第22話 ライジング

 七回表の守備は、射水先輩が無失点で切り抜けた。

 そして迎えた裏の攻撃、先頭打者の俺は、相手投手の投球練習をじっと見つめていた。


(この人が深海さん……)


 今大会防御率0点台のリリーフピッチャーで、高校野球では、というか野球という競技全体で見ても珍しいアンダースローの投手。

 シニアでもアンダースローの投手と対戦する機会はほとんどなかったから内心、打席に立てるのを楽しみにしていた。

 深海さんの投球練習が終わるのを見届けて、俺も打席に入る。


 その初球、見慣れない、異質なほどに低い位置から放たれたのは、高めへと吹き上がるストレート。いきなり高岡先輩を空振りの三振に仕留めたボールから入ってきた。


 打ち気がはやってついバットを振りにいってしまったけれど、このまま吹き上がればたぶん、ストライクゾーンを外れていく。

 そう思って、なんとか途中でバットを止めた。幸い、審判からスイングの判定は取られずにボールとなる。


(今のがストレート。……なんか、すごく速く感じる)


 そう思って、バックスクリーンの球速表示に目を移す。そこには134キロと表示されていた。

 決して遅くはないけれど、目を見張るほどの数字でもない。

 でも、体感ではもっとずっと速く感じた。


(アンダースローだから、かな? ていうか、普通の投げ方でも遅くはないスピードのボールを下から投げられるって、相当すごいよね?)


 しかも、今のところ130キロ台に収まっているだけで、最速では142キロを計測したことがあるらしい。球速を出しづらいアンダースローという投球フォームでこのスピードが出せる投手は、滅多にお目にかかれないんじゃないかと思う。高校球児に限ればたぶん、歴代最速じゃないかな。

 まあ、そもそもアンダースローの投手自体が相当珍しいんだけど。


(次、なにが来るかな?)


 つい、びっくり箱でも開けるみたいな高揚感を隠しきれないまま、次のボールを待った。


 その二球目が、先ほどと似たような高さにやってくる。

 コースはやや外め。出だしのスピードは先ほどと同じくらいの速球系。

 でも、軌道が違った。


 吹き上がっていく先ほどのボールとは対照的に、外に逃げながら沈んでいく高速シンカー。


 打席で見たのは初めてだけど、持ち球にこのボールがあることは知っていたし、軌道も高岡先輩の打席で二回、ネクストから見させてもらっている。

 だから、イメージはできた。


(ここ……!)


 当たった。

 手のひらの感触そのものは悪くなかったけれど、ボールを捉えるポイントが少し後ろ過ぎた。打球はレフトのファールゾーンへと切れていく。


(うわっ、これきついかも……)


 同じような軌道と球速から、左打者の自分から見ればかたや逃げるように沈み、かたや食い込みながら吹き上がってくる。

 どちらか片方でもやっかいなのに、途中までどちらの球種か分からないとなると、なおさら捉えるのは難しい。


(しかもまだ変化球は投げられてないんだよね。まあ、速球がもう変化球みたいな球なんだけど……)


