第2話 伊那 13歳 宇宙図書館

「起きて!」

 ゆさぶられて伊那は目を覚ました。目の前には真っ黒な瞳を持つ、着物を来た少女が立っていた。前髪も横の髪もまっすぐに切りそろえられている。いわゆるおかっぱという髪形だ。年齢は伊那と同じくらいか。

「誰?」

 まだはっきりしない頭で伊那は聞いた。初めて会った少女だが、なぜだが知っているような気がした。

「私はあなたよ」

「えっ?」


 伊那は少女をまじまじと見た。そして理解した。この少女は、過去世の自分、別次元の自分。自分自身の一部であり、自分より進化している存在だ。年齢は同じくらいだが、瞳の奥の深遠さが、少女がたどり着いた境地を示している。まっすぐに少女の瞳を見つめると、その瞳の奥から、少女がたどった人生を読み取ることができた。



 少女は憑坐だった。少女が生きていた時代の日本では、憑坐としてえらばれた少女たちが、神の言葉を伝え、政治や経済の主軸を担っていた。実務をするのは大人の男たちだが、メッセージは少女たちから伝えられた。そんな風に憑坐として選ばれた少女たちは、大人になっても社会に戻ることはない。政治や経済の秘密を知る彼女たちは、十三才になると粛清される運命だった。それは少女たちが社会に戻ったあとで、子供の頃に知りえた秘密や、その霊能力を使って他者に対して影響力を持ったり、自分の夫や家族を社会的に優位にさせたりすることを避けるためだった。

 この少女は予知能力をもって自分の運命を知っていた。運命をかいくぐって生き延びる道を選んだ場合、自分が世の秩序を乱す芽になることを理解した。死の運命を変えようとはしなかった。そのかわりに自分の力をもって、他次元の自分を助けようと決心した。自分がその運命を受け入れるかわりに、他次元の自分もまた、十三才で死に近づく運命がやってくる。他次元の自分の死の運命を回避させ、危機に陥ったときに手助けできる存在でありたいと少女は願った。粛清のための毒杯を飲みながら、少女は他次元の自分へとエネルギーを差し伸べた。


 そうして少女は、いま伊那の前にいた。十三才の伊那が自分という存在をなくしてしまおうとする試みを阻止したのだ。

 伊那と少女は確かに同じ存在だった。違和感がなかった。自分のこれまでを説明する必要もなかったし、少女に思いをぶつける必要もなかった。伊那と少女はわかりあっており、少女の静けさと明晰さが自然に伊那にも流れてきた。

 伊那は自分がベンチに横になっているのに気づいた。ベンチは不思議な素材でできていた。まるで石のように硬質の光を放ちながら、ふれると柔らかく暖かい。その下にある床は、宝石のように青く美しく透き通って輝いていた。

「ここはどこ?」

「宇宙図書館よ」

 少女はそう答えた。


 伊那は、スピリットフレンドに宇宙図書館に連れて行ってもらったことがある。人間ひとりひとりのデータ、地球のデータ、宇宙のデータなど、すべてが読める図書館だ。アカシックレコードという別名もある。でもここは、スピリットメイトと一緒に行った図書館と似てはいるが、建物の色や形が違う。そう考えている伊那の思考を読み取って少女が説明した。


「あなたが訪れたことのある図書館は別の場所に建っているわ。この図書館には館が十三あるの。私たちが十三という年齢で出会ったことと、この図書館が十三に分かれていることはもちろん関係している。この図書館では、十三という年齢は重要な年齢だから。せっかくここで出会ったのだから、探検してみましょう」


 着物を着た少女はこの図書館を知り尽くしているようだ。伊那を助け起こすと、迷いなくすたすたと歩きながら伊那を先導していった。伊那が意識を取り戻した場所は図書館の中央にある広場のベンチだったようだ。そこから道は放射線状に伸びている。伊那がスピリットフレンドと行った図書館も同じ形だったが、中央広場の色や香り、おいてある彫刻、そして空間に満ちている音楽が違っていた。

 ここの中央広場の中心にあるのは光の噴水だ。噴水というよりは、オーロラが再現されている空間といおうか。円形にめぐらせた堀の中央から四方八方に広がるのは、オーロラのように多彩な光がきらめく光の帯だ。伊那と少女の背丈よりはるかに高く光の帯は舞い上がり、あらゆる色をきらめかせながら舞い落ちる。その色のあまりの美しさに伊那はぼうっとなった。地上で見るオーロラは遥かに離れた遠い空での出来事だ。だがこの広場では、それがまるで手に触れるかのごとく、すぐそばで繰り広げられている。耳に聴こえてくる音楽はゆったりと優しいメロディで、音色は人の声に似ていたが、まるで天使の合唱のようにどこまでも清らかに澄んでいた。どこかで嗅いだことがあるような、えもいわれぬ甘い香りが広がっていた。ノスタルジーを感じさせる香りだった。


