第一章 復活のリバイブ-2
人間は、生命の危険を極限まで感じると、すべての動きがスローモーションのように感じられるという。
シンイチの眼に、銃口から放たれた弾丸、その軌跡がゆっくりと、実にゆっくりと伸びていく様が映る。だが避けることはもちろん、身体を動かすこともままならず、一直線に自分の胸元へ向けてそのラインが伸びていく様子を見ることしかできない。超低速のスローモーション。だが生命の危険を感じる間もなく、シンイチは反射的に目を閉じた。
その時、球体から激しく光が放たれた。
光は瞬間、全方位に放たれたかと思うと、シンイチとエーコの間に流れ込んだ。光が、まるで霧が、雲が流れるように、しかも流されてくるのではなく自ら意思をもって流れてきた。そうとしか思えないほどに直線的で意思を持った動きだった。
「なっ……」
エーコは、言葉にならない声を漏らす。
弾丸は、光によって受け止められ、速度と勢いをすべて吸収され、力なく落ちた。
「あ、あれ?」
撃ち抜かれる痛みを想像していたシンイチは、目の前で起きた事態を理解できない……目をつぶっていたので、理解できなくて当然なのだが。
「俺、エーコさんに撃たれたんじゃないんだっけ?
それとももう死んだ?」
大丈夫だ。そういう間の抜けた事を言えるという事は、まだ死んでいない証拠だ。
わけのわからないままシンイチが立ち上がろうと地面に手をつくと、台座が手のひらに触れた。金属質な表面とは異質のあたたかさが、ほんのりと伝わってくる。
拳銃を構えたまま立ち尽くすエーコと向き合うため、シンイチは台座にしがみつくようにして立ち上がろうとする。ゆるゆると身体を起こし、最後、台座の頂点にある球体にシンイチが手を伸ばす。
「はっ! 触らないで!」
我に返ったエーコが叫んだ。
「えっ?」
「触るなって!」
「な、何にですか?」
「その球体……ああ……」
エーコは顔を伏せる。すでにシンイチのてのひらは、光る球体を包むように接触していた。
……やっと来た……
「え?」
誰のものとも知れない声が、シンイチの頭で響いた。
再び空間に光があふれる。今度は全方位に、継続的に、そして光と同時に見えない力があたりに向けて放出された。
「きゃっ!」
エーコがその力を受けて、真後ろへ吹き飛ばされる。握っていた拳銃も、力にあおられて遠くへ飛んでいく。強風を全身で受けたような感覚がエーコの全身を突き抜けるが、周りの空気は動いていない。背中から地面に叩きつけられ、後ろ向きに一回転。エーコは、重装備の男たちの足元まで転げてきた。その《ウトゥ》の男たちも正体不明の力に押しつぶされ、直立できている者は一人もいない。
腹ばいになりながら、エーコは、見えない力の発信源を指さす。
「あんたたち、あの、光ってる球体を壊して!」
「……了解」
エーコの指示を受けて、男たちはマシンガンを構えて引き金を引く。だが発射されない。十数人が構えたすべてのマシンガンから弾丸が出てこない。カチャカチャと、おもちゃのような軽い音だけがそこら中から響いてくる。
「どうした?」
「いや、えー、あれ?」
「あれ、ってあなたたちプロなんでしょ?」
「いや、その、はぁ、何でしょうねこれ? 急に壊れたみたいですね」
「壊れたみたいですね、じゃないわよ! 何なのよもう!」
エーコがいらだつのも無理はない。銃口から入り込んだ光は、男たちの気づかぬうちに、マシンガンの内部構造をほんのわずかだけ変形させていた。それだけでも、弾丸を発射する機能を失わせるには十分だった。
「これが、《マテリアル》の力……。
そう、目覚めたのね、《人造女神》が」
あふれる光と力の向こうで、シンイチはのけぞりながらも自分の足で立って、驚きの表情を浮かべている。
球体を支えていた台座は、まるでペーパークラフトのように吹き飛んでおり、今は球体だけが宙に浮いている。硬質に見える表面は、よく見ると波打つようにわずかに振動していた。あふれる光によって人を吹き飛ばし、気づかれないうちに機械を故障させる。現代の科学技術、いやこれまで人類が手にした知識のうち、どれを投じたとしても不可能な事象が発生していた。
エーコは短くため息をついてから、耳に装着していた通信機を操作する。
「こちら水谷。作戦失敗。想定シナリオ9が進行中。回収頼む」
《わっかりましたー。むかいまーす》
やけに間の抜けた通信音声が途切れるよりも早く、爆発のような大きな音が響いた。
音は、この空間へ続く横穴の方から聞こえてくる。巨大なもの同士がぶつかり、一方が砕けて飛び散る衝撃。しかもその音と衝撃は、だんだんと近づいてきている。
「ええっ、今度は何なんだ!」
シンイチがきょろきょろとあたりを見回す間にも、音は確実におおきくなり、感じる衝撃も強くなっている。岩盤の崩落か、あるいはエーコの言う《秘密結社ウトゥ》のしわざなのか。シンイチは、整理しきれないアタマをフル回転させ必死に考える。が、結論に至るよりも前にそれは壁面を突き破って飛び込んできた。
「エーコさーん、迎えにきましたよ!」
まぶしい光、球体から放たれているのとは全く異なる、荒っぽい人工の光が空間の中に放たれ、シンイチは反射的に手で顔を覆う。
「何なんだ何なんだ!」
正面からは大型トラックが突っ込んできたように見えたが、その荷台に当たる部分からは二本の構造物が生え、前方に向けて突き出されている。タイヤに当たる部分からは、戦車のような履帯を備えた部品がのぞく。トラックの運転席を顔に見立てるならば、その周囲から「腕」と「脚」が生えているようにシンイチには見えた。
