第37話 やらかし
チュンチュン。
朝の訪れを告げる鳥的な何かが窓の外で鳴いている。
「おはようなの。マルスたま」
蒲団がもぞもぞと動き、その中からフィルレインが俺の胸板を這いずって顔を出す。大きなおっぱいを胸板にずられて得も言われぬ悦楽が俺の背筋を駆け抜ける。
心中の動揺を押し隠して、努めて爽やかな笑みを俺は浮かべる。性行に無頓着な一方で下卑た性欲を向けられることをフィルレインは酷く嫌悪している。
(性奴隷としての複雑な環境がそのような矛盾した精神状態を産み出したんだろうな)
できれば、過去のことは忘れさせたい。けれどそれは不可能。ならばせめて今を、そして未来を楽しめるようになって欲しい。
「おはようフィルレイン。よく眠れたか」
「うん!」
曇りなき笑顔。少なくとも今のフィルレインの表情に出会ったときのような心の険は感じられない。ずっとこの笑顔を浮かべていて欲しい。
(……俺がいなくても笑えるようになるまで、この子の側にいてやらないとな)
表面上は落ち着いて見えるフィルレイン。だが、内心は砂上の楼閣のように不安定なはずだ。なにせ、ずっと性奴隷として育てられてきたのだ。出会った時に向けられたあの瞳の冷たさを俺は今でも覚えている。フィルレインは男という種に絶望しきっていた。今は俺に多少の信頼を寄せてくれてはいるものの、もし俺が欲望に飲まれてフィルレインを襲ったならば今度こそフィルレインの心は2度と浮かび上がれない地の底へと沈み込むだろう。
フィルレインは爆弾だ。いつ何がきっかけで爆発するか分からない。しばらくは他の人間――特に男には会わせないほうがいいだろう。彼女の容姿は魔性だ。同性で強い精神力を持つホリィでさえ強く魅了されていた。凡俗の男などと合わせたらどんな結果になるかなんて想像に固くない。将来的には外の世界に連れ出すつもりだが、今はまだ時期早々過ぎる。少なくとも彼女の精神が安定を取りもどすまではずっと一緒にいてやるつもりだ。
(ただ――アリアとの約束はどうするべきかな)
魔王討伐隊に随行するという約束。その約束を守るとなると、俺はフィルレインの側を離れることになる。フィルレインを戦場に連れて行くなんて論外だし、その場合はホリィにフィルレインの世話を任せることになるだろう。
ただ、どんな理由があろうとも、不安定な精神状態のフィルレインを見捨てる結果になることに変わりはない。フィルレインは俺が裏切ったと思うことだろう。もしかしたら2度と他人を信用しなくなるかもしれない。そんな未来、俺は絶対許容しない。だからフィルレイン置いてアリアについていくという選択肢は絶対にNOだ。断じてNO。
けど、そしたら今度はアリアを裏切ることになる。2度も彼女を裏切る訳にはいかない。一度裏切ったからこそ、もう二度と裏切る訳にはいかない。けど、そしたらフィルレインが――。
(駄目だ。考えが堂々巡りだ。こういう時は一度他の人間の意見を聞くべきだ。俺にはない視点から思わぬ解決策を授けてくれるかもしれない。ホリィに相談してみよう)
「マルスたま。何だか難しい顔してるの。フィルレイン、心配なの」
む、顔に出てたか。
「心配させて悪かったな。何でもないから安心しろ。俺は絶対にフィルレインの側を離れないからな」
「うん! フィルレインも絶対に離れないの! 約束なの!」
「ああ、約束だ」
この約束は絶対に破るわけにはいかない。
ドタドタドタ……。
ホリィの起床を待ってフィルレインと一緒にベッドの上でボーッと過ごしていると、ホライゾンの玄関の方で重苦しい足音が聞こえてきた。
俺は既視感と嫌な予感を覚えた。しばらく待っていると、足音は俺の部屋へと近いてくる。バン!と俺の部屋の扉が乱暴に開けられる。フィルレインが「ひっ!」と悲鳴をあげて俺の背に隠れた。フィルレインを怯えさせるとは侵入者め、許さん殺す。
「な、なんですか!?」
