第2話


 虚無感、というのが最も近いだろうか。河崎が三門に感じるのは、それと似てだが違うもの。遠い虚ろさを感じていた。それを悟らせることなく一応は客だと茶の支度くらいはしてやる。出された三門はそれどころではない形相だった。

「それで、あんたは何者なんだ」

 ことん、と湯のみを置いた三門のひどく真剣な顔、慶太にやはり似ていると思う。自分の前では笑っていた慶太も若い者に指図するときはこんな顔をしていた。河崎はそれを間近で見たわけではない。影から窺っていただけ。見ておけばよかった、不意に思う。

「季刊レムリアの記者、三門陸……と自己紹介すべきなんですが」

 言いつつ彼は渡した名刺を示す。そこには確かに名乗った通りの名前が記されていて、河崎は相楽の協力者の幅広さにかすかな苦笑が湧いた。

「……慶太の親類、というべきでしょうね」

 皮肉げに笑う彼に河崎は怪訝な顔をした。慶太から親類の話など聞いたためしがない。だからといっていないとも限らなかったが。

「続柄は」

「父親同士が従兄弟の関係になります。慶太とはだから、はとこ、ですね」

「……そう、か」

 遠いといって差し支えない親戚、慶太はそれをどう感じていたのだろう。尋ねることももうできない。

「三門は記者としての筆名です」

「道理で妙な名だと思った」

「隠秘学で有名な大学の名前をもじったんですよ、それだけです」

 雑誌のタイトルからしてそちら方面だと思ったらその通りだったか、苦笑する河崎に三門もまた小さく笑う。そして改めてと言わんばかりに背筋を伸ばした。

「本名は守谷日向といいます」

 どこかで耳にするだろうと河崎も予測はしていた。守谷、口にされた瞬間に左目の奥が激しく痛む。失った眼球が再び抉り出されたかのような、幻痛。細く息を吸って耐えた。

 かすかに眇められた左目に、三門は違和感を。そこでようやく義眼、と気づいては内心に息を飲む。慶太にかかわっている、そんな気がしてたまらなかった。

「親類と言っても……慶太の境遇は、ご存知ですか」

「あいつが血縁の話をしたことない程度には」

「そうですか」

 納得した、と三門はうなずく。慶太ならばさもありなんと。それに河崎自身も納得していた、確かにこの男は慶太の親類なのだと。顔形より、慶太を案ずる心根を知ったゆえに。

「慶太を親類と思ってたのは、俺だけです。慶太……けーちゃんも、俺だけは可愛がってくれた」

 父親同士が従兄弟という薄い縁。三門の母はあからさまに面倒だという顔を隠さなかったし父もまた厄介事だと嫌な顔をしていた。

「けーちゃんは、実の両親とも色々あったので」

「そこは、聞いてる」

「他は?」

「学校でもろくな教師がいなかったらしいな」

「……みたいでした。俺、年下なんでちょこっと耳にした程度しか知りませんけどね。そのせいか、かなりやんちゃも……って、警察の方だったんですよね、河崎さん」

 もしかしたらその縁で慶太を知ったのか、三門の問いに河崎は無言でうなずいていた。あのとき知り合わねば、もし説教などする気にならなければ。慶太はまだ生きていたかもしれない。

 ――いや、その前に、死んでる、か。

 やくざの抗争にうまいように使われて鉄砲玉として無駄死にするだけだろう。それでも、どちらがましだったのか河崎にはわからなかった。

「河崎さんと、けーちゃんは、どんな関係だったんですか。けーちゃん公安にお世話になるようなことしてたんですか」

 ふと三門は不安になる。あちこち飛び回っているから、と言っていた慶太。どんな仕事をしているのかは、知らない。今更ながらにはぐらかされてきたのだと気づく。

「慶太が何してたか、知ってるのか」

「……いいえ」

「なら、そのままにしておけ」

 その途端だった、三門の眼差しが変わったのは。河崎の言葉を拒否し、貫く目。冷静な記者の顔でありながら爛々と目だけが光っていた。

 ――こいつは。

 慶太の行方が知りたい、ただそれだけでどれほどの時間と労力を費やしたのだろう。言わなかった三門の言葉が聞こえるようだった。五年。できる限りの時間をかけて、寸暇を惜しんでただ一人、調査を続けてきた彼の目。河崎は淡い親和を感じる。

 ――同じ、か。いや、違う。

 三門は歪んでいない。人間の世界に留まり続けている。当然だと河崎は思い直した。彼はこの世界にあのような輩が存在するなど知りもしない。裏側があるなど夢にも思わないに違いない。

「知りたいんです、けーちゃんの行方をどうしても。俺だけです。両親はいなくなったって気づいてもいない。けーちゃんを心配するのは俺だけです。俺が諦めたら誰がけーちゃん捜すんですか」

 そんな哀しい目に慶太を合わせたくない、たったひとりの血縁として、可愛がってくれた、自分にだけ笑いかけてくれた慶太をなんとしても。

「五年。手がかりはまるでありません。相楽さんに協力は前からしてました。でもいまは相楽さんの仕事してれば、なんかのときにけーちゃんの行方がわかるかもしれない。だから」

 続けてきた、彼は言う。いま河崎に告げるつもりはないけれど、三門は相楽に多少の不信感を覚えている。それでも続けてきたのはひとえに慶太のために他ならない。記者の自分より公安の相楽の方がよほど多くの手蔓があるとわかっているからには。

