援軍へ向かう

「お兄さん聞いたよー。主題歌のお仕事、引き受けたんだって?」

「……」

「舌の根も乾かないって言葉がここまではまるケース、私初めてみちゃった」

「ちゃうねん」

「何か喋り方おかしくない? てかこっち見よ?」


トレーニングに入る前。着替えてトレーニングルームに向かう時に後ろからそう声を掛けて来たのは翼ちゃんだった。


彼女の言葉におずおずとそちらに視線を向けると、私服であろうカジュアルな姿の翼ちゃんが、ジト目の上で笑みを浮かべるという器用な表情でこちらを見ていた。


「デビューおめでとう、お兄さん」

「デビューはしてない……」

「テレビ番組の主題歌を担当とか、どう考えてもメジャーデビューだよお兄さん」

「うっ……てか誰に聞いたの」

「瀬能さん」


瀬能さんは現在俺のメディア対応を担当してくれている、ある意味マネージャーのようなポジションの人である。というか個人情報漏洩では?


同一組織というか同一グループ内の人間だし、別段秘密にしてくれとも言ってなかったけどさ。


で、だ。


翼ちゃんにこんな感じで絡まれているのは、彼女の言葉の通り、舌の根の乾かないうちに俺が前言を翻したからだ。


前回彼女に"当面歌の仕事は受けない"ような事を言ってから一週間程。ちなみにこの件に関する話を貰ったのは今から3日前だから、宣言からは4日後の事だ。


ラジオの歌の提供の仕事をしてから、明確に声に関する仕事の依頼が増えた。直接顔や正体を晒すわけではなく、一度声を公開してしまえば以降は抵抗がないと考えられたのだろう。実際"声"の公開をした以上、声を再び公共の電波に乗せる事自体はそこまで抵抗はなくなった。だが勿論ラジオへの直接の出演なんかはする気はないし、歌にしたって翼ちゃんに告げた通り技術を身に着けるまでは受ける気はなかったんだけど……来ている仕事の内の一つをみた瞬間、気が付けば俺はその仕事を受けていた。


「お兄さん、武神シリーズ大好きだもんね」

「うん……」


武神シリーズ。30年前よりずっと続いており、毎年新シリーズが放映されている特撮の人気シリーズだ。ヒーロー物に憧れていた俺にとっては、バイブルの一つのような作品である。大人になってからは子供の頃のような憧れは持たなくなったものの、シリーズはずっと追い続けているくらいには大好きな作品だ。


その次回シリーズの主題歌の依頼が、俺に対して来ていたのである。


ずっと好きだった作品のヒーロー達のバックに、俺の歌が流れるのである。


断る事はできなかったよ……


「まぁほら、依頼は今来たけど収録自体は大分先だから……」

「ふふ、そしたら更に本腰入れてそっち方面のトレーニングしないといけないね。しかしお兄さん割と硬派なイメージだったけど、実は結構ミーハーだったんだねぇ」

「うっぐ」


反論できねぇ。俺が言葉に詰まると、そんな俺を見て翼ちゃんはケラケラと笑った。


「あはは、冗談だよおにーさん。でもお兄さんこのまま行くとそのうち番組本編にも出たりしてね! 一話限りのヒロイン役とか!」

「いやいやいやいやいや、さすがにないから!」


いくら好きな作品だとしても、その出演の仕方はない。

俺が憧れているのはヒーローであって、ヒロインでは決してないのである。

ヒーロー側なら……いやそのポジションだと完全に主役級だし、歌だけならまだっしもそんな役柄の演技なんて俺に出来るわけない。やれると思ったらそれこそ本職の方々を馬鹿にしているだろう。


