ。それが真っ当な理由なら……なおさらだ」


 陽の言葉に頷いた藤は、裕二に向かって右手を差し出した。さながらダンスに誘う王子様のようだ。


「さあ、私達の風紀委員活動を始めようじゃないか!」


 ◇◇◇


 ――彼女らが風紀委員会を設立してからというもの、またたく間に数多の問題を解決していく快進撃を見せた!

 その活躍ぶりたるや、高嶺華中に関わるなら見ず知らずな者おらずなんてところまで来ている。

 はてさて風紀委員会は一体全体どのような活動をしているのか? 我々新聞部は彼女らを詳しく知る一人の男子生徒に話を聞くことに成功した。以下はその一部である。


「煌樹が何してるか? ……煌樹は何もしてねぇよ、高森の方が毎回ブチギレてるのは知ってんだろ」


 ――高森くんは一見すると虫も殺せないほどに華奢な印象を受けますが、そんな彼が怒っていても正直大したことはないのでは?


「大したことないとか口に出来るやつは、そういないだろうな。あの野郎は暴れまわるマジの猛犬だ」


 ――では煌樹さんはそんな彼の飼い主と?


「見てるだけなら二人は確かに飼い主とペットさながらだ。だが煌樹は、アイツは暴力を良しとする人間じゃねぇ。良くねぇって思ったことに自論を言っているだけだ。それに痛ぇってなるやつが逆ギレしてアイツに殴りかかって、横で突っ立ってる高森がキレる。よく見る光景だな」


 ――煌樹さんのことをとても理解しておられるのですね!


「ばっ、ち、違ぇよ! アイツを見てりゃ誰だって分かることだろ!」


 ――以降は我々が新聞部であることが男子生徒にばれてしまった為、取材続行が困難となってしまった。

 しかしながらコンセンサス合意を得ていないにも関わらず、ここまで取材に応じてくれた男子生徒(N氏)に感謝を述べさせていただく。

 そして我々新聞部は読者諸君に誓おうではないか!

 高嶺華中で最もホットなトピックスである煌樹藤を中心に風紀委員会を追い続けることを!



「学内新聞じゃないか。風紀委員会の活躍でも書いてあったのかな?」


 風紀委員会室で苦虫を噛み潰したような顔をしながら学内新聞を読む裕二に、藤が対面に座って笑いながら声をかける。

 彼女らがいる風紀委員会室は藤達と藤のファンクラブによる清掃活動により、ホコリだらけだったのが想像つかないほど綺麗に生まれ変わっていた。

 磨かれた机にはファンクラブからの差し入れである手作りのお菓子が菓子盆に納まってちょこんと置かれ、空っぽだった棚には裕二の好きなマスコットの大小さまざまなぬいぐるみがこれでもかとみっちり詰められている。

 放課後になると、ここに集まるのは二人のルーティンになっていた。


「まぁ、ある意味そうかも」

「では私も読んでみなくてはいけないね!」


 藤は裕二の手元にある新聞を覗き込み、フムフムと満足げに笑んだ。


「なるほど、このNくんは私達のことをよぉく分かってくれているようだ!」

「そうだね」


 素っ気なく返事をした裕二にはNが誰なのか、予想せずとも分かった。

 成田なりたたける。藤と裕二の一つ上の先輩であり、高嶺華で最もタチの悪い不良だと思われていた大柄な男だ。

 この男は学内学外を問わず、喧嘩で病院送りにした人数が多い。単に粗暴であるとか人を殴るのが好きなのだとか、根拠も何も無い噂は多かった。

 そんな成田を退学処分にする為の決定的な事柄を掴むよう、風紀委員会へと依頼を持ち込まれたのである。

 しかし行動というのは、何事も必ず理由を伴うものだ。

 そう言い切った藤は(いつもそうなのだが)成田との会話を選んだ。なぜそのような行動をしたのか、ホワイダニットを知りたいと思ったのだ。

 真摯に向き合い会話を試みる藤に高鳴る胸の鼓動を疎ましく感じた成田は、つい彼女に手をあげてしまい……裕二がキレた。一昼夜に及ぶ殴り合いの喧嘩をしたのである。


「ふふ、私達の熱烈なファンなのかな」

「ノーコメント」


 その喧嘩の結末は藤の預かり知らぬところとなった。

 ただし藤が事の顛末を全て知ったとしても、成田が手をあげた理由を知ったとしても、彼女は暴力行為に関して困った顔をするだろうが――それが自身に向けられたことに怒りも何も出さないだろう。

