#19 『4人目の聖女(3)』
■
聖女の奇跡――。
【浄化<ピュアリファイ>】
【治癒<キュア>】
【創造<クリエイト>】
【成長<グロー>】
【破魔<エクソシズム>】
これらに代表される5種の魔法は、如何に膨大な魔力を持つ魔法使いであっても行使できない。
聖女だけが使える魔法だ。
「あ? なんだ、今の……」
「……」
今のイストは、女のいでたちをしている。
だからと言うかなんというか、イストが治癒の魔法を行使する光景を目撃したその男は、すぐさまその意味を理解した。
即ち――。
「貴様……いや貴方様は、聖女……なのか?」
「……」
僕は二の句を告げられない。
バレる訳にはいかなかった。
だが、この場この時この状況下で、この男に対しては弁明することができない。
治癒の魔法の行使以外で、両眼を失った兎獣人ラナの傷が消えた理由は存在しないからだ。ラナやリーシャが聖女である可能性もない――人間以外に、聖女の力は発現することはない。
男が聖女の力を持つこともないが、イストが男であると知るのはアシェリーと家の見送りに来た使用人くらいだ。
「……あの男ッ!」
狼獣人リーシャは髪の毛と尻尾を逆立ちさせて警戒を向ける。
だが騎士の男は目もくれずこちらを見ている。
「聖女、聖女……聖女? なんでここに聖女が? いや、それより……そうか、そうだ、そうすれば俺はッ!」
「なんだあいつ、狂ったのか?」
「君たちは、……逃げて。どうやらあいつは君たちのことは眼中になさそうだ」
標的を僕に変え、何やらぶつぶつと呟いている。
何を考えているかは知らないが、僕が聖女の力を持っていると、この男にはバレたに違いない。
「でも……」
「騎士を相手に君たちを後生大事に守ってやれるわけじゃない。感謝も礼もいらないよ。僕たちがやりたくてやったことだ。行ってくれ」
「分かった。この礼は――また。まだ私たちの事情を話す約束も守ってないし……それもいずれ」
「……要らないってば――ってもういないか」
さっ、と少女たちの気配が消えた。
あの子たちはあの子たちでどうにかするだろう。
それより目下面倒なのは目の前の男に他ならない。
「彼女たちを追わなくていいのかい? 追うなら追うで邪魔するけど」
「いやなに……あの2人のことはもう良いのですよ。――聖女様」
膝をつき、慣れない礼儀作法で僕に対して礼をする男。
その顔には、能面のような取り繕った笑みがくっついている。
「僕は聖女ではないのだけれど?」
「いやいや。わたくしは先ほどの【治癒】の魔法を拝見致しました。素晴らしい腕前でございました――隠すことなどございませんでしょう?」
状況証拠で、兎獣人の子の傷が治っていたことから推測すれば、僕が聖女であることを推測することは容易だ。
この男がもう少し馬鹿なら、どうにかこの場をごまかすこともできたが――うまくいかないもんだ。
見られてたか。
「でも……聖女様の御顔は姿勢にも触れまわられているけど、その誰の顔とも似つかないだろう?」
一応、そう言って男を説得しようとする。
「そう! そうです! つまり、貴方様はつまり――4人目の聖女であらせられるのです! そして私は! 貴方様を捜索するために王都から来たのであります!」
にやり……と男が笑っているのが見えた。
「例えば僕が聖女だとして、聖女がこの地にいるというのをどのように知ったのか、聞きたいところですね」
僕はこれまで人前で聖女の力を使ったことはない。
「神が! 全ては神の神託であります! 神が私を聖女様と引き寄せた! そういうことです」
「(んなわけねえだろクソ野郎)」
そう独り言ちる。
神なんていないと既に僕は知っている。
神という舞台装置が聖教に必要だっただけで、世の中にあふれる神の奇跡や神託とやらも、聖教が作り上げたまやかしなのだ。
「ん? 今なんと?」
「いえなんでも」
だが、さて、どうするか。
僕が聖女であることがこの男には知られてしまったことには違いないのだ。
……ならここは聖女の権力を精々利用させて頂くか。
「貴方が聖教の信徒なら、聖教では聖女をトップに置いているというのは知ってるね?」
「ええ勿論!」
「――では命じる。ここで起こったことは全て秘密にしてくれ」
「……!? それは、しかし……」
「何も言わずここを去ってくれ。息苦しい生活は嫌です。そして、権力に興味もありません」
「聖女であれば、聖女機関は手厚い保護を受けることも、王宮での煌びやかな社交の場に往くこともできるのですよ!?」
「僕はこれで良い。今のままが良い」
「わ、わ……分かりました」
少し驚いたような表情だったが、すぐに落ち着き、騎士の男は急ぎその場を去る。
物分かりが良かったのか、あるいは――。
「……いや、あの男の良心に期待はできないか。やっぱり僕は――」
口封じにあの男を殺すべきだったのだろう。
男が去った後に考えても、後の祭りではあるが。
■
アシェリーと2人。
迎えの馬車の中で話し合う。
僕はさっき買った服で男の成りに着替えている。
護衛は他の馬車に乗っており、イストだけがアシェリーの護衛として付けされ、今は2人きりだ。
「――その男は殺しておくべきだったわね」
「やっぱり?」
「あの男が約束を守るとは思えない。なぜなら――」
そう言ってアシェリーは説明を始める。
男は騎士として10人の隊を率いている、一定の影響力のある騎士だ。
だが、この領にいた理由が最初は分からなかった。
その理由とは、国境を違法に越えてきた希少な獣人から、一部の好事家が好むコレクターアイテムを奪うことだった。
少なくともあの男は兎獣人の子の眼球を奪い、透明のケースに入れていたらしい。
小遣い稼ぎにやっているらしいが、――ここで問題がある。
それは結果として、フィアーノ家領地で大衆の面前で騎士たちの汚職を目撃されてしまったことだ。
しかもフィアーノ家の息女であるアシェリーに。
この問題を