植木鉢に罪と虹

早瀬史田

三月

シェアハウス like 牢獄

 その建物を初めて見た時、まるで牢獄のような建物だと思った。

 庭に入ってすぐに玄関があり、その横には窓が二つ。目を上げれば、整然と並んだ窓が、三かける三で九つ。カーテンは閉め切られていて、中は見えない。

 壁は白く、全体的に真四角。壁は塗られたばかりで新しく、経年による劣化はない。

 綺麗だが、取り付く島もない雰囲気。

 周囲の景色に馴染む気がなさそうな、独善的な気配。

 ただ、その印象の原因は建物のデザインだけではないことを、清佳は自覚していた。シンプルなデザインであることには違いないが、牢獄は言い過ぎだ。

 自分の後ろめたさが、実際以上にその建物を冷たく見せている。

 だが、自覚していても、そう簡単に意識は変えられない。ここ「プラントポット」にいる限り、後ろめたさの原因が、解消されることはない。

 入居してから一週間がたった今も、自分のせいなのだろうとは思いつつ、見る度に窮屈だと感じてしまう。

 ため息をつきながら、食材の入ったバッグを肩にかけ直し、清佳は玄関の扉を開けた。


「帰りましたー」


 玄関入って正面にある、リビングに続くドアは開きっぱなしだった。だが、聞こえていないのか、誰もいないのか、それとも返す気がないのか、応えはない。

 雑然と並んだ靴を軽く蹴ってどかし、一旦バッグを玄関に置く。

 持ち手を離すと、一番上に置いていた豚肉のパックがずり落ちた。

 バッグはいっぱいだ。だが、実はこれでも全く足りていない。

 もう少し容量のあるバッグが欲しい。

 ただ、これより大きなバッグを買ったところで、果たして自分の筋力で、持ち帰ることができるのか。不安なところがあって、中々新たに買えないでいる。

 靴を脱いで、豚肉パックをのせ直し、改めてバッグを持ち上げた。

 スーパーからの帰り道より、何故だか重く感じた。

 リビングに入り、続き間になっているダイニングキッチンを目指す。

 リビングは無人ではなかった。コの字型に並べられたソファに、二人の人物がいる。

 テレビを正面で見られる位置に寝転がっているのは、金髪の咲坂敬司。本気で眠っているようで、大きないびきが聞こえる。

 金髪の足側、壁側のソファに座っているのは、やや幼い顔立ちをした田中祐希。スマートフォンを見ていて、清佳には全く目を向けていない。

 清佳は何となく息をひそめながら、バッグを持って、リビングを横切る。


「おかえりー」

「た、ただいま……」


 無視されていたのではなかったのか。

 驚きながら顔を向けるが、祐希はスマートフォンから目を離さない。その態度は好意的には見えなかった。

 悪い予感する。

 清佳が立ち去る前に案の定、彼は言った。


「ねえ、今日のご飯、ハンバーグがいい」

「え」


 一応清佳は、冷蔵庫の中と、自分がたった今買って来た食材を、頭の中で考えた。ハンバーグの材料はない。


「今日は、シチューのつもりで。もう買い物にも行ってきたから……」

「じゃあもう一回行ってきたら?」


 大きな瞳が不愉快そうに歪んだ。


「いや、消費期限とかあるし……」

「知らないよ。今日は僕、ハンバーグの気分。よろしく」


 一方的な言葉によって、会話は打ち切られた。

 またかよ、と清佳はげんなりとした。

 祐希のわがままは、今に始まったことではない。

 出会った初日から「プリン食べたいから買ってきて」「これじゃない奴。あの上が焼けてる奴。もう一回行ってきて」「これじゃないってば! 使えないな、家政婦のくせに」と、わがままを言い放題だった。

 中性的な顔も相まって、プリンセスを思わせるわがままさ。

 あとでもう一度スーパーに行って、冷凍食品のハンバーグを買おう、と清佳は肩を落としながら、キッチンへ向かう。どうせ今日買ったものも、育ち盛りの五人の住人たちの手にかかれば、一日でほとんど食い尽くされてしまう。今日二回行くのと、明日一回行くのと、大して変わらない。

 それでも夕食になって「やっぱり肉じゃなくて魚の気分」などと言い出すのが、田中祐希という人間ではあったが、今は他にどうしようもない。

 巨大な冷蔵庫の前にバッグを置いて、食材をしまい込む。

 母親の手伝い程度しかして来なかった清佳にとっては、一日三食、自分も含めて六人前の料理を用意することだけでも大変なのだが、他の五人は買い出しも料理も、ほとんど清佳に任せきりだ。

 家政婦という名目で入居したとは言え、ほとんど同い年なのだから、本音では買い出しくらいは手伝ってほしい。

 もっとも、今まで毎食カップラーメンや菓子パンですませていたらしい彼らからしてみれば、文字通り余計なお世話なのだろう。


「おっ、お疲れ~。サヤちゃん」


 考え込んでいると、背後からいきなり肩を叩かれた。

 振り返る。

 そして間近に、にこやかな笑み。

 思わず清佳は悲鳴を上げて、その人の胸を押しのけた。


「びっくりした! 距離近いですって、光さん!」

「そう? ごめんごめん」


 悪びれる様子は全くない。軽薄という概念を擬人化したような調子の良さ。

 笠原光。

 五人の先住人の中では、最も清佳に対してフレンドリーではあるのだが、いかんせん距離が近い。

 一歳上の先輩で、最初は清佳も、押しのけたり避けたりするのは遠慮していた。だが、あまりの馴れ馴れしさに、出会ってから四日目にはもう、知らず知らず扱いが雑になっていた。


「光さん……何なんですか?」

「何なんですかって、俺は光さんだよ。いつも元気でみんなの人気者! 会った人みんなと友達になりたいな、特に女の子は大歓迎~! の、光お兄さん」

「そうじゃなくて。何でこんなことを。用があるんですか、ないんですか」

「何かドリンクないかなって。シュワ~ッとする感じの、ない?」

「炭酸は……買ってないですね。あとで買いに行ってきます」

「あ、そこまでしなくても」


 ノリは鬱陶しいが、こちらは祐希よりは大分常識的だ。


「今日の晩ごはんはシチューにする予定だったんですが、さっき祐希くんに、ハンバーグがいいと言われたので。どうせもう一回買いに行くんです」

「あぁなるほど。いつものわがまま」


 光の笑い声は意地悪く歪んだ。


「そりゃ聞かなきゃねえ。姫、さみしがりだからな~」


 まだ清佳は見たことはないものの、付き合いが長い小野寺からは「祐希は癇癪入ると物とか壊すから、気をつけて」と言われている。

 話している間に、清佳はバッグの食材を全て、冷蔵庫にしまい終えた。


「ちなみに光さん、今、時間あったりしますか? 買い出しの荷物持ちを頼みたいんですが」

「ごっめーん。お電話の予定あり」

「そうですか。すみません」


 ため息をつき、空になったバッグと財布を再び持つ。

 リビングの方へ声をかける。


「祐希くん、ハンバーグの他に、何か食べたいものある?」

「エクレア」

「はい、了解。光さんは、サイダーでいいですか? コーラ?」

「コーラがいいな」


 こうなったら、他の住人にも聞いておいた方がいいだろう。

 一人はソファで眠っているので置いておくとして。


「光さん、ムラサキさんと小野寺先輩は、自室にいますか?」

「紫純はアトリエ。秀人は出かけた音聞いてないし、部屋じゃない?」

「ありがとうございます」

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