「お願いします、何か知ってるなら」

「……仲、よかったんだろう」

「はい。俺とだけは、けーちゃんもちょっとだけ笑ってくれた」

「そうか」

「けーちゃんがあんな顔してるの、河崎さんとの写真ではじめて見ました」

 よほど信頼していたに違いない、言われて河崎の唇が歪んだ。どんな感情だったのか、三門にはわからない。様々な思いがないまぜになったそれだった。

「慶太に、幻滅しないでやってくれるか」

「もちろんです。けーちゃんはけーちゃんです、俺にとってはそれだけです」

 断言する三門に慶太の面影がくっきりと。言葉をかわすたびに眼前に慶太がいるような気がしてしまう。目の前で三門が血を噴いて死ぬような気がしてしまう。脳裏によぎった情景を振り払い河崎は目を閉じる。開いたときには真っ直ぐと三門を見ていた。

「やくざもんだ」

「……はい?」

「相沢組若頭補佐」

「けーちゃんが……」

「そうだ」

 予想もしなかったことを聞かされて、だが三門は腑に落ちていた。仕事を明かさなかった彼、連絡もほとんどは向こうから。

 ――けーちゃん、俺に迷惑かけまいとして。

 言わなかった、黙っていた。たったひとりの親類として、ただそれだけの付き合いに留めていた。哀しい、唐突な強さで三門は感じる。慶太が持っていたものはなんだろうと。普通の生活も日常も彼にはなかった。

「なんだか、納得しました」

「日の当たる場所を歩く人間の言葉とも思えんな」

「記者なんか水商売、やくざ稼業と言われますから。同じ側にいたのかと思うと嬉しいくらいですよ」

 嘯く三門に河崎は小さく笑う。自分でそれに驚いた、こんな顔がまだできたのかと。まだ己は人間だったのかと。魔術に染まり尽くしたと思った自分にも人間味が残っていたということか、それを思うと煩わしいような不安なような。慶太、その存在だけが拠り所であり弱点でもあった。

「公安の人とやくざもんが一緒にいたってことは、俺と相楽さんみたいなものですよね。慶太は河崎さんに協力してた」

「あぁ」

「そのせいですか、行方不明は」

「知らない方がいい」

「俺はそのために来たんです。わからないでしょうね、河崎さんには! 五年、五年です。五年間ではじめての手がかりなんです、あなたが」

 ぐっとテーブルに手をつき身を乗り出す三門から河崎は視線を外さない。知らなくていいことはいくらでもある。まして慶太が可愛がっていた、慶太を案ずる相手ならばよけいに。

「教えてください、知ってることならなんでもいい。教えてください」

 熱意と済ますには歪んだ炎を感じた気がした、河崎は。慶太の顔にそんなものが浮かぶのは見たくない。再び思う、似ていると。己と同じ偏執的なまでの熱。狂っていないのだけが差異かと河崎は内心に笑っていた。

「記者三門陸としてではなく、慶太の親類の守谷日向として聞きます。お願いです、教えてください」

 記事になどするつもりは毛頭ないのだと、言わずもがなのことを言う彼に河崎は目を瞬く。記者などそういうものだ、と扱われたことがあるのだろう。だからこそ、彼はただ行方が知りたいと繰り返す。

 ――言っていいものか、慶太。お前を心配するこいつに、本当のことを言ったらどうなる?

 何気ない手が懐を押さえていた。日向は怪訝そうな顔をしたものの無言で待ち続ける。河崎の逡巡を嗅ぎ取っていた。そして、河崎が顔をあげる。その唇がにぃと笑っていた。

「俺が殺した」

 ざわりと背筋が騒ぐ。河崎の狂気に当てられて日向はさがりそうになる。わずかに椅子が鳴った。だが、それだけ。真っ直ぐと見返した。

「戯言ですね」

「どうだかな」

「事実を教えてください」

 その言い分が気に入った、河崎の唇の歪みが変化する。笑いに似ていた。

「真実を、とは言わないんだな」

「そんなものは主観的なものでしかない。何があって慶太がどうなったのか、それを教えてください」

 断言する日向を河崎は内心にうなずく。妄執、だろう。慶太を案ずるのは事実としても、ひたすらにそれだけを知りたいと願う日向は精神の均衡を欠いているのかもしれない。

 ――本人自覚はなさそうだな。

 かすかに笑った。自覚があれば狂気とは言わないだろう。自ら知る己は狂っているのか、留まっているのか。わからないから狂っているのだろう。

 ――ただ。

 均衡を欠いているだけだ、日向は。まだ戻れる場所に彼はいる。充分な時間をかければいずれこの執着も薄れるに違いない。そこが自分とは違う、河崎は思う。あるいは慶太のためによかったとすら感じていた。

「河崎さん」

 焦れた若さに日向が唇を噛んだ。癇性な顔は慶太に似て、似てはいない。若いころ荒れていた慶太には、似ているかと河崎は懐かしい。そして懐かしいという感情を思い出す。

「聞いて楽しい話じゃないぞ」

 覚悟の上だ、真剣な顔でうなずく日向はどこまで理解していることやら。河崎はここで発狂されるのはごめんだと思う。面倒であったし、慶太のためにそうなって欲しくはない。

 そのせいかどうか。神も人外の異形も話さず地下室の事実を彼は語る。言葉ひとつひとつが進むたびに青白くなる日向。口許を押さえ、涙をこらえ。最後まで取り乱さず彼は聞いた。




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