閑話 3 女子高生『甘土 霧葉』の悪戯

 いつでも変わりのない景色、見飽きたところであっても代わりの景色を用意する力もなくて、男は教室の中で本を読んでいた。頭の中に非日常のセカイを呼んでいた。

 そのセカイの中ではぬいぐるみや人形が大量に並べられていて、柔らかで可愛らしい幕を演じることを求められていた。紙の束に書かれた文字を追いかけることで広がる世界の中で、彼の中に華やかなピンク色の部屋が広がっていた。

 その男の様子を、瞳を見て、貸出人の少女は大きな本を抱えながら微笑む。

 男のセカイの中では幼い女の子が部屋に入って来ていた。頭の中へとノックを響かせて脳の扉を開いて来るように、想像の中へと割って入る。

 ひとつ、ぬいぐるみを手に取って無邪気な笑顔を、純度の高い澄んだ声を上げて今日もまたぬいぐるみに挨拶をしていた。

 可愛らしい観客にカワイイ主演のお嬢さん、思い浮かべるだけでも読み手の男にどこか罪悪感を抱かせていた。女の子のプライベートを覗き見しているような気まずい空気とそもそも女の子らしさ全開の光景が嫌な熱を頭の中で繰り広げていた。

 女の子の持つぬいぐるみはちょうど抱き締めやすいサイズのテディベア。それを持ったまま学校へと向かってちやほやされていたのだという。

 そうした流れを追いかけること現実では五分未満、作中では数年が経過して行った。

 中学生になっても尚テディベアを胸に抱いて少女は微笑み過ごしていた。そんな平穏は保たれることなく、空気共々豪快に引き裂かれてしまう。近づいて来た同級生が刺々しい声で怒鳴り声を掲げて心を斬りつけてくるのだ。

「おいてめえキモイんだよ」

 同級生の女子、髪を派手な金に染めてセーターを腰に結んで仁王立ちする背の高い美人。彼女の声は、貌は、ぬいぐるみを抱きかかえる少女の姿を捉えることで凄みを増していた。

「おい聞いてんのか貴里子ゴルァ」

 うるさい、それが本音だったものの、とてもではないが言い出せなかった。きっと言葉を向ければ向けるだけ凄みは大きく恐ろしくなって行って貴里子では手を着けられなくなってしまうだろうから。

 そうした苦しみから解き放たれることはなく、やがて女子たちの間で流行が訪れた都市伝説、その中でも特に強く目をつけられたのはひとりかくれんぼ。その儀式を執り行うためにはぬいぐるみが必要なのだという。

 必要なものをいつも抱えている人物が近くにいる、それが原因なのだろうか。もしかすると見つけた側からいじめのために流行りを作ったのかも知れない。

 貴里子が好きの想いと共に抱き締めているぬいぐるみを引っ張り、それに対抗して引っ張り。綱引きのための道具にされて耐え切ることもなく、テディベアはそのまま腕を引きちぎられてしまった。

「はぁ……興ざめ。もうどっか行けよクソが」

 派手な女は謝ることも知らずに立ち去って、輝きの中へと戻って行って。

 大好きなキミを傷物にされた少女はうつむいて、陰の中へと潜み行く。

 こうしたすれ違いが感情の差異を産み落とし、家に帰った貴里子の瞳は決意に満ち溢れていった。

「絶対に――殺してやる」


 ここで本を閉じ、男は震え上がる。彼は臆病という性格の極みに立っていた。少女の趣味が悉く理解できなかった。衝動的に本をゴミ箱に放り込み、大きな本を抱える少女を睨みつけて立ち去ってしまった。

 眉をひそめる少女を慰める少年は別のクラスの者だろうか。見覚えのない生徒と先ほどの本を放り捨てた男。ふっくらとした柔らかな少女に柔らかな態度を向ける少年と借り物を捨てるといった怪談よりもよほど恐ろしい行ないを平気でやってのけた男。

 人を想う優しさと心無き冷たさを同時に目にしてその瞳を閉じ、霧葉は悲しみに歪んだ瞳を細めて鋭利な笑みに感情を染めた。



  ☆



 それは生徒たちが殆どその場を出て行った後の教室でのこと。味雲と向かい合って霧葉が話したこと。

 捨てられた本は同じように捨てられたジュースや消しゴムのかすの手によって汚され蝕まれ、元の姿には戻ることが出来ずにそのまま袋の中で揺らされてかき乱されて運ばれて行ったのだという。

