第3話

 ユージがダイブした先は南国の砂浜をモチーフにしたヘヴンだった。

 ミオは黄色の水着の上に大きな白いシャツをはおり、明るい茶色の麦わら帽子をかぶっていた。一方でユージはいつもの灰色のパーカーを着ていた。ミオのアバターは生前の十七歳の姿だった。

 現実世界では夕方だが、ここは常に昼間だ。まぶしい太陽がヤシの木や砂浜や海を照らしている。数名の男女が遠くでサーフィンをしたり、ビーチパラソルの下で語り合ったりしている。ときおり風が吹いてきて、潮と砂の匂いを撹拌かくはんしていく。

 ユージはときに『ヘヴン・クラウドは現実よりもリアルなのではないか』と感じることがあった。もはや現実というものは、個人の視力に依存した解像度の低いサンプルでしかないようにも思われた。


 ミオはヤシの木に右手を当て、重心をあずけるようにして海を見ている。

「海、好きだったな」

 とユージは言った。しかしすぐに、過去形になってしまったことをひどく悔やむ。ミオは振り返って、

「うん。水の音が、好き」

 そう言って目を閉じる。そういった仕草のひとつひとつが、生前と変わっていなかった。事故で亡くなったあと、ミオの記憶と精神をヘヴン・クラウドにアップロードし、『ゴースト』と呼ばれる存在に仕立てたからこそだ。

 ミオをゴーストにしたのは、もちろんミオ自身の生前の意思表示にもとづいてのことだ。決してユージや両親の独断ではない。それなのに、なぜかユージは罪の意識をぬぐいきれない。

「ごめん」

 と、ユージは思わずつぶやいた。

「え? なに?」

「いや、なんでもないんだ。大丈夫」

「そう?」

「うん」

「……そっか。そういえば、お兄ちゃんのこないだの試合、見たよ」

「あの、武器戦闘ウェポンズリーグの決勝戦か。ありがとう」

「強かったね」

「最後の、ブレイクのやつ、おれの対策をしていたから、厳しかったな」

「でも、勝ったね」

「そうだな。ミオのおかげだよ」

「へへ」

「ああいうの、怖くないのか?」

「ううん。お兄ちゃんのは、怖くない。……ん、まあ、ときどき、びっくりしちゃうけど。スポーツだってこともわかっているから」

「そうか」

「わたしも、闘技者ファイターになろうかな」

「ええ⁉︎」

「どうかな」

「い、いや。止めとけよ。おれは元々さ、格闘技とかに興味があったから、現実でも練習してきたけど。おまえはさ……」

「ふふ、冗談だよ」

「な、おまえな……」

「なんかさ」

「え?」

「お兄ちゃんって、わたしのこと、全部信じるんだね」

 そう言ってミオは口を閉じて、海に視線を向けた。

 ユージも海に目を向けたが、波に砕ける太陽の光はまるで、おびただしいガラスの破片のように思えて、こらえがたい吐き気が胸に渦巻いてきた。


   *   *


 ユージはその日、神奈川県に住む両親に会いに行くため、ミオと駅へと向かっていた。当時はミオと同居していた。

 街のまばらな往来の中を進み、駅前の大通りを渡るとき、事故が起こった。

 ユージはいつでも、その瞬間をスローモーションのように克明と思い出すことができる。


 横断歩道の信号が青になり、ユージは「行こう」と言う。ミオは横断歩道の先に両親が立って待っているかのように、小走りに進む。

 ユージの視界の端に黒い影が見える。運送会社の黒い自動運転のトラックが横断歩道に突っ込んでくる。

 ミオは立ち止まるが、なにが起きているのかわからない。なにが起きようとしているのかわからない。

 目の前に立ちふさがる鉄の壁とかん高い音。タイヤの軋む音。

 激突音、悲鳴、砕け散るトラックのヘッドライト。

 ユージ自身の記憶と感覚すら混濁としている。ユージの記憶にも、目の前に迫るトラックのバンパーがまざまざと刻まれていた。


 ゴーストになったミオの、その日の記憶は消した。

 いまのミオは、あの日の記憶は思い出すことができない。

 絶対に。絶対に思い出してはいけない。

 だからミオは、自分がなぜ、いつゴーストになったのかは知らない。

 いや、懸命に探せば事故の記録などが出てくるかも知れない。あるいは、ダイブしている別の人間に聞けば。

 いや、そんなことはしないだろう。する必要がない。

 ミオは永遠の命を得て、ヘヴン・クラウドでずっと幸福に暮らす。そのはずなのだから。

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