 そもそも他人を理解することが藤は出来ない。本人が自覚しない、まさしく人の心が分からない蒼穹の鈍感だった。

 だから相手の機微など、直接に聞かなければ分からない。

 藤のそういうところが敵を作るし、変な奴に好かれるところなのだと裕二は分かっていた。


「裕二の魅力が伝わっているのも嬉しいことだ」

「……」

「私が好きな裕二を、皆にも好きになってほしい」

「……」

「愛してるんだ、裕二。ずっと昔からね!」

「……っ」


 人の心が分からないままに愛を伝え続ける藤に、裕二は頭を抱える。

 愛の言葉は愚直に、無責任に。彼がそんな彼女に対して持ち合わせてしまった感情が〝怒り〟だった。


 ◇◇◇


 そして、ついに。わだかまりは致命的なものとなった。

 話のきっかけなど些細なものだ。

 愛と好意を伝え、それをやめてくれと言った裕二の言葉を全く聞く気が無い藤。

 二人のいつも通りの光景だ。しかし、その光景こそが最も嫌だった裕二はいよいよ堪忍袋の緒が切れてしまった。


「藤のそういうところが嫌いなんだ」

「……え」

「照れ屋? 恥ずかしがり屋? 誰のせいでこうなったと思ってるんだ、全部お前のせいだ!」

「わ、私の……?」


 困惑している藤に向かって、裕二は目をつりあがらせながら憎々しげに睨んだ。


「そうだ、俺はこんな性格になりたくなかった。お前が好きとか愛してるとか言わなかったら……こんなみっともない性格にならなかった」

「……私は。私はただ、裕二のことが好きで、」

「それが嫌いなんだって言ってるんだ!」


 裕二の叫びに目を見開き、藤は俯いてしまう。

 彼女の普段の快活さが消えてなくなり、顔に影を落としている。


「ご、ごめんね。ごめんなさい裕二。謝るから、だから嫌わないで、ごめんなさい……」


 喉をひきつらせながら震えた声で謝罪を繰り返す藤は、今にも泣き出してしまいそうだった。


「……ふん」


 裕二は謝罪を受け入れることなく、背を向けて風紀委員会室から出てしまう。

 藤の姿が痛々しくて、その場にいるのが嫌になって、そして見ていられなかったのだ。



 愛してやまない人に置いていかれてしまった藤は、どうやって家まで帰ってきたのか、記憶が曖昧なままにふらつく足で自室のベッドへ倒れこむ。

 ひどい自己嫌悪とめまい、身体が末端から冷えていく感覚。それから吐き気に襲われて動けない。

 様子のおかしい妹を心配する姉の声が部屋の外から聞こえてくるが、藤は返事をすることも出来なかった。


「私の、せいだ。私が裕二を、私が……傷付けてた」


 枕に顔を埋め、悲鳴にも似た声をあげる。

 くぐもった声は誰にも聞こえない。心がきしんでヒビが入った亀裂音は、本人にしか聞こえなかった。

 どうしてこんなことにしまったのか。自問自答する間もなく、藤は「私のせいだ」と結論づける。

 愛を伝えなければ、好きだと伝えなければ。

 もしかしたら、彼は生きたかった通りに生きていたのかしれない。藤が性格をねじ曲げるほどに愛を伝えていなければ。

 やめろと、確かに裕二には言われていたのである。それを聞かなかったのは藤の不徳で、自業自得だった。

 藤は横たわった身体を縮こまらせる。身を切り裂くような痛みが走った気がした。

 寝返りを打つと本棚が見えた。そこには美容系を初めに様々なファッション指南書や、姉から借りている「かっこいい・頼りがいのある女キャラクター」が登場する漫画が棚に差されている。

