第五章 別れのグッバイ

第五章 別れのグッバイ-1

「うわぁ……こりゃあ散らかってるってもんじゃないわね」

「ふっ、普段はこうじゃないんだ。昨日、人が来て、こうめちゃくちゃにしてった残骸が残ってるというか」

「ふーん……」

 アツミは、シンイチの部屋を物珍しそうに見回しながら、部屋へ一歩ずつ入っていく。

 前夜、エーコが立ち去った後、テーブルに残されたビールやチューハイを、慣れていないくせに飲んだのがまずかった。慣れていないのになぜかおいしく感じ、慣れていないせいか、ある時点から記憶がなくなった。

 そして今朝、思い切り寝坊して危うく大学除籍の手続きができなくなるところだったのだ。そのため、部屋にはエーコが飲んで食って荒らしたままの状況が残されているのだった。

 まさか、申し入れたことが即日認められて今日からとは。シンイチは自身の想像力不足を嘆いたが、誰かが悪いというわけでもなく、むしろ感謝しなければならないことばかりであった。

「まあ、汚いのは確かだけど、人間が暮らしてるっていう感じがするわね」

 床に転がり、そのうえで誰かに踏まれて開くなったビールの缶を、アツミは拾ってテーブルの上に置く。

「そりゃ、どうも」

 シンイチは、キッチンまわりの収納から大きめのポリ袋を取り出し、空き缶を次々とその中へ放り込んでいく。

「所長が用意してくれた部屋も、お菓子とかジュースも、好きだったよ。でもやっぱり、ああいうところは苦手」

「アツミ……?」

「もう結構忘れちゃってるんだけど、たぶん、目覚める前もあんな感じだったのかな。私は、みんなのために、戦うために造られたから。だから……」

「今日はいいよ、そういう話は」

「シンイチ」

「もう昨日と今日と、いろんなことがあって疲れたよ、俺は。とにかく少し休みたい」

 なんとか自分と、もう一人が座れる空間を確保して、シンイチは腰を下ろした。

「となり、座っていい?」

 アツミが遠慮がちに聞く。

「いいよ」

 シンイチが、少し照れ臭そうに言う。

「じゃあ」

 とアツミが言った瞬間。ボン、という音ともに全裸の美女が現れた。現れた、という表現は適切ではない。小学生の姿をとっていたアツミが、シンイチに発見された当初の姿に戻った、というのが適切だ。

「のわーっ! あーっ! あーっ!」

「どうしたの、シンイチ」

 アツミが顔を近づけてくる。

「ちょっ、ちょっと待て、待て待て待て、とりあえず、何か着ろ! 何か!」

「えーっ? もう服つくるの疲れたわ。あれ結構むずかしいのよ?」

「じゃじゃじゃじゃあ、ちょちょちょちょっと待て! 待て待て待て!」

 まるで、庭先の石を動かしたら出てきた虫のようなすばしこさで、シンイチは衣装ケースへ這いつくばり、新しめのTシャツをアツミに投げてよこした。

「とりあえず、それを着てくれ!」

「えー? しょうがないなー」

 衣擦れの音が聞こえる。シンイチは直視しないようにしながら、座椅子の場所へと戻った。

「ん、これでいいかしら」

 白いTシャツが加わったことで、かえって逆効果を招いたと、シンイチは遠のきそうな意識の中で思った。四つん這いのような格好で近づいてくる、おそらくシンイチと同じくらいの年齢を想定した、アツミの姿。

「どう、シンイチ?」

 ハスキーな声と、襟元から覗く胸元。髪をかき上げる仕草に、シンイチはたまった唾液を飲み込む。

「ええぇぇいい! ダメだダメだダメだ! そんなんで生活できるかってぇの! もっと子供らしく! 常識的に! 健全に!」

「そんな……残念だわ……」

 耳元でささやいて、アツミはシンイチから離れた。そしてもう一度、ボン、という音とともにアツミの姿が変わる。

「えへへ、このくらいならどうかな?」

 先ほどよりはわずかに年下らしい風体に、アツミは変身した。年齢で言ったら十代半ば、女子高生といったところだろう。

「お、おう、まあ、これならなんとか」

「本当? ありがとう!」

 両腕を広げて、アツミはシンイチの胸元へ向けて飛び込んでくる。すこし緩くなったTシャツがはためいて、何も履いていない下半身があらわになる。

「ちょ、ま、待て待て待て! 下なんにも履いて、うぎゃあっ!」

「えー、だってシンイチ何にも渡してくれなかったよ」

「女ものの下着なんてあるわけ、その前に離れろ、アツミ!」

「えー、どうしてよ」

 やたらシンイチに接触してこようとするアツミを、シンイチは無理やりに引きはがして隣の座椅子に座らせる。

「それもダメだ! 命がいくつあっても足りないよまったく!」

「えー? 何が不満なのよ全く」

「何でもいい! ここに来た時の姿に戻ってくれ!」

「なーんだ、つまんない」

 三度響いたボン、という音で、アツミは小学生の姿に戻った。Tシャツはさらに緩くなり、ほとんどワンピースのような丈になった。

「まあ、それなら、普通に生活できそうだ」

「そうなの?」

 アツミが跳ねるように立ち上がる。背丈の割には両の多い髪の毛、いや繊維状の《黒オリハルコン》がふわりと広がった。

「シンイチってさあ……こういう幼い女が好きなのね」

「うわあああっ!」

 シンイチは叫びながら、天井に着きそうなほどの高さで跳びあがった。

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