隣のベッドで熟睡していたホリィがはね起きる。危機感が欠如している。そんなんじゃ野外で野宿しているとき魔物に襲われたら死んでしまうぞ。
銀色の鎧に混じる金色の鎧、侵入者のリーダーと思しき男が前に進み出る。そいつは俺のよく知ってる男だった。
王属親衛隊隊長レイナード。最後に顔を合わせたときよりも随分と顔が痩せこけている。王を守りきれなかった親衛隊隊長。その心中は察するにあまりあるものがある。肉が減り骨ばった顔つきは狂気の相を帯びており、非常に剣呑だ。
レイナードが口を開く。ただそれだけの仕草がやけに不気味だった。
「2週間ぶりだな。国外追放された貴様とこうも早く顔を合わせることになるとは思わなかったぞ」
「国の危機に駆けつけてやったんだ。感謝しろ。アリアからの許しも出てるぞ」
「承知している。無意味な前置きはこれくらいにして本題に入る。貴様をアリア女王陛下の元へと招致しにきた。同意は既に得たと聞いている。さぁ、ともに魔族を滅ぼすべくアリア女王軍のもとで戦おう! 魔族を一匹残らず滅ぼすために!」
「悪いがその話はなしだ。アリアに伝えといてくれ。国ぐるみの戦争なんてごめんだ。私怨で動くお前にはやっぱり協力できない、と」
俺の返答を受けてレイナードの背後の部下の一人が声を荒げた。
「貴様に拒否権はないんだよこの非国民がぁ!」
「ひっ!」
フィルレインがその剣幕に怯えて悲鳴を漏らす。
声を荒げたレイナードの部下がフィルレイン――パンツ一丁で俺の背に隠れているとはいえ上半身が丸出しで、認識阻害のコートもつけていない――を見てニチャア……と下卑た笑みを浮かべた。
「おい、そこの女ァ! 国家反逆協力罪でお前を逮捕するゥ! おら、さっさとこっちこいやァ! そのいやらしい体に危険物を隠していないかじっくりねっとりぬっぷり検査してやるからよォ!」
「い、いやぁ! やめてなの! フィルレインをそんな目で見ないでなのぉ!」
フィルレインが悲鳴をあげる。痛ましい声。だが、その声を聞いてフィルレインを怯えさせた屑たちまでフィルレインに欲情を向け始めた。
「へ、へへ。なんだあの子。声も、顔も、体も、女神様みたいに可愛くて、あへ、おれ、なんだか、りせいが……」
「そ、そうだ! 不敬だ! 不敬! 不敬! 罪! 逮捕しなきゃな!」
「おい、へたれ勇者様よぉ。その女を渡せばこの場を見逃してやるぜぇ! 言う事聞かなきゃ国がてめぇの敵になるっ! 選択肢はいつも一つ、だよなぁ?」
「ちっ! おいこのムッツリ勇者! いつまでその子と密着してやがる! どけよ! 俺たちにもその子の裸を見せろよ! 独り占めすんなよ! 俺たちにもその子で楽しませろよ! な、いいだろ? どうせあんたは抱く女には困らねぇ身分だ。女日照りの俺らにその身分の恩恵を少しくらい分け与えても罰は当たらないと思うんだがねぇ」
「あァ。糞ォっ! もう我慢できなィ! おい女ァ! 国家反逆共謀罪及び淫らな体で誘惑罪で逮捕するゥ! そしてただちに男根串刺しの刑罰に処するゥ!」
男の一人が剣を抜いてこちらに疾駆してくる。遅い。辿り着くまでに百回は殺せる笑えるほど間抜けな突進。俺にとって道化の間抜けな演劇。しかし、フィルレインにとっては酷く恐ろしい光景だったのだろう。ガバッと俺の背に顔を埋めてフィルレインはすすり泣く。
「うぅ、ひぐぅ。怖いのぉ。マルスだまだずげでなのぉ……」
――俺は、脳の血管がブチリと千切れる音を聞いた。
聖剣を召喚し呪文を一節唱える。
「セイントレーザー」
聖剣の刀身から放たれた複数の光浄がレイナードの部下たちの眉間を打ち貫いた。ドサリと倒れるレイナードの部下たち。俺は怒りを顔に滲ませて死体達に侮蔑の言葉を吐き捨てた。
「下衆が。地獄に落ちろ」
レイナードは俺の凶行を見ても顔色一つ変えない。死体にちらっと視線をやってそれだけだ。以前なら部下の無礼と俺の凶行のどちらにも激怒していただろう。やはり、王の死はレイナードを大きく変えてしまったらしい。レイナードは無表情のまま口を開いた。