その異形の車両は、球体から放たれる圧に耐え、エーコや男たちの元へ移動していく。
「すまない、助かる!」
「いーえー! この《フンババ》の有用性を証明出来て、横山シーコは幸せでーす!」
拡声器を通じて、シーコ、と名乗った操縦者の声が空間中にまき散らかされる。と、《フンババ》と称された車両の側面パネルが展開し、トラックで言えば運転席に当たる部分が開かれた。
「さっ、エーコさーん、早く乗って! 脱出しますよー!」
「すまない、助かる!」
エーコは不可視の力にあらがいながら、小走りに車両を目指す。
「お、俺たちも!」
「乗せてください!」
《秘密結社ウトゥ》の男たちは、それこそが頼みの綱とばかり、這いつくばるようにして《フンババ》のもとを目指していた。
その様子を呆然と見ていたシンイチの背後で、空間の天井が崩れ、岩のかたまりが落下する。轟音とともに、足元から衝撃が伝わってくる。
「シンイチ! あんたも乗りなさい!」
《フンババ》の開口部に足をかけて、エーコが呼びかける。地下空間を支えていた岩盤を、この車両が破壊しながら突入してきたため、空間を支える力のバランスが崩れている。全体が崩壊するのは明らかだった。
だがシンイチは、両の手を握り締めて叫んだ。
「イヤです! 僕はこの! 超古代文明の遺跡を! 発掘するために来ました! こんな大発見を残していけません!」
言い放ったシンイチの顔に、球体から放たれ続ける光が注がれている。その姿はエーコが見たことのない凛々しさに満ちていたが、同時に自分が知らない強さを身に着けていることへのジェラシーを、エーコに感じさせた。
「勝手にしなさい!」
舌打ちとともに言い捨てて、エーコは《フンババ》のキャビンに乗り込む。
「お、俺たちも!」
「乗せてください!」
それに続いて《ウトゥ》の男たちも、重装備をガチャガチャと鳴らしながらエーコに続く。
「何なのよもう! あんたたちが乗れる場所はもうないわよ!」
エーコが苛立ちを隠さずに言う。
「そんな……」
「自分で歩いていきなさい! 訓練されてるんでしょ!」
「お、押忍……!」
男たちは力なく《フンババ》の脇を抜けて、空間の外へぞろぞろと出ていく。その列が途切れるのを待たず、エーコはシャッターを閉めた。
「よし、出して」
「わかりました! えーと、あのボールが《人造女神》ですねー?」
《フンババ》の履帯が回転し、足元の岩盤をまき散らす。巨大な異形の物体が迫り、シンイチは数歩後ろに下がった。
「ちょっとシーコ、何するつもり?」
「え? 何の力だかわかりませんけど、この《フンババ》のパワーアームで軽くこなごなにしてやりますよー!」
「待て、余計なことはしなくていい! 撤退だ!」
「いやいや、すぐ済みますんで大丈夫です!
いっくぞー!」
場違いなほどテンションの高いシーコの声にシンクロするように、車両の後方から伸びたアームは俊敏な動きを見せ、肉食動物の爪にも似た先端のブレードが迷いなく球体に向け突き立てられた。
「それっ!」
急速に、異形のアームがシンイチの目の前に迫る。そこに人がいることなど全く意識していない……実際に意識していないのだが、とにかく躊躇のない動きだった。
「うわわわわっ!」
シンイチはたまらず、跳んでよけようとする。
その背中をかすめつつ、球体からの圧に負けない力で空気を押しのけ、ブレードは球体を粉々に破壊!……することはできなかった。
「なんですと?」
球体に接する寸前のところで、ブレードは食い止められている。ブレードの先には、光が圧縮されてできた壁が立ちはだかっている。
「負けるな、押せー!」
シーコの声とともに、履帯は高速回転、またアームには強力なトルクがかけられ、ブレードの先端、その一点に《フンババ》の持つ力が集中した。次の瞬間、アームの関節部が内部から砕ける。電気系統に損傷を負ったのか、関節部に限らず機体の各所からいくつもの激しい火花があがる。履帯の駆動部分からも一瞬、火の手が上がった。
《フンババ》はたじろぐように球体から距離をとった。
「うーん、ちょっと無理ですねー。エーコさん、ここは撤退しましょう!」
「最初からそうしてくれって言ってるじゃない……何なのよもう!」
黒い車体は左右の履帯を逆回転させ、「回れ右」をするかのように方向転換。自らが突き破ってきた突入口に向き直る。
「シンイチ!」
「ひっ!」
拡声器越しに、急に自分の名前を呼ばれてシンイチは背筋を固くする。
「あんた、後悔するわよ」
エーコから急に投げかけられた言葉。どう反応したらいいかわからないシンイチを尻目に、《フンババ》は移動を開始した。アームを展開したままでは突入口を通過できないはずだが、無理やりあたりの岩を砕いて《フンババ》は進んでいく。
「後悔って……」
エンジンの排気音、アームが動く駆動音、そして岩盤の砕ける破壊音が急速に遠ざかり、空間は静けさと、球体から今も放たれ続けている光に包まれた。
だがそれも、足元から響いてくる重い振動によってかき消される。
「またまた今度はなんだ、なんなんだ?」
振動は足元から、瞬く間に空間全体に広がっていく。壁面にできたわずかな亀裂が、波紋のように広がり、合わさったものがより大きな亀裂となっていく。
空間を支える壁面が自重を支えられず崩れる。そして支えを失った天井部分も連鎖反応的に壊れ、砕けて落下する。そんな騒ぎの中でも、球体は光を放ちながら、シンイチのそばに浮いたままだった。
「今度こそ……俺、ここで……死ぬのか?」
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