第18話 放牧期間を延ばす
北海道内の公共牧場の整備が進む中、寺山たちの研究は、草地の造成、管理から利用に関することに変わってきていた。特に、開発した草地を最大限生かした肉牛の飼養技術の開発に力を入れていた。肉牛農家の経営形態は三種類に分かれている。親牛を飼って子牛を産ませ、子牛を売る繁殖経営(繁殖農家)、その子牛や廃用になった牛などを買ってきて、太らせてから食肉として出荷する肥育経営(肥育農家)、そして、子牛の生産から肥育まで一貫して行う一貫経営である。そのうち繁殖農家は、親牛にかかるコストをいかに抑えるかが、利益の向上につながるので、エサやりやふん尿処理等の手間が掛からない放牧で牛を飼うことが多く、さらには公共牧場に預託する場合も多かった。このため、放牧期間が長いほどメリットが大きいが、北海道は冬が長く、だいたい5月から10月までの6ケ月位しか放牧することができず、放牧によるコスト削減には限界があった。そこで寺山たちの研究室では、放牧期間を延長する技術を開発し、最終的に周年で放牧する技術の開発を目指して試験を行うことにした。寺山は、冬期間屋外で牛を飼うことが可能かどうか試験を担当し、塩野が、秋から初冬に掛けての放牧期間延長の試験を行うことになった。
このころ、他の
「コストを下げるために周年で放牧するのを目指すのはわかったが、秋になったら草が少なくなって飼えないぞ。それに札幌は雪が多いから、馬だって雪を掘って牧草を食べるのに難儀するのに、牛では無理なんじゃないか。どんなことを考えているんだ。」
喜久知が、そう尋ねると、まずは放牧期間延長を担当する塩野が答えた。
「二番草を収穫した後の牧野に施肥して、たくさんの牧草を備蓄しておきます。そして、通常の放牧が終わった後の11月から放牧する予定です。雪が降るまで続けたいところですが、使える牧野の面積の関係から、12月初めくらいまでの放牧になります。この放牧で、次の年の牧草生産に影響が出ないかも確かめる予定です。」
続いて寺山が、
「札幌は雪が多いので、生えている牧草を食べさせるのは無理でしょう。そこで、林の中に生えている野草を使うことを考えています。ササやススキなら少々の雪でも頭を出しているし、雪が降った直後なら、掘り起こして食べるんじゃないかと思います。でも、完全に屋外で越冬させるのはまだやったことがないので、まずは、乾草をやりながらなら、飼ってみようかと思います。放牧ではなく、屋外飼育になってしまいますが。」
と答えた。それを聞いていた富岡が、
「牛舎周辺や牧野センターの林は、ほとんどササがないから、野草を使った試験ができないと言うのもあります。野草地の試験については、トド山も含め、場の奥の方まで適当なところを探してみます。」
と、補足して言った。
3人の言葉を聞いて喜久知は、さらに質問を投げかけてきた。
「わかった。放牧延長の試験はいいとして、冬季の屋外飼養の試験は、どんな牛を使うんだ。」
「品種比較も兼ねて、アンガスとホル(ホルスタイン)の去勢の育成牛を考えています。」
ここで言う育成牛とは、生後6、7ヶ月くらい経った牛のことである。喜久知はそれを聞いて、新たな質問と提案を行った。
「どんなエサをやるんだ。どうせやるなら、エサの質も落として、最も厳しい条件で試験をしてみてはどうだろう。もちろん、こじれて増体が戻らなかったら、元も子もないが。厳しい環境で飼うなら、どこまでなら大丈夫かを見極めておくのは、実際に農家にやってもらう時に役に立つ。」
「わかりました。それでは、場内で一番質の悪い乾草を使ってみます。」
その後、細かい試験設計を決め、試験の実施場所や試験に使う乾草について業務科に相談したりした。場内で最も質の悪い乾草と言うことで選んだのは、牛舎の中で牛が寝起きしている場所に敷くのに使う予定の刈遅れの乾草であった。
牧草は、早く刈れば刈るほど栄養価が高いが、早すぎると、量が取れない。このため乾草やサイレージを作るには、質、量の面から、出穂前後が刈り取り適期とされている。今回使う乾草は、出穂して花が咲いた後に刈り取ったもので、通常乳牛に給与しているものより、栄養分の割合が十ポイントほど低かったので、敷き藁代わりに使われていたのである。