 なんて思っていたら、三球目にその変化球が来た。


 一、二球目より少し遅いボールが、一度浮き上がってから逃げるようにして落ちていく。

 ボールの動き方は高速シンカーに似ているけれど、変化量がそれよりも大きい。

 シンカーだ。速球としての高速シンカーとは別の、球速差と変化量で打ち取るためのブレイキングボール。


 この球も捕まえにいったけれど、その変化量を測り損ねて、ボールの上っ面を叩いてしまう。

 これがフェアゾーンに転がっていればゴロでアウトに取られていただろうけど、なんとかファールで逃げることができた。

 でもこれで2ストライク1ボール。追い込まれた。


 低めが二球続けば、高めはより有効に使える。四球目、一球目と同じ吹き上がる速球が投げ込まれた。


 見逃せばボール、かもしれない。

 でも、ここから吹き上がってなお、審判によってはストライクを判定するかもしれない微妙な高さの球を、2ストライクから見逃すわけにはいかなかった。


 スイングを開始する。それもカットではなくて捕まえにいく。たぶん、この人の一番の決め球はこのストレートだ。

 だからこそ余計に、捉えたい。


 だけどボールは前に飛ばなかった。

 捉えきれず、ボールの下をこすってしまった打球はバックネットにぶつかった。だからカウントは2ストライク1ボールのまま。


 低めの後の高めが有効なように、高めの後の低めもなかなか身体がついていかない。

 そんな配球の基本通り、五球目は外角低めへと逃げ落ちていく中速シンカー。


 三球目で一度見せてもらったとはいえ、インハイに吹き上がる速球の後に、真逆の方向へ逃げていくボールを捉えきるのは難しくて、なんとかファールで逃げるのが精一杯だった。


 そこから先も、高めのストレートと低めのシンカー系の球を繰り返し投じられる。

 それを完全に捉えることはできなかったけれど、だんだん目と身体が慣れ始めてきていた。

 ボール球も見逃せるようになってきて、カウントが2ストライク3ボールのフルカウントまで進む。


 次にボール球を投げたらフォアボールだし、高めに外れるストレートは投げづらい、かな? だったら、シンカー系?

 そう思ったけど、違った。


 投げ込まれた球が高めへと吹き上がっていく。

 際どいコース。見逃すつもりは始めからなかった。

 だからすでに始動を開始していたけれど、途中でそのボールに違和感を抱いた。


(あれ? なんかちょっと……)


 遅い。ストレートじゃない?

 なんて考えている間に、ボールは食い込むようにしてスライドした。吹き上がるような軌道のままで。

 スライダー? それも……


浮き上がるライジングスライダー⁉)


 気づいてからじゃ、遅かった。

 より内側へと曲がっていくスライダーにバットが当たる。当たってしまう。


(やばっ⁉)


 打球はふらふらと一塁方向に上がって、そのままファーストがキャッチする。


『アウト!』


 審判の判定なんか、聞くまでもなかった。

 打ち取られた。完全に。

 

 その事実に浸っていると打席から動けなくなってしまいそうだった。だからさっさとベンチに戻ろうと踵を返す。

 でも次打者の輪島先輩には一応、あの球のことは伝えておかないと。

 そう思って、ネクストから打席に向かおうとする輪島先輩に耳打ちする。


「最後の、スライダーです。あれ、ヤバいです。曲がりながら浮き上がってきます」


「おう、分かった。それはそうとして、築城」


「? はい」


「顔、すごいことになってるから、ちょっと落ち着いてからベンチに戻れ」


「えっ……と?」


 どういうことですか、顔がすごいことって、変な表情になっているとかそういうことですかって聞き返したかったけど、輪島先輩はもうバッターボックスに向かってしまった。


 ……一応、自分でも顔が引きつっているんだろうなって自覚はあったけれど、具体的にどんな表情をしているのか、周りにはどんなふうに見えているのかまでは分からなかった。笑っているのか、怒っているのか。 

 そもそも、自分でも今何を思っているのか、というか、どの気持ちが一番大きいのかが分からなかった。


 なにあの球すごい、ていうか軌道がヤバい、不自然で気持ち悪い、という興奮とか、次で打てるかな、そもそも次の打席ちゃんとあるかな、という期待とか、焦りとか、でも、なにより、


(おもしろ……)


 見たことない、次も打ちたい、次こそ打ちたいって気持ちは、少し時間が経ったくらいじゃ落ち着いてくれなくて。


 輪島先輩のいうとおりに落ち着いてからベンチに戻るとしたら、それは当分先になりそうで。でもそれだと監督や審判の人とかに早く戻れって注意されてしまいそうで。

 そのことに少し焦って、まだ少し引きつったままの顔をうつむかせたまま、ベンチに戻った。

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