ヘイ! ガッテンだ!

釜瑪秋摩

第1話 イライラの矛先

 ボクの家の最寄り駅近くに、大手チェーンの居酒屋がある。

 少し変わった店風のこの居酒屋は、ボクにとっては使い勝手のいい場所で、仕事帰りや休日の暇つぶしに、よく立ち寄っていた。

 今日も、仕事が終わって家に帰る前に、少しだけ寄ることにした。


 家に帰れば母が夕飯の支度をしてくれているとは言え、毎晩、父の晩酌につきあうのは疲れるから。

 自動ドアが開き、中へ入ると途端に店員の元気な声が響く。


「ヘイ! ラッシャイ!!」


 まず、ここで一度、ボクは少しイラッとする。

 なぜかと問われると明確に答えられないけれど、なんとなく、イラッとしてしまうんだ。


「何名さまですか!?」


 とにかく、元気だけはいい。

 ボクは指を一本立ててみせる。これもいつものことだ。


「ヘイ! 一名さま、ご案内!!!」

「ヘイ! ガッテンだ!!!」


 まるで唱和のように揃った声が店内に響き渡る。

 ここで二度目の苛立ちを感じる。

 席に通され、メニューを広げて、先ずはビールだ。

 手渡されたおしぼりで手を拭きながら、すぐに注文する。


「ビール、それから冷ややっこ。取り敢えずそれで」

「ヘイ! ガッテンだ!!!」


 これだ。

 このやり取りが、どういうワケかボクに苛立ちを感じさせる。

 これはボクにだけ向けられたものではなくて、もちろん、ほかの席からも同じやり取りが聞こえてくるワケだけれど。


 最初はボクがおかしいのかと思った。

 こんな居酒屋の店員さんのよくある言葉に、そんなにイライラするほどに心のゆとりがないんだろうか?

 そんな風に思ったこともあるけれど、どうやらそれを感じているのは、ボク以外のお客も同じらしいと、あるころから気づいていた。


 だいたい……。


「そんなにイライラするくらいなら、行くのを止めればいいんじゃあないか?」


 ボクの友だちの何人かは、そう言ったし、ほかの友だちも似たようなことをいう。


「こういう大手チェーン店ってのはさ、なにか売りになることをするワケよ。ホラ、ほかのチェーン店にもあるじゃん?」


 そうそう。


 確かにほかの大手チェーンでも、独自の言葉を使ったりしている。

 似たような店はいくらでもあるんだから、ここにこだわることはないんだよ。

 みんな口をそろえていうのだけれど。


 この店は、ほかの居酒屋より安い割につまみの種類が多いし、なによりおいしい。

 苛立ちを差し引いても、美味さが勝るのは、なかなかないから。


 それに……。


 ここへ来て、この言葉にイライラしながらいつも思う。


「この店、なんだってんだよ。いつもいつも、ガッテンだガッテンだって、なににガッテンしてるってんだ?」


 なんて、ワケのわからない苛立ちの矛先を、心の中でひっそりと店員たちに向けることで、どういうワケか普段の生活では、苛立ちを感じることが少なくなった気がするんだ。

 そうやって、ボクが大学生だったころから、就職して今に至るまで、約三年間。

 暇さえあれば通ったこの店。

 いつまで経っても


「ヘイ! ガッテンだ!」


 には慣れないけれど、ここに通うようになる前よりも、ボクは他人や世の中の理不尽さに苛立つことが少なくなった。

 この店を出るまでは、憮然とした顔のままでいるけれど、家に帰るとどういうワケか、変に清々しくなるんだ。


 時々、店のレジに程近い場所に案内されたときには、ボクはこの店に入ってくるお客さんや、出ていくお客さんの顔を観察している。

 みんな、一様に僕と同じで、とてもじゃないけど楽しい時間を過ごした、という顔はしていない。

 でも、たまにこの店の常連さんに、外ですれ違うことがある。

 そんな時、みんな僕と同じように清々しい顔をしているんだ。


 きっと、他のお客さんたちも、この店でイライラの放出をしているんだろうな。

 漠然と、そう思っていた。

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