 その全てが虚しくなり、それらが視界に入らないように、藤は布団を頭まで被った。

 暗闇の中で藤は夢想する。あれは……何年前のことだったか、ともかく二人が幼少期だった頃の昔話を見た。



 夕暮れの街を走る幼い子どもが二人いる、それは幼少期の藤と裕二だ。


「ゆうくん、足おそいー! 先に行っちゃうぞ!」

「ま、まってよぉ……ふじちゃん早いよぉ……!」


 裕二は泣きながら、先を走る藤を追いかける。

 そんな様子を毎日のように見ているから、藤は「裕二は守ってあげなくちゃいけない存在」なのだと常日頃から思っていた。

 これが幼少期の〝いつも通り〟だった。

 いつも通りを過ごして、いつも通りに藤が裕二を振り回す。しかし当時の藤はより考え無しであり、興味が出たことにはどんどん突き進んでいく性格だった。

 そして当然ながら二人は見慣れた街から離れ、迷子になった。

 夕日が燃える河川敷で、藤は焦燥と不安から泣き出してしまう。裕二を守らなくちゃいけないのに、そう思っても溢れる涙をこらえる方法を知らなかったのだ。


「ご、めんねぇ……っわたし、わたしのせいで……」

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。ふじちゃん」


 泣きじゃくる藤に、裕二は涙をボロボロと溢れさせたまま笑った。

 彼は藤を安心させようと必死だったが、手の震えと涙は止まらないままだ。しかし、その震える手で藤の手を包み込む。


「ぼくならだいじょうぶ。ね、なかないで」

「……うん……」



 あぁ……そういえば、そうだったなぁ。藤は大事な昔の記憶を、ゆったりと思い出した。

 アレから、裕二の目の前では〝二度と〟涙を流さないと決意したのだ。

 もうみっともないところは見せない、頼りがいのある人でいたい。

 それからというもの、姉が好きな漫画の中で一番かっこいいキャラクターを教えてもらい、まずそのキャラクターを真似た。性格も言動も服装も気を付けるようになった。

 かっこよくありたい。全ては手を握ってくれた、裕二の為に。


「……でも、それが」


 彼の為を思ってしていた行動は全て裏目になっていた。

 それどころか裕二に嫌われてしまっていたのだ、他でもない自身のせいで。

 自己嫌悪で胸を締め付けられ、喉奥まで這い上がってくる不快感に耐え切れそうになかった藤は青い顔で部屋から出た。


 ◇◇◇


 煌樹藤は学校に来なくなった。

 学校中を高笑いで響かせていた明るい彼女の不在は生徒達の不安を煽り、更には風紀委員会長の活動を疎ましく思っていた不良達がこれを機にと活動を再開し始めたのだ。

 高嶺華中はまたも治安悪化の一途を辿ろうとしている。


「おい、高森」


 風紀委員会室に荒々しく入ってきたのは成田武だった。

 成田は大柄ではあるが痩身で、見た目だけなら雑誌のモデルを飾っていそうな男だ。なお素行に関しては押して知るべし。

 その彼は怒りで顔を歪めており、握られた拳は今にも目の前の人物を殴らんと力を貯めている。


「成田」

「テメェ、アイツと何があった」

「アイツって何」

「とぼけるな、煌樹に何をしやがった」


 全く引き下がらない様子の成田に、裕二は先日のことをこんこんと説明した。


「……それがテメェの言い分か?」

「そうだよ。藤だってどうせすぐ元気に戻っ――」


 言葉を続ける前に、成田の拳が裕二の額を捉え、殴った。

 成田は床に転げた裕二に馬乗りになり、左頬に更に重い一撃を加える。

 その衝撃で口の中が切れ、裕二の唇から赤い液体が滴り落ちた。


「ッ痛てぇ……」


 自身にまたがり殴りつけてきた成田を睨みあげるが、成田は睨まれたことも気に介さずに裕二の細首に右手をかける。

 そのまま力任せに絞めることはなかったが、成田の剛腕では首の骨を折るなど容易いことだろう。

 焦る裕二は腕を離そうとしたが、ビクともしない。


「は、なせっ」

「言い訳しなくなったらな」

「はぁ? 何の話」

「さっき言ったよな。テメェのみじめな性格は煌樹のせいだってよ」

「だって、藤がそもそもの原因、」

「他人のせいにしてんじゃねぇぞ!!」


 ぎり、と首を絞める力が上がる。

 意識が飛ぶほどでないにしろ、裕二は気管が絞められて息がまともに出来なくなる。


「煌樹は……テメェが好きなだけだ、だから好きだと言っているだけだ。そこにテメェの性格云々は関係無いだろうが! 逆ギレすんじゃねぇ!」


 沸点に到達した成田は裕二の胸ぐらを掴んで立ち上がったかと思うと、壁に投げつけた。

 壁に激突し、ずり落ちる裕二の痛みに呻く声をかき消すように、成田は更に言葉を投げかけ続ける。


「他人を責めるその態度が気に食わねぇんだよ。クソッタレな性格はテメェ自身のせいだ、アイツのせいじゃねぇ」

「……」


 裕二は言い返せなかった。

 悪化し拗らせたのは藤のせいに違いない。しかし元よりこんな性格だったのではないか、裕二はそんなこと思いたくなかったが否定も出来なかった。


「なんでアイツは、煌樹はこんなやつのことが……!」

「成田……」


 裕二は成田が藤のことを好きなのを知っていた。

 教えてもらったわけではないが、誰でも分かるくらいに成田の態度や言動が物語っていた。

 分かっていないのは、当人である藤と認めたがらない成田くらいだろう。

 そして裕二には常々思っていたことがあった。藤と成田が付き合えばいいのではないか、と。

 そうすれば成田は好きな人と付き合えて万々歳であり、裕二自身も藤に口説かれることは無くなるだろう。

 でも、この心の痛みは何なのかと裕二は胸を押える。


「ってめぇは! 煌樹のことをなんだと思ってんだ!」


 裕二の肩を両腕で掴み、がなる成田の顔は真剣そのものだった。

 その言葉への答えは――


 ◇◇◇


 登校することが出来なくなってから、もう三日になる。

 授業の進みはどうなってるのだろうか、ファンクラブの皆は心配してるだろうか。何より裕二はどうしているのだろうか。

 あれやこれやとぐるぐる考えを巡らせて、頭痛を紛らわせる。

 せめて学校には行かなくてはと思っているのに、藤の身を襲う体調不良がそれを許さなかった。

 深いため息が出る。その直後に来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 まともに動ける状況ではなかったが、そういえば昼過ぎになると家族は全員出払ってしまうことを思い出す。