一方、塩野は、業務科から借りることができた採草用の圃場で、2番草の収穫が終わるとすぐに、試験区の測量を行い、牧柵を張り巡らすことにした。今回は、試験終了後に採草地に戻すので、撤去しやすい電気牧柵を初めて使うことにした。電気牧柵は、針金に間欠的に高電圧を掛け、それに牛が触ると、瞬間的に感電し激痛が走るので、牛が柵を避けるようになることを利用して、脱柵を防ぐものである。
寺山が、針金を留める碍子が着いた牧柱を立てながら、
「こんな針金一本で脱柵しなくなるなら、こんな楽なことはない。でも、うちの牛は、まだ電牧に触ったことないから、上手くいくか心配だな。針金は細いし、牧柱だってアングルより軽くて短いし、電気に驚いてひと暴れされたらおしまいだよ。」
と、心配そうに、塩野に言うと、
「なんも、大丈夫だよ。2ヘクタールも囲って、ひと月でまた撤去するんだから、バラ線とアングルじゃ、やってらんないっしょ。牛が逃げたって、どうせ場内だから、なんとかなるっしょ。」
と、のんきな感じで答えた。一緒に作業していた迫田も、
「そだ。大丈夫だ。あんたは、心配しすぎなんだべ。」
と、塩野に賛同した。寺山は、心配しすぎと言われたが、電気牧柵の可能性を高く感じていた。特に、従来のバラ線に比べ、設置も撤去も楽なことは、必要に応じて放牧地を設置したり、広さを変えたりできるので、牧野の利用方法を様々に展開していくのに使えるだろうと思っていた。
すでに海外では、さらに巻き取りが容易なように、ポリエチレン製の縄にステンレス線を編み込んだポリワイヤーが開発されていたが、1ドルが360円の時代なので、海外製品は、高額で手が出なかった。放牧先進国のニュージーランドから、使い勝手の良い機材が輸入されるのは、もう少し先のことであった。
塩野の試験の方は、電牧から脱柵する牛もおらず、雪が本格的に降ってくる前に終了し、通常の放牧期間と同程度の速さで体を大きくさせることができた。
寺山は、この試験と併行して、自身の冬季屋外飼養試験の試験区を、コナラやシラカバなどが生えている林に設置していった。林の周囲をバラ線で囲い、その一角に小屋を建て、体重計を設置した。また、試験区の中に、乾草を食べさせるための草架を置いた。これは、すのこ板をV字型に組んだ籠のようなもので、すのこ板の交点が1メートルくらいの高さになっており、牛がこの中に入れた乾草を、すのこ板の隙間から引っ張り出して食べられる様になっていた。草架には、たくさんの乾草を入れることができたので、2、3日に1回補給すればよかった。
冬季放牧は、繁殖農家を想定した技術開発なので、この試験に、乳牛であるホル(ホルスタイン)を使う必要はなかったが、寺山は以前から、アンガスとホルとどっちが寒さに強いかを確かめたいと思っていたので、両品種を供試することにしていた。12月中旬、両品種の去勢牛が4頭ずつ、試験区内に放たれた。寺山が牛の行動を観察していると、牛たちは、いつものように警戒して、牧柵沿いに歩き回った後、草架の乾草の匂いを嗅いだりしていた。しかし、質の悪い乾草のため匂いがあまり良くなかったのか、乾草にはあまり興味を示さず、木の下に残っていたササやススキの葉を食べ始めた。それらを食べ尽くすと、しかたなく草架から草を引っ張り出して食べていた。
試験を開始して1週間が過ぎた頃、雪が本格的に降り出し、一面が銀世界になった。まだ一日の降雪量がそんなに多くなかったうちは、牛たちも柵内を歩き回っていたが、積雪が増えてくると、草架の近くで過ごすようになった。さらに吹雪の日になると、風の来る方に尻を向けて、一日中立っていた。吹雪が去った翌朝になると、真っ黒なアンガスが、顔だけ残して真っ白になることもあった。身震いして雪が落ちても、体の所々に雪が残っていた。
「アンガスがホルになっちゃったな。」
「ホルの白い奴なんて、益々どこにいるのか分からなくなってる。あの牛なんか、融けた雪が伝って、お腹の辺りで
牛たちは、体に付いていた雪から変わった氷柱をたくさんぶら下げていて、それが朝日に反射して輝いていた。