うん、ありえないありえない。身体能力は上がってるからある程度のアクションには耐えられるだろうけど。


「……興味ありそうだよね?」

「ないから!」


もしかしたらなんて一瞬考えた自分を少し恥じておく。さっき翼ちゃんに言われたミーハーという言葉が本当に否定できない。


「お兄さんお姫様抱っこされちゃったりして」

「やめてくれ」


想像しちゃったから。


ちなみに客観的に見ると絵面的にはかなりいい感じな気がするが、それが自分となると論外である。三十代半ばの中年男性にはそんな願望は一切ない。


「とにかく今回は例外という事で。許してください」

「いや許しを求められても。揶揄いすぎたかな、こっちこそごめんねお兄さん」

「いや、自分でもあんまりにあんまりな前言撤回した自覚はあるから」

「自分の推しているものから依頼が来たらしょうがないでしょ。あ、そーだ今度一緒にカラオケ行こうよ、練習も兼ねて!」

「それは構わないけど、最近の流行り曲とかわからないよ?」

「おっけおっけ、全然構わな……あれ?」


翼ちゃんの言葉が泊り、自分の手首に視線を向ける。


その理由はすぐわかる。なぜなら彼女が視線を向けた理由は、俺の手首でも起こっていたからだ。


腕に着けた腕時計型のデバイス。それが揺れていた。表示板には招集を示すメッセージ。


「……久々の招集だね。タイミングは良かったかな?」

「だな」


ここからならすぐにEGFの車輛で出撃できる。


それにしても翼ちゃんのいう通り久々の出撃になるな。前回、あの黒い砲弾が出現した出撃以降は他の班の担当区域も含めて襲撃は発生していなかった。これくらいの期間なら襲撃が起きない事はそれほど珍しい事ではないらしいが……前回新型が出たことから、それの"調整"が行われていた可能性は想定されていた。


今回はダンゴムシ型と名付けられたあの黒い砲弾は現れるだろうか。一応奴が出現した場合の対策案は検討されているが……


「行こう、お兄さん。美幸さんも家にいるならすぐに来るだろうし」

「そうだな」


最近は別の仕事の話ばかりだったが、久々の本業だ。気合を入れよう。


◆◇


「本当に支部にいてよかったね」

「そうだな」


EGF職員の運転する車輛の中で、俺と翼ちゃんは頷きあう。幸いな事に今日は全員が支部もしくはその近辺にいたため、全員が同じ車に乗っていた。


実際問題、すぐに集まれる場所にいてよかった。今回は出撃先がすぐに向かえる場所じゃなかったからだ。自力で向かおうとするとどうしても時間がかかってしまう。


EGFの車輛なら一般車両……というか一般人が立ち入り禁止な緩衝区域を利用できる。渋滞どころから信号にすら止められることなく走行できるので、各段に早い。速度規制もないので結構な速度も出してるし。ただあくまで一般道だから、結構高低差があったり曲がりくねったりはしているから限度があるけど。


「他所の支部の受け持ち範囲に援軍に向かうのは久しぶりだねぇ」


前の席に座った長船さんがそう口にする。


彼女の言う通り、今回の俺達の出撃先は自分達の受け持ち先ではなかった。具体的に言うと今回の予測地点はウチの2つ隣の支部の受け持ち区域だった。


通常ならこの場合、ウチの支部に出撃義務はない。担当支部とその隣接支部くらいだろう。ウチにも連絡が入るし、いつでも出撃できるように待機はするが。だが今回は待機ではなく現地へ向かっている。ちなみに更に一つ隣の支部も万が一の為に待機しているらしい。


そうなった事情は二つある。


一つはダンゴムシ型の存在だ。まだ出現が一度きりでデータが集まってないアイツに対しては、前回こそはたまたま全て上手く迎撃が出来たもの、単体のチームではリスクが大きい。なので警戒レベルが一つ上がった。今後は出撃や待機の頻度が増えるから忙しくなっちゃうね、などと話をしていた(それでも人員が増えているから初期の頃とは比べるまでもないらしいけど)


もう一つは前回よりもやや進行の規模が大きい可能性があるというだ(大規模侵攻という感じではないらしいが)。それもあり複数支部での対応が必要だと判断が下されたというわけである。








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