「酷い話だな」

 味雲の反応は霧葉の想いと重なり合ったのだろうか。瞳を閉じて素早く頷いて、言葉を紡ぎ、会話を縫い合わせる。

「アメソラは分かってくれてよかった」

「いや寧ろ分からない人のがどうかと思う」

「じゃあアレはどうかと思われて当然ね」

 アレ呼ばわりされた人物、あの男子生徒に対して霧葉は裁きの一撃を下ろすつもりなのだろう。その男は霧葉の中では既に常人の枠から降ろされていた。

「さて、復讐を行なうとしよう。単純な心しか理解できないような人物には単純な感情で裁くものよ」

 人物が抱く感情の中でも根源的なもののひとつにしてあまりにも分かりやすい感情、臆病者に対して振り下ろす復讐など既に決まり切っていた。

「捨てた本と同じ物を机の中に入れるわ。それもジュースと消しゴムのかすで同じように彩ったもので」

 ホラー小説を捨てた祟りとしてホラー小説が手元に帰って来るというホラー。可哀想な少女には霧葉が親に頼んで代わりに弁償したで後は霧葉本人の行動だと言い切っていた。

「さあて、心ないものに弁償をと言ったところで知らないというだけ、私の親の金を出させた恨み、晴らしてやる」

 殆ど個人的な恨みだった、それも本人の恨みと言っていいものか分からないものを放り込もうとしていた。

「行くよアメソラ」

 手を引かれて進み、入ったそこは中古書店。何の変哲もない大きめのそこは、その黄色の看板は、中古書店の中でも屈指の知名度を誇る場所であろう。

「ある、多分ある、あって欲しい」

 願望の強さは現実に届くのだろうか、小説のコーナーへと足を運び、作者の名前の順番に並べられた本たち、色とりどりの背表紙を眺めながら確かめて行く。

「作者はや……あ、あった」

 その作品を手に取りすぐさまレジへと駆け込んで、百円玉と十円玉を一枚ずつ手渡し無事に第一の段階を踏み越えた。それからフルーツジュースを買ってふたりで分け合いつつ少しだけ本に垂らし、消しゴムのカスを撒いて恐怖の感情を召喚する魔導書を作り上げる。

「ごめんなさい、本さんごめんなさい、編集さんごめんなさい印刷所さんごめんなさいカバーデザイナーさんごめんなさい」

 書籍の出版に携わった人々に決して届くことの無い謝罪の言葉を捧げながら完成させた魔導書。魔力のひとつも必要としない魔法は人の心をも左右させてしまう可能性を絡めた代物。

 次の日までそれをどこに仕舞っておくのかという思考の末、振り返り、学校へと足を向けたのだという。



  ☆



 辺りは明るめの暗闇に包まれて、姿を明るみに隠していた月が明るみに出た。それから更に時は流れて溶けて人々の感情を過去に流して薄れさせる。そんな中でも霧葉の感情は薄められることなく、薄まっても再び継ぎ足されて、楽しみは尽きずに顔の熱として出ていた。

 やがては霧葉も夢の中へと落ちて行って、気づかぬ間に太陽が昇り夜の闇は身を引いて。目を開けた時には爽やかな朝が待っていた。

 心の飛び跳ねを追いかけて、時間の経過を追いかけて、程よい茶色に染まった香ばしいトーストにブルーベリージャムを塗って頬張り、コーヒーに牛乳を入れて苦みと共に黒を白で薄めて飲み干して。朝ごはんを簡単に済ませた霧葉は独特なステップを踏む機嫌を携えて外へと駆けだした。

 様々な人々の姿は見かけるものの、気にもかけずに通り過ぎていく。同じ学校の制服を着た者の大半が身を引いて引き攣った顔をしていたものの、気に留めない。日常風景なのだった。

 それから信号の向こうで待つ味雲の手を握りゆったりと歩き出した。

「さあ、今日の反応が楽しみだね」

「どんだけだよ」

 乾いた笑いを見せつつも共に歩き、目的地へと向かい、校舎内のいつもの景色の中に異なった輝きを見ながら進む。やがて廊下で別れて霧葉はウキウキ気分を躍らせて教室へと滑り込むように入り、イヤらしい笑みを浮かべながら椅子に腰かけ待っていた。

 やがて訪れた瞬間。例の男が入って来て鞄の中身を机の中へと入れようとしたその時、突っかかりに気がついたようだった。

「なんだ? 忘れ物したっけか?」

 そこから取り出した二冊の本の姿を見た途端その手を離してしまった。重力に身を任せて叩きつけられた本。叫び声を上げて机から離れる男。その姿は明らかに正気ではなかった。

 霧葉は地に叩きつけられた本を瞳に捉えて驚きに満ちていた。霧葉が仕込んだ本の他にもう一冊出て来たのだから。


 ゴミ箱の中で掻き回されたためか、当初よりも更に汚れた姿で男の目の前に現れたのだった。

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