月面機人ヒュテラム
ラクスパ
一話 学習、開始(1)
一話 学習、開始(1)
暗闇の中、"それ"は目覚めた。
自身の名は──不明。
"造られた"理由──不明。
自身の現在地──不明。
何かに埋まっているのか躯は動かず、時が経っても変化はない。
希望も恐怖も抱かず、"それ"はただ存在していた。
地球環境の悪化──それは人の想像を遥かに超える速度で進み、人類のほとんどは月面に移り住んだ。
それぞれの月面都市の支配者は、地球環境の悪化の原因を押し付け合い戦争を始めた国家ではなく、人々の住む場所を作り上げた企業となり、法を敷くことになった。
だが一部の企業間には軋轢が生じ、地球の国家のように戦争とそうでない時期を繰り返していた。
都市と都市をつなぐ道路や列車は襲われる危険性があり、襲撃されても自由に逃げる、または搭載した兵器で迎撃することができる”月面航空機”が流通の主役となった。
風のない白い荒野──月面に、緑のクジラが飛んでいた。
全長76メートル、全高24メートル。下部のプラズマスラスターで浮遊、飛行する月面航空機──その名は”グリーンホエール”だ。
MC(ムーンセンチュリー)61年9月12日、ヒスイ運送が所有するグリーンホエールはいつものように依頼を受けて、様々な物資を運んでいた。
グリーンホエール内部のメインコントロールルームで、ヒスイ運送社長兼グリーンホエール機長である黒髪の青年ヒスイ・カゲヤマは、古い昔の映画を見ていた。
月面運送業の仕事は割とヒマであり、こうして映画を見るのがヒスイの日常である。
(さすがに飽きたな……)
今見ている映画は、人類を滅ぼそうとするロボットと守ろうとするロボットが現れて戦うというストーリーで、ヒスイも何度も見返したのだが……初めて見たときの感動もさすがに薄れてきた。
映画の途中で再生をやめて、輸送機のカメラを通して月面を見ることにする。
コントロールルームは周囲を取り囲むようにカメラにより外部をモニタリングしており、白い大地が映されている。
人類が地球に住んでいた頃は、この殺風景ともいえる景色が貴重な情報だったという話だが、月で生まれ育ったヒスイには実感できなかった。
たまにはこうして静かに景色を見るのもいいな、と思った矢先、あるものがヒスイの深緑の瞳に映った。
グリーンホエールのメインコントロールルームに、その主であるヒスイは数人の部下を集めた。何人かは社員に配られる深緑のジャケットを羽織っていた。
「二時の方角に、墜落したと思われる月面航空機を発見した」
口を開くと同時に手元の機器を操作し、空中に件の輸送機の立体映像を出現させた。
まだ二十一歳の青年は、自身の名の由来となった深緑の瞳を年上の部下に向けた。
「社長、救難信号は送られて来たんですか?」
目線を向けられた三十二歳の男性、ジェフ・ジョーンズはもみあげから繋がる豊かな茶色のあごひげを撫でながら言った。
少々砕けた態度の男はヒスイの次にグリーンホエールに長く乗っており、ヒスイも信頼している。
「いいや、俺が偶然発見した。地形しだいでは見つからなかっただろうな」
大気の密度が地球の百兆分の一以下しかない月面では、煙が上がることはない。見つけたのは奇跡的な確率かもしれない。
「墜落の原因は隕石でしょうか。運がないですね」
赤毛のショートボブと金色の瞳が特徴的な二十歳の女性、アルテ・ミルセンが表情を変えずに呟いた。
緑のジャケットの袖から覗く手は黒い義手である。
四ヶ月前に入社した人物だ。いつも無表情だが、冷淡な性格ではないということは最近ヒスイにも分かってきた。
「そんなわけで、第一発見者である俺達、ヒスイ運送が救助する。ジェフとアルテにはLF(エルエフ)で救助作業を行ってもらう」
「月海賊(つきかいぞく)の罠ということはありませんか?」
ヒスイの言葉にアルテが疑問を口にする。
月海賊。企業軍隊からの逃亡者や、仕事を失敗した月面運送業が借金や違約金を払えずに成り下がる。
事故などに見せかけて救助に来た人を襲う、というのは月海賊の常套手段だとアルテはパイロット学校で習ったのだ。
「その可能性は低いんじゃないか、アルテ。月海賊なら獲物に見つけて貰うために救難信号を出すはずさ」
アルテの疑問にジェフが答えた。
「何が起こるか分からないから、LFの武装はきっちりと持って行ってくれ」
不測の自体を考慮してヒスイが発言する。
部屋に集まった数人の社員は救助活動の手順を確認し、ジェフとアルテはLF格納庫へと向かった。
件の墜落した月面航空機の付近までグリーンホエールが到着した。
『グリーンホエール、指定の位置に到着しました』
「ホエール、通常通信を十二時方向の墜落した航空機に繋げてくれ」
『了解しました。通常通信を十二時方向、距離三百メートル先の墜落した月面航空機に繋げます』
コントロールルームにヒスイの声と女性のような合成音声が響く。
グリーンホエールのコントロールルームにいる人間はヒスイだけだ。