 藤はもぞもぞとベッドから起き上がり、仕方なしに来客対応をすることにした。


「はい……どちら、さ……」


 来客の姿を見た藤はバタン! と思いきり扉を閉めた。

 すぐに呼び鈴を連打する音が聞こえてくるが、藤は混乱して更にあせってしまう。

 だって、かの愛しい人が、裕二が目の前に来ているのだ。


「ま、待ってくれ。すぐ身支度するから……!」


 玄関向こうの裕二に向かって叫び、ドタバタと髪や服装を整え始めた。

 一瞬のことで裕二からは顔すら判別出来てないかもしれないが、部屋着でボサボサの髪で情けない姿を見られたのが藤は恥ずかしくてたまらなかった。

 最低限、だけど出来る限りのことをして、やっと裕二の出迎えをした。


「っお待たせしたね! いらっしゃい裕二、きみから私の家に来るなんて珍しいから、その、びっくりしてしまったよ!」

「何がなんでも話さないといけないことがあるからな」

「……じゃあ、リビングで話そうか」


 藤の住む家は都心部にある一軒家で、そこそこ豪華でそこそこの広さがあった。リビングも広く海外ブランドの家具類がいくつも置かれている。

 そのうちのひとつである大きなソファに腰かけた藤は、空いている隣りのスペースをトントンと叩いて裕二にも座ることを促した。

 特に嫌がる様子もなく、裕二はそれに従う。


「どうしたんだい? 今日はやけに殊勝じゃないか」

「謝りに来たんだから、そうなるよ」

「……あのことなら私が悪かったろう?」


 気丈に振舞っていた藤だが、この話題となるとやはり声と手が震えてしまう。申し訳ない、怖い、嫌われたくない。

 強がったままで震える藤の手を、裕二が細くも男らしい骨ばった両手で握る。


「ぁ……」

「藤は何も悪くない。……いや、少しは悪い部分あるけど本当に少しだけ」

「っふふ。フォローしたいのかしたくないのか、どっちなんだい?」


 裕二の率直な言葉につい笑いがこぼれてしまう藤に、安堵した顔をした裕二は意を決して本題を口に出した。


「藤、あの時は本当にごめん。ひどいことを言ったし、藤の気持ちを傷付けた」

「あのことかい? あれは……私が裕二を理解出来てなくて、嫌がることをしてしまったから、ああなったんだ」

「違う……違うんだ、藤」

「自業自得というやつだよ。でも……嫌いなままでもいい、お願いだから私と仲良くしてほしい」

「っ嫌いなんてこと、あるもんか!」


 ぐいっと身を乗り出した裕二の顔が近くなって、つい頬が赤くなった藤は真剣な顔の彼から目線をそらすことも出来なかった。


「藤、俺はずっとお前を幼なじみとしてしか見てなかった。愛してるとか、そういうのもからかう為の冗談だって勝手に決めつけてた」


 藤の手を握る力が強くなる。


「でも……この前、藤をどう思ってるのかって言われて考えたんだ。例えば藤が他の誰かに愛を伝えるようになったらと思うと、凄く嫌な気持ちになった」

「それ……は、嫉妬かい?」

「そうだよ。もしもを考えるだけで、すごく腹が立った」


 それを聞いた藤はなんだか気恥ずかしくなり、「そっかぁ」と小声で呟いた。

 泳いだ目線は握られた手に移動して、更に恥ずかしくなる。


「藤、ようやく気付いたんだ。俺は藤が好きだ」

「っ!」


 裕二からの初めての愛の言葉に、藤は顔も手も耳も真っ赤になる。まさに沸騰しそうだ。