「ここは調和の館、そしてあなたが昔、スピリットメイトと訪れた館は記憶の館よ。地球人は、いつの時代でも、どんな国でも、記憶の館にアクセスできる人が途切れたことがない。そして、記憶の館にアクセスできるかわりに必ず試練が与えられる」

「そんなこと聞いてない!」

 伊那は思わず言った。スピリットフレンドはそんなことを教えてはくれなかった。


 記憶の館は、調和の館ほどの神々しい美しさに満ちてはいなかったが、わくわくする好奇心と探求心を満たしてくれる素晴らしい図書館だった。その中でも伊那が最も好きだったのは「前地球記」と銘打ってある何十冊にもわたる大シリーズだ。エジプト編があり、マヤ編があり、アトランティス編があり、レムリア編があり・・・まだまだ読破にはほど遠いが、いつどこから読んでも、心が躍りっぱなしの愛と真実と冒険に満ちた素晴らしい本だった。

 記録の館の通路は中央広場から放射線状に伸びてはいるが、メインストリートは4方向にあり、4つのエリアに分かれている。ひとつめは「前地球記」を含む「地球記」のエリア。ここには「鉱物記」や「植物記」、さらには「動物記」のシリーズもあった。

 ふたつめは「宇宙記」のエリア。そこでは、それぞれの星団と星の名前ごとに分割されており、星々の記録の本があった。彦星と織姫のシリーズもあり、ギリシャ神話のシリーズもある。伊那が知らない星々の記録もあるが、それらは読んでみてもまったく理解できなかった。

 みっつめは「魂記」となっており、それぞれの魂の出生地、出生時期、転生とそれぞれの人生の記録などが書かれていた。基本的に自分の記録は読めるのだが、それでも開くページと開かないページがある。自分の転生についてある程度は読んでいたが、目の前の少女についてのページは読んだことがなかった。他人の本は、公開になっている本もあれば非公開の本もある。手の届く範囲の本は公開だ。背が届かない高いところにある本は非公開の本で、手に取ることすらできなかった。公開になっている本でもすべてが読めるわけではないのは、自分自身の本と同じシステムだった。

 よっつめのエリアについては、伊那は知らなかった。なぜかそのエリアには立ち入りができなかった。通路は他のエリアと変わらずに開放されているのだが、そのエリアに近づくと、いつのまにか自分の体は同じ通路を後ろに下がっており、そのエリアはいつまでたっても近づいてこない。封印されているのだ。


「試練といっても、あなたにはいつものことで、いまさら言うまでもないわ。ここで知ったことを伝える人がいないという毎日を試練が終わる日まで続けるだけのこと。でも、あなたはとても弱い。ほんの少し前までスピリットフレンドがそばにいて、いままでは孤独を味わったことがない。そして、あなたがひとりぼっちになって一年もたっていない。あなたは一年の試練にさえ耐えられない」


 少女に淡々と言われて伊那は恥ずかしくなった。目の前の少女の落着きはらった様子に比べて、自分はどうだろう。スピリットフレンドが別れの前にあれだけたくさんいろいろな注意をしてくれたのに、いなくなったら、あっという間にすべてにうんざりしてしまった。

「すべてのことについて、生き延びるという道を選んでほしい」

 そうスピリットフレンドは言った。

「大丈夫、約束する」

 と答えたのに。


「がっかりすることはないわ。そのために私がいるのだから。だけど、私はスピリットフレンドではないから、地上であなたのそばにはいられない。そして、私からはいつもあなたが見えるけど、あなたから私は見えない。あなたは私に会うための能力をまだ持っていない。そして残念ながら、私たちが次に会うのはずいぶん先になってしまう。

 ここ調和の館では、すべてのことについてバランスが取れる。つまり、癒しをつかさどる館でもあるの。中央広場にあるオーロラはその象徴であり、その癒しのエネルギーを持っている。記録の館で悲しみや辛さを感じてしまうページを読んでしまった場合は、ここに来ればいいの。中央広場のオーロラのそばにいれば自然にエネルギーが満ち、癒されていく。癒されたら、そのまま地上に戻ってもいいし、ここで調和の本を読んでもいい。

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