雪が積もり始めてからは、牛たちは草架周辺に留まり、行動範囲が広がらなかった。草架から引っ張り出した草を敷いて休む牛もいるため、乾草の餌としての利用率が落ちていった。また、牛が踏み固めた草架周辺が狭い上に、集まって乾草を食べるため、強い牛同士の角付きや、弱い牛を追いやるなどの行動が見られるようになった。
乾草の質が悪いので、食べる量が減ると増体に影響してくるので、乾草を食べる量が牛によって違ってくることが悩みの種であった。草架の場所を移動することも考えたが、草架の脚は、雪に埋まって周囲を踏み固められており、移動は難しかった。しかし、観察を続けていると。弱い牛などは、牛たちが歩き回って踏み固めた場所の外でも、近くなら雪をかき分けて雪の上に落ちている乾草を食べに行っていた。一度足を踏み入れたところには、他の牛たちも入っていくので、少しずつ踏み固め場所が広がっていった。それを見ていた寺山は、一緒に牛を視ていた塩野に言った。
「そうか、雪の上に乾草を撒けばいいんだ。そうすれば、牛が食べに行って、踏み固めてくれる。」
「それはいいかもしれないけど、手間が掛かって省力的ではないんでないかい。」
塩野は、そのやり方に疑問視する言葉を返した。
「でもこのままじゃ、食べ負ける牛が出てきて、増体に差が出てしまう。まずは、全ての牛が一律に食べることの方が大事さ。」
そう言うと寺山は、牛がまだ踏み入れていない雪の上に乾草を少しずつ撒いていった。それを見て塩野も別の場所に乾草を撒くことにした。
牛たちは、2人が歩いた後に続いて積もった雪の中に入って乾草を食べ始めた。これを繰り返すうちに、踏み固めた場所も広がり、乾草を食べる場所も分散したため、角付き行動も少なくなり、それぞれの牛がまんべんなく乾草を食べられるようになった。しかし、雪が降ると、乾草が隠れてしまうので、その都度乾草を撒かなければならなかった。
寺山は、乾草を撒き終わった後、牛たちの行動を観察することにしていた。アンガスもホルスタインも風邪を引くこともなく、雪上を歩き回っていた。すると寺山は、寒さに強いと言われていたアンガスよりホルスタインの方が活発に雪に入っていっているように感じた。アンガスは、ホルスタインが踏み固めた後に続いた入っていくようであった。その様子に寺山は、以前何かの本に書いてあった、「牛は腹が冷えるのを嫌がる」ということを思い出し、アンガスの方がホルスタインに比べ脚が短いので、雪が腹に着きやすいから、入っていくのをためらっていたのではないかと思った。そう考えると、アンガスはホルスタインより寒さに弱いのかと考えたが、体重の増加は、どちらも停滞気味ではあったが、ホルスタインよりアンガスの方が若干増体量が良かったので、結局、どちらの品種が寒さに強いかは、結論が出なかった。
寒さが厳しくなるに従って、牛たちの毛は長くなり、アンガスは、益々熊のような様相を呈してきた。さらに、3月頃になってくると、毛艶が悪くなり、毛先が縮れてくるようになった。質の悪い乾草しか給与していないので、ビタミンが不足しているのではないかという指摘を受けた。今回は、低品質乾草の単一給与という、最も厳しい条件での試験なので、栄養分の不足が生じるのは仕方がないことであった。寺山は、使われた牛には悪いが、冬期間、屋外で牛を飼うことができることを示すことができたことは、意義があることだと思いつつ、春になり、放牧が始まれば、青草をたくさん食べて、栄養不足が解消され、また太り出すだろうと思った。実際、放牧開始後は、冬期間牛舎内で飼われていた牛よりも体重が増えるのが速く、放牧開始時にあった体重差は、夏の終わり頃には解消されていた。
彼らは、この試験を2年間繰り返し、全頭、無事越冬させることができた。2回の冬は、いずれの年も、1、2月の最低気温がマイナス10度を下回り、真冬日(日最高気温が氷点下の日)が、ふた月間で55日程度あり、最大積雪深が100センチを超えるなど、厳しい寒冷環境の中でも、屋外で飼えることが実証できたのである。同時に寺山は、こんな厳しい環境に耐えることができる牛の強靱さに感動を覚えた。しかし、その一方で、乾草をまき散らすなど、手間が増えるなどの欠点も明らかとなり、農家にこの技術を移すには、まだまだ改良が必要だと思った。
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