天の岩戸を開くのは

生永祥

天の岩戸を開くのは

 今年は厄年であるのにも関わらず、厄払いを怠ったためだろうか。今年のお正月から四月の上旬にかけて、私の身の周りに起こった出来事は、正に厄のオンパレードだった。


 まず両家の両親に挨拶まで済ませて、あとは結婚だけという状態の彼氏との間にマリッジブルーが生まれた私は、神経衰弱で精神が大変不安定となり、その後彼氏と音信不通になった。そしてその結果、自然消滅で私は彼氏と別れることとなった。

 次にいつもは仲が良かった私たち家族三人が、私の結婚の話題により仲違いし、初めて大喧嘩をした。それは今までにないほど大きくて激しい意見のぶつかり合いだった。もう少しで勘当されてしまいそうなほど、私は家族全員を怒らせてしまい、深く関係をこじらせた。

 また今度は私の持病のうつ病が悪化の一途を辿り、約一か月間仕事を休職することを余儀なくされた。休職の直前、私は希死念慮に囚われていて、自殺までしようと考えていた。

「このまま休まないでいると、貴女本当に死んでしまうよ」

 医師からの強い危機感に満ちた勧告を受けた私は、泣く泣く四月の全てのスケジュールをキャンセルした。そしてどん底に落ちた私はしばらく実家で静養することとなった。


 実家で何もすることが出来ず、何もやる気が全く起きず、ダラダラと引き篭もること二週間。私はほとんど布団の中で、泣いて寝て過ごす日々を送っていた。

 そんな私とは対照的に、日曜日の朝からきびきびと動く母に、私はジェラシーを感じていた。そんな私に天罰が下ったのか、私は母からいきなり布団から叩き起こされた。突然の母の襲撃に驚いた私は、面食らって慌てて叫んだ。

「な、何!?いきなり」

「あーちゃん。貴女、今、いくつだっけ?」

 上から私を見下ろす母の圧力に、しどろもどろになりながら言葉を絞り出す。

「さ、三十五だけれど」

「そう!それよ!それ」

 そう言って母が私の面前に自身の人差し指を突き付ける。漫画のワンシーンであったら『ビシッ』という効果音が大きく付くだろうその指が、勢いよく私の顔を指す。寝起きで頭が回らない私は「だから何?」と言いながら静かにあくびをかみ殺す。

 すると母は布団から私を放り出すと、「急いで、急いで」と私に大きな掛け声を掛けた。

「貴女、今年厄年なのよ。お母さん、すっかり忘れていたわ。だから貴女、今年に入ってからずっと悪いことが続いているのよ。……娘の厄年を忘れるだなんて、お母さん、貴女に本当に申し訳ないことをしたわ。お父さんに車を出して貰って、今から厄払いをしに神社へ行きましょう」

「で、でも厄払いをするのには、もう遅すぎるのでは?もう四月の中旬だし」

「何でも遅いだなんてことはないわ。思い立ったが吉日よ!ほら早く顔を洗って着替えてきなさい。化粧はもう良いから」

 ただでさえ目の下を覆う青いクマに、そばかすの散った赤ら顔のひどい顔をした私である。そんな私に「化粧はもう良いから」と、ノーメイクで神様と私をご対面させようとする無慈悲な母の言葉に、これまた私は絶句した。

「家から神社まで二時間以上は掛かるのだから。もし化粧をしたいのならば、車の中で済ましちゃいなさい」

 そして十五分後には、私は大急ぎで着替えを済ませ、車の中で化粧をすることとなった。


「やっぱり神社は空気が澄んでいて良いわね」

 そう言って母が神社の境内で大きく身体を反らせる。正直乗り気でない私は車の中で終始不機嫌だった。「そんな顔しないの。せっかく化粧をした可愛い顔が台無しよ」と言って母が笑う。

「そうだぞ。せっかく遠出してここまで来たのだから。楽しまなくては損だぞ」

 そう言って長距離の車の運転で、ガチガチに身体が固まっている父も母を真似て大きく伸びをする。だが突然のストレッチによって身体に激痛が走ったのか、「うわっ」と言い父は顔を歪ませた。

 確かに木々が立ち並ぶ神社は清らかで、清々しい風がリズムよく流れる。私がいつも布団に籠って吸っていた、淀んでいた重たい空気とは全く違う。

 その事実に気が付くと「私は何て人間らしくない怠惰なだらしない生活を長々と過ごしていたのだろうか」と思い、急に恥ずかしくなった。

 両親に悟られないように顎に付けていたマスクを鼻が隠れるまでグイッと上に上げる。自分の情けない姿に、益々私の心は沈んでいった。気持ちの良い風がサッと肌に触れたけれど、それでも私の心は晴れなかった。