「マルス。これは明確な国家反逆罪だ。その自覚はあるか?」
「ないね。俺は俺の正義に基づいて下衆を粛清した。罪の意識なんてあるわけがない」
「貴様がどう思おうとこれは立派な罪で、貴様は既に立派な犯罪者なのだよ。この国にいる限り貴様は永遠にその身を追われ続ける。だが、アリア女王陛下のもとで魔族殲滅に協力するならこの程度の罪状揉み消してやろう」
「……レイナード。お前変わったな。今のお前の中には正義がない。前はあった」
「力なき正義は無義無価値。それを思い知っただけだ。今の私は正義のためなら何でもするぞ」
「ならお前は一生泣き寝入りだ。最強の俺を力で従わせられると思ったか」
「あぁ。思ってる。つれてこい」
レイナードが廊下に声をかける。すると廊下に待機していた親衛隊の部下が入室する。部下は一人の人間をその腕に捕らえ、首元に剣を突き立てていた。
捕らえられていたのはアンヌだった。
「アンヌ!?」
「お、お兄ちゃん……怖いよぉ」
「その女を殺されたくなければ」
レイナードが言い切る前に俺は人間の反射神経で反応できる閾値を超えた速度でアンヌを捕えている男に接近しその腕を切り飛ばした。男の悲鳴が上がるよりも速くアンヌを抱きかかえてその場を離脱。ついでにレイナードの足の健を切り裂き行動不能にしながら元の位置へと戻り、再び半裸のフィルレインを背に庇う。
全ては刹那の出来事。聖剣の力を解放した俺には光の速度で動くことなど容易いことだ。
まるで停止した時が動き出したかのように、レイナードと部下の男がようやく動き出す。部下の男は聞くに堪えない醜い悲鳴をあげて、レイナードは悲鳴はあげなかったものの糸を切られた糸切り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ぎゃあああああああああああ! 俺の腕がぁああああああああああああ!」
「なっ!? 足が、動かん……! 貴様、何をした!」
「そこの男の腕を切り飛ばしてアンヌを解放しお前の足の健を切り飛ばして元の位置に戻っただけだが? 光速でな」
「理不尽、すぎる……。貴様! 何故それだけの力がありながら魔王討伐隊を抜け出した! 何故力を持ちながら私利私欲のためにしか使わない! その力が私にあればっ! とっくに魔王を討伐し王も守り抜けた! 理不尽だ。理不尽すぎる。何故神は貴様を選んだのだぁっ! 貴様のような裏切り者の屑をぉおおおおおおおおおおおおお!」
「そ、それは……」
言えない。本当の理由が言えない。言えば折檻される。今度は俺だけじゃなくホリィも。凶行を犯したレイナードなどに言う義理はないが、以前のレイナードには何度本当のことを打ち明けたいと思ったことか。けれど、それは不可能だ。
俺は神に呪縛されている。
惑い言葉を見失う俺の背中に、ギュッと服を掴む感触。手を震わせながら、フィルレインがレイナードへと大声で叫んだ。
「そ、それはマルスたまが世界で一番正義感が強くて格好良いからなの。お前なんかとは違うの!」
「フィルレイン……」
――予想外だった。けれど、嬉しかった。
この短期間の間に、恐怖を押し殺してまで俺を擁護するために声を上げてくれるほどの信頼を寄せられていた事実が。事情を知らなくても俺を信じてくれる人がいるという事実がただただ嬉しかった。
そして、俺の心の中に残っていた躊躇いが消えた。裏切り者と呼ばれるのも聖剣の力や俺の行動を制限されるのも全て神のせいだ。俺は悪くない。もはやレイナードや、アリアにさえ負い目を感じる必要はない。このような凶行、レイナードの独断ではなくアリアも加担していたはずだ。最後に会ったアリアが漂わせていたあの不穏な気配を顧みると、このようなことをレイナードに支持していても全く不思議ではない。むしろいやにしっくりくる。あとで、ホリィに記憶を読み取らせるべきだろう。