通信、レーダーやセンサーの管理、機体操縦、月面航空機の火器管制など、ヒスイの指示を受けてグリーンホエールを操るのはAIである。
人類が月に移住する前は完全に自律するAIもあったが、戦争や混乱によりそれらの技術は失われていた。
『通信が繋がりました』
「こちらはヒスイ運送所有の月面航空機グリーンホエール、社長兼機長のヒスイだ。そちらの航空機が墜落したとみて、これから救助に向かう」
通信は繋がったようだが、応答はない。航空機は隕石の直撃と墜落で大きく破損している。ある程度想定してはいたが、やはり生存者はいないのだろうか。
いや、断言は出来ない。眠っている、気絶している、怪我で通信機まで向かえない……あらゆる理由が考えられる。
「ホエール、エメラルド1とエメラルド2を出撃させてくれ」
『了解しました。エメラルド1、エメラルド2、発進スタンバイ』
エメラルド1はジェフの、エメラルド2はアルテのコールサインである。
こういった呼び名は通信で聞き間違いが起きないようにするために付けられる。
グリーンホエールのLF格納庫内では既に二機のLFが準備万端で構えている。
グリーンホエールの「口」──前面のハッチが開く。開いた穴には、機内から空気の流出を防いで固体を通すエアフィルターフィールドが張られている。
『エメラルド1、エメラルド2、発進いつでもどうぞ』
「エメラルド1、クレマチス出るぞ!」
「エメラルド2、クレマチス出撃します!」
グリーンホエールから、勢いよく二機の”月面用人型戦闘機”──LF(ルナファイター)が飛び出した。
月面に移り住んだ人類は、その環境に合わせた兵器を必要とした。
月には空気がないため翼で揚力を受けられず、推進器を下に向けて飛行することで「足」に発展。
コクピットの防御やセンサーの配置の都合で「胴体」「頭」が出来上がる。
ミサイルが迎撃装置や装甲の発展で火力不足になり、自由自在に向けられる大砲が求められることで「腕」と「武器」に進化した。
オレンジのバイザーアイ、直線で構成されたデザインの全長10メートルの巨人が、腰部と脚部のプラズマスラスターから青白い噴射炎を放出した。
ジェフは水色、アルテは赤の”クレマチス”という名称のLFを操るパイロットだった。
ジェフ機は無人ロボットを格納した救助ユニットを、アルテ機は回収ポッドを抱えている。
二機のクレマチスは、墜落した月面航空機の付近に着陸した。
月の砂ぼこりが舞う。二機のクレマチスの着陸を比べると、ジェフの方が砂ぼこりが少ないのは、彼がベテランである証明だった。
全長約30メートルの月面航空機は中心に隕石が直撃し、腹から地面に着陸したようだ。格納庫と思われる後部はひしゃげており、内部の空気は抜けきっているだろう。
「損傷が激しいですね……」
「エメラルド2は実際の救助は初めてだったな、緊張してるか?」
「いえ、そんなことは……やっぱりあります」
「おまえさんなら大丈夫だ、問題なくやれるさ」
アルテのつぶやきから緊張を感じたジェフが、声をかけた。
ジェフはあまり心配していなかった。
アルテが入社してから四ヶ月が経ったが、彼女はグリーンホエールを襲ってきた月海賊をジェフとともに何度も撃退してきたのだ。
戦闘と救助、やることは大きく違うが、彼女の腕と度胸なら問題ないだろう。
ジェフは経験から、月面航空機が墜落して十五時間ほどと見立てた。前方の乗組員用のスペースに生存者がいる可能性は十分にある。
ジェフの水色のクレマチスが救助ユニットを置くと、格納されていた無人ロボットが出撃し月面航空機の前方に入っていく。
無人ロボットはジェフの指示を受けて動くのだ。
「かわいい……」
無人ロボットを見たアルテが無表情のままつぶやいた。
「見とれている場合じゃないぞ。お前は後部を調べてくれ」
「エメラルド2、了解」
ジェフの小言を受けてアルテは気を引き締める。
アルテのクレマチスは腰部後ろからプラズマソードを引き抜き、作業モードで使用して格納庫にLFが入れるサイズの穴を開けた。
ほどなくして、アルテはあるものを見つけた。
「エメラルド2、ケースを見つけました」
アルテが報告する。
格納庫の瓦礫に少し埋まっていて破損しているが、15メートルほどのケースがあった。それ以外にはなにもなさそうだ。
「エメラルド1、引き出してみますか?」
「よし、やってみてくれ」
クレマチスのパワーなら問題なくやれるだろう。ジェフはそう判断してアルテに命じた。
"それ"は自らに何物かが通信を繋げてきたことに気づいた。
「こちらはヒスイ運送所有の月面航空機グリーンホエール、社長兼機長のヒスイだ。そちらの航空機が墜落したとみて、これから救助に向かう」
この言葉の意味を"それ"は殆ど理解できなかったが、"救助"という言葉は深く印象に残った。
それから少しして振動を検知した。
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