 奇声を上げながら走って逃げ出したい気持ちにもなったが、掴まれた手がそれを許してはくれなかった。


「俺と……付き合って、くれませんか」


 藤と同じくらい顔を赤くした裕二は、声をか細くしながらも何とか告白を伝えることが出来た。

 もはやパニック状態の藤は、何がなんだか分からなかった。だけど言われた言葉はずっと聞きたかったもので――


「もちろん! 裕二、裕二! 愛してる!!」


 喜びを、愛を。満開の笑顔で、ひたすらにまっすぐ返した。


 ◇◇◇


「というわけで私は元気に高嶺華中に戻ってきたわけさ! 寂しくさせたね、成田先輩」

「だだだ、誰が寂しいとか言いやがった!?」

「裕二からに決まっているじゃないか!」

「テメェ……」

「殴られた仕返しだよ、成田」


 煌樹藤の帰還。風紀委員会室は騒々しい日常に戻った。

 ファンクラブの者達は大いに喜び、部屋の机には快気祝いの菓子類などのプレゼントが整然と並べられてた。

 成田武もこそこそと藤の様子を見に足を運んだのだが、目ざとい藤と裕二にすぐに見つかり、そのまま風紀委員会室に連れ込まれたのである。


「それから成田先輩にはお礼を言いたかったんだ! 先輩が裕二に発破をかけてくれたおかげで、私達は正式に付き合えることが出来たんだよ!」


 にっこり! と幸せそうな笑顔で報告する藤。

 藤は成田の気持ちに全く気付いていないので、気遣いも何も無い、人の心が無いストレートなカップル成立報告をしてしまう。

 それを聞いた裕二は笑いを必死におさえていた。


「……そうかよ」

「っふ、くく……あれ? 成田怒らないんだ?」


 成田は神妙な面持ちで、藤と裕二の二人を交互に見た。


「煌樹が幸せなら、いい」

「!」


 成田の存外大人な発言に裕二は驚いた。

 てっきり殴らせろとか、暴言を言われるものだと思っていたからだ。


「ただな! これだけは言わせてもらう!」

「なんだい? なんでも受けて立とうじゃないか!」


 びしっと煌樹に指をさした成田は少し言いよどみながら、言葉を濁しながら、数秒たって、やっとまともな言葉を発した。


「俺は、俺は……煌樹を絶対に惚れさせてみせるからな」

「なっ……」


 あ然とする裕二を置いて、藤は挑戦的な笑みを浮かべる。


「おやおや、裕二一筋の私が成田先輩をかい?」

「そうだ! か、勘違いするな。テメェが俺に惚れたら高森に喧嘩でも恋愛でも勝ったってことになるからな。そ、それだけだ!」


 そう言いきった成田は風紀委員会室から脱兎のごとく逃げた。

 彼を止める者はいなかったが、二人が残った部屋には藤の高笑いが響いた。


「あっはっは! 裕二、どうする?」

「っどうするも何もない。藤が浮気しなきゃいいだけだろ」

「おや、そういう捉え方をしたんだね。私は成田先輩は本当に負けず嫌いなんだなと、とても感心したところだよ!」


 藤の言葉に裕二は深くため息をついた。


「俺は今、本気で成田に同情してる。してもいいよな……成田……」


 だけど、この煌樹藤という女に振り回されるのは悪くない。

 裕二は成田に殴られた頬の痛みと、藤の熱い手の感覚を思い出して控えめに笑ったのだった。

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