第10話 でも

 悔しい。

 悔しくて、ベンチの中で未練がましくバックスクリーンの方を見つめてしまう。


 あとちょっとで届いた。だけど、相手投手の球威が勝った。


「おいおい、打ち取られたってのに何笑ってんだよ」


「わっ⁉︎」


 いつの間にか、小矢部先輩の顔がすぐ近くにあった。

 びっくりして思わず身体をびくっと後ろに引いてしまう。


「うそ、俺、笑ってました……?」


「ああ。気味悪りぃなって思いながら見てた」


「えっと、すみません……」


「いや謝んなくていいけどよ。ホームランになりそうだったのが、そんなに嬉しかったのか?」


「えっ?」


 俺の反応が予想と違ったのか、小矢部先輩が不思議そうに聞き返す。


「違うのか?」


「いや、ホームランにならなかったのに喜べないですよ……」


「じゃあ何にやついてたんだよ」


 何って言われても、笑っていた自覚はないし、心当たりも……。


「あっ、でも強いて言うなら」


「強いて言うなら?」


「気持ちいいだろうなぁって」


「……はい?」


 小矢部先輩が半目で首を傾げる。


 俺は思ったことをなんとかまとめようとしどろもどろになりつつ、心情を説明した。


「いやその、相手のピッチャー、すごい投手じゃないですか。ストレートにも力があるし」


「ああ、まあ。それで?」


「そんなピッチャーの球をホームランにできたら、絶対気持ちいいだろうなって」


「…………」


「あの、小矢部先輩?」


「お前、今すごい顔してたぞ」


「す、すごい顔?」


「ああ」


 先輩は小さく笑って、俺に言った。


「お前ちょっとサイコ入ってるよな」


「さいこ?」


「サイコ。サイコパス。人の心がない」


「ええっ⁉︎」


 なんで?どうしてこんなこと言われてるの?


 俺の困惑が可笑しかったのか、小矢部先輩が突然吹き出して、そのまましばらく笑っていた。

 その笑いが落ち着いてから、先輩は改めて俺に言った。


「あーオモロ。お前、やっぱだいぶ変わってるよな」


「そ、そうですか?」


 あんまり自覚はないんだけど……。


「ああ。からかうの楽しいわ」


「勘弁してください……」


 先輩が楽しそうにまた笑う。

 けど一瞬、何かを呟いているのが聞こえた。


「先輩?」


「なんだよ。ほれ、くっちゃべってないで応援するぞ。一年が先輩の打席中におしゃべりしてんじゃねえよ」


「話しかけたの小矢部先輩ですよ……?」


 でもそのとおりだ。バッターボックスで構える高岡先輩に向き直る。


 2ストライク1ボール。

 こちらが追い込まれた状況で相手投手が投じたボールは、ホームベースに近づくにつれ鋭く曲がり落ち、キャッチャーミットに届く直前で地面に突き刺さった。


「うわっ!」


 思わず声が出てしまう。すごく鋭い変化だった。


「俺も投げられたけど、ちょっとヤバいよ、あの縦スラ」


「縦スラ……」


 俺にはまだ投げてきていない。そっか、あれがあの投手の決め球なんだ。


 いいなあ、俺にも投げて欲しい。


 見たい。打ちたい。


「……やっぱお前」


「はい?」


「なんでもねえよ」


 顔を背けられてしまった。

 なんだろう、気になること言わないで欲しい。それともまたからかってるだけだったのかな。


 ……いいか、どうでも。

 今はあの投手とまた対戦できる、次の打席のことだけ考えていたい。

 

         ※


 四回裏、ツーアウト。

 ランナーなしの場面で、新発田くんとの二回目の打席が回ってきた。


 逸る気持ちを落ち着けたくて、バッターボックスに入る前に一度、ゆっくりと軽くバットを振った。

 小さな深呼吸の後、打席に足を踏み入れ、マウンドの投手へと目線を合わせる。


 走者がいないから、新発田くんはワインドアップから大きく振りかぶる。

 強い腕の振り。そこから放たれた初球は、外角低めへのストレート。


 速さに釣られそうになるけれど、僅かに外へ外れていた。見逃してボールになる。


 二球目はインコースへ、球種は先ほどと同じくストレート。

 際どいコースだったから見逃したけど、審判の判定はストライク。


 三球目も同じくインコースへの速球。

 これに手を出して打ち返すも、打球はファールゾーンへと切れていく。


 これで2ストライク1ボール。


 そして次に来るのはたぶん、相手投手の決め球、縦スライダー。


 その四球目、放たれたボールは指先を離れた瞬間はストレートのような軌道で、けれどそこから曲がり落ちた。


 予想通り、投じられたボールは縦スライダー。

 曲がり始めの角度から予測される軌道に合わせ、バットを振り始める。


 タイミングは合っていた。

 けれどバットが通る位置より少し下、球一個半分ほど低い位置をボールが過ぎ去っていく。


 空振り三振。

 相手投手がガッツポーズと共に雄叫びをあげながらマウンドを駆け降りていく。


 それを、呆然と見送ることしかできなかった。

 もうスリーアウトで、自分も守備につかないといけないのに。


 悔しい。動けなくなるくらい、悔しい。


 でも、でも。



 やばい、楽しい! 

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