俺はフィルレインの頭をポンポンと叩く。そしてインベントリからドレスを引き出し、本来なら戦闘用に装備を入れ替えるスキルである瞬間装着のスキルでフィルレインに一瞬で服を着せた。
「ありがとうフィルレイン。凄く嬉しかったよ。それに勇気を貰った」
「え、えへへ、なの。マルスたまに喜んでもらえて嬉しいの。でも――うぅ、なの」
フィルレインの表情が陰る。おそらく、今更ながらレイナードへの恐怖が湧いてきたのだろう。フィルレインを安心させるように頭を撫で撫でして、それから俺はその場を立ち上がった。
「少し待ってろ。すぐ終わる。ホリィ。大丈夫だとは思うがレイナードが何かしようとしたら二人を守ってくれ」
「分かりました。ところで、マルスはなにを?」
「――敵を皆殺しにしてくる」
「へ?」
「聖剣魔法――ライトウィング」
ライトウィングは発動者に光の速さを与える魔法だ。
光の速さで一歩を踏み出した俺の姿がその場から消える。そして次の瞬間、聖剣の邪悪センサーに反応があった付近のすべての生命反応が一つを残して一斉に散った。
1秒にも満たぬ蹂躙劇。レイナードの部下を全て排除し終えた俺は唯一残った、いや、あえて残した生命反応――レイナードの元へと戻る。そして事実を告げる。
「部下は全員殺した。あとはお前だけだ」
「――あ、あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! このっ! 化物がっ! 理不尽すぎるだろうがああああああああああああああああああああああああ!」
「何か対策でも練っているのかと思ってホリィに警戒させたがその必要もなかった――さぁ、レイナード、正義執行の時間だぜ」
「な、なにをする気だ!」
俺は聖剣に舌なめずりする。恐怖に顔を歪めるレイナードにゆっくりと近づく。入る。剣の間合いに。
俺の一挙手一投足を見逃すまいと目に力を込めるレイナード。俺は無造作に剣を振るいレイナードの五指の第2巻関節の先を切り飛ばした。
「ぎゃ、ぎゃああああああああああ!」
「もう二度と剣握れないねぇ。しっかり味わいな。お前の罪の味を。そぅれおかわりだ!」
俺は更に剣を振るう。レイナードの第1関節、掌、手首、そしてそこから先はミリ単位で輪切りに。1秒で100を超える剣閃をレイナードの腕だけにプレゼントする。
レイナードの腕に刹那の間隔で訪れる切断の痛み。認識下でひたすら積み上げられていく痛みのミルフィーユ。だが、いつかは脳に届く。腕を輪切りにされる痛みが何百、何千と連なって脳に伝播する。連なり、重なり、決して小さくはない痛みの波がさらに大きな一つの波となる。
押し寄せる。レイナードの脳に。腕を輪切りにされる無数の痛みでブレンドされた、通常の人生では決して味わえない極上の痛みが、襲いかかる。
ほら、断罪の時間だ。
「お! おぼぁゃ! お! おっぼびゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
レイナードはうんこと小便とゲロを吐き出しながらいい声で鳴いてくれた。白目があらん限りに見開き体が痙攣し口から絶叫が迸っている。
「美しい……」
賛辞が口から零れ落ちる。レイナード、お前こんないい表情出来たんだな。意外な美点を発見したぜ。今後はその表情をお前の自慢にするといい。
にやにやとレイナードの痴態を見つめていると、ふと視線を感じた。気付けばフィルレイン、ホリィ、アンヌが俺を見ていた。
その瞳に、恐怖を、不安を、そして痛みを滲ませて……。
「……そ、そのマルス。やりすぎ、ですよ……」
「何?」
アンヌが瞳を揺らしながら俺を見ている。
「お兄ちゃん。ちょっと怖いよぉ……」
「……え?」
怖い?
俺が?
……。
ああ。
そうか。
俺は、また――。
聖剣が、俺の手から零れ落ちた――。
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