「ここにお名前とお住まいのご住所を書いてくださいね」

 受付の巫女さんに厄払いのご祈祷をお願いすると、一枚の短冊型の白い用紙を手渡された。「はい」と言い私はその用紙を受け取る。

「ご祈祷の際に神主が貴女様のお名前と住所を読み上げますので、読めるように横に平仮名を付けてくださいね」

「え!?皆さんの目の前で名前と住所が読まれるのですか?」

「はい。左様でございます」

 そう言って私よりも十歳は下であろうに、しっかりとした言葉遣いで受け答えをする巫女さんに私は感心した。

「公衆の面前で自分の名前と住所を公表されるのは嫌だなぁ」と内心不謹慎なことを思いつつ、私は用紙を記入する。私が用紙を記入している最中も巫女さんは笑顔を崩さず、ずっとにこにこしていた。その笑顔に緊張していた私の心が少し軽くなった。


 用紙の記入が終わり定刻になると、私はご祈祷に臨んだ。「よろしかったらご家族の方も靴を脱いで上に上がられてください」と巫女さんに誘われる。父は遠慮したが、母はご祈祷に興味があったようで、急いで靴を脱ぎ、神主さんのいる広間に上がって行った。急いで私も母の後を追う。

「靴下、穴が開いていないかしら?」

 突然心配そうに一人言を呟く母の言葉に、ぶっと噴き出しそうになった私は懸命に笑いを堪える。ここは耐えないといけない。そうだ。此処は笑いを我慢しないといけない神聖な場所であり真面目な場面なのである。

 正座をして俯き、フルフル震えている私に気が付いた神主さんが、そっと温かくて優しい言葉を掛けてくれた。

「緊張しなくても大丈夫ですよ。わからないことも多いかと思いますが、きちんとこちらが指示を出しますので。その通りにやって頂ければよろしいのです」

「まぁ。お気遣いありがとうございます」とお礼を言い軽く会釈をする母の横で、まだ笑いを堪え震えている私は「神主さん、心配してくれてありがとうございます。そして大きな勘違いをさせて本当にごめんなさい」と心の中で何度も呟いた。


 ご祈祷は滞りなく進んだ。初めてのことで正直、目の前の指示を一つ一つこなすことに一生懸命だった私は、ご祈祷が終わった後、何の所作をしていたのか全く思い出せなかった。

 ただご祈祷の最後の方で、自分の名前と住所が大きな声で読まれた時は、また笑いそうになった。神主さんが大声で読む私の名前と住所に周囲の人々が次々に反応をしたことが、何だかものすごく可笑しかったのだ。他は全く覚えていないのに、何故かそのシーンだけは鮮明に覚えているから不思議だ。

 帰りにお神酒に口を付けて帰るよう促された。厄払いの所作を全く知らなかった私は、お神酒を飲んで帰る、という事実に驚いた。そして先程受付をしてくれた巫女さんが、にこにこと小さな白い紙袋を携えて私に近づき声を掛けてくれた。

「ご祈祷お疲れ様でした。こちらはご祈祷を行われた方全員に、持って帰って頂いているものです。よろしかったらお持ち帰りください」

「あ、ありがとうございます」

 お礼を言って巫女さんから、紙袋を受け取って中身を確認する。紙袋の中には、小さな瓶に入ったお神酒と、升と、この神社のお守りが入っていた。

「神様のお導きがございますように」

 そう言ってにっこり微笑むと、巫女さんはまた社務所の中へとゆっくりと戻っていった。


「すごく可愛い笑顔の人だったなぁ」

 両親の横でそうポツリと私が呟く。すると父と顔を見合わせた母がふふふっと笑って、私に語り掛けた。

「貴女ももう少し元気になれば、可愛い笑顔の素敵な女の子よ」

「そ、そうかなぁ?」

「そうよ。だって私が生んだ子供ですからね!」

「あ、ありがとう」

 お礼を言いながらも、母の台詞に半信半疑で訝しげに顔をしかめる私に、今度は父が語り掛ける。

「少なくとも家に居た時よりは、あーちゃん、すごく良い笑顔だと父さんは思うぞ」

「あ!お父さんもそう思った?実は私もそう思っていたのよ」

 そう言って両親がお互いに私の顔をじっと見る。長い時間二人からまじまじと顔を見つめられて恥ずかしくなった私は、それを諭されないように、神社の周囲を見回した。すると五メートルほど先におみくじが置いてあることに気が付いた。

「あ!おみくじだ。ねぇ、あれ引いて帰ろうよ」

 そう言ってそそくさと両親の前から私は離れる。

「おみくじかぁ。いいわね、引きましょうか」

「おみくじなんて久しぶりだな。一体何年ぶりだろう?」

「お父さん、出不精だから神社に余り来ないものね」

 ワイワイ言いながら、満場一致で私たち家族三人は各自おみくじを引く。そして各々、夢中でおみくじの結果を声に出して、読み始めた。

「お母さんは中吉。お父さんは?」

「俺は小吉だな」

「私は『今日一日を己の勤めに勤しみましょう』ですって。つまり仕事も家事も頑張りなさいってことかしら?」

「これ以上頑張ってどうするの?お母さんはいつもしっかり頑張って働いているよ。どれどれ。俺は『塵も積もれば山となる。小さな善行を積んでいけ』だってさ。善行を積むとは、なかなか難しい言葉だな」

 おみくじを全て読み終えた両親は感慨深く呟くと、今度はおみくじを木の細い枝にくるりと巻き付ける。そしておみくじが破けないように注意しながら、枝におみくじを結び付けた。

 その後いつまで経ってもおみくじを枝に結ぼうとしない私に、両親がお互いの顔を見合わせて、不思議そうな顔をする。

「ねぇ。あーちゃんのおみくじは何と書いてあったの?」

「どれどれ」と言いながら私の身体の右横から父が私のおみくじを覗き込む。それに追随して、今度は母が私の身体の左側に回り込みおみくじを見た。

 私のおみくじの言葉を読んで両親が一瞬ハッとしたことを、私は決して見逃さなかった。


 私はおみくじの言葉の一文を見て、言葉を失っていた。雷に打たれたような衝撃が私の心と身体をビリビリと支配する。

 そこには今、一番私が欲しくて一番必要な言葉が記されていた。


「常に笑顔で。天の岩戸も笑顔で開いた。笑顔の力を忘れずに」


 思いがけない神様からの不意打ちの言葉に、突然私の目から温かい涙がぶわっと溢れてきそうになった。しかし、私はそれを必死に食い止める。

(泣いちゃ駄目だ。だって神様が常に笑顔で、って。私に教えてくださったのだもの。だから泣かない)

 心に誓いを立てて、グイッと顎を上に向けて空を見上げる。久しぶりに外に出て仰ぎ見た空は見事な青色で、雲一つない快晴だった。

 そして私の両肩に後ろから両親がポンポンッと手をのせる。温かい両親の手が私の肩に重なる。

「神様はあーちゃんのこと、見てくださっているんだなぁ」

「そうね、神様はあーちゃんに、今一番大切な言葉を掛けてくださるのね」

 肩に置いた手はそのままに、私の顔を覗き込んだ母が、またふふふっと笑って私の顔を覗き込む。

「ねぇ。あーちゃん。遅くなってしまったけれど。厄払いをしに、此処までやって来て本当に良かったでしょう?」

「そうだな。あーちゃんは、今日此処で素敵な言葉を神様から頂いたしな」

 先月のギスギスしたあの大喧嘩が嘘のように、私たち家族は三人で円陣を組み笑い合う。

「うん!本当に来てよかったよ!お父さん、お母さん。此処に連れて来てくれて、本当にありがとう」

 そう言うと私は急いで、おみくじを結ぶ木の下まで駆けていく。そしておみくじを結び終わり、二人から少し先を進んだ所で止まると、私は前を向いていた身体をぐいっと後ろに向けた。

 振り返ると私は両親に向かって、お腹の底から出せる最高の声量で、喉が潰れそうになるほど大きな声でこう叫んだ。


「私の天の岩戸を開いてくれたのは他でもない。お父さんとお母さんだよ!いつも本当にありがとう!今回は随分落ち込んで、沢山心配と迷惑を掛けて本当にごめんなさい。これから私、変わるから。これからもずっと笑顔の人になれるように私、頑張るね!」


 そして今までの人生の中でとびきりの最高の笑顔を両親に向けると、私は丁寧におみくじを細い木の枝に巻き付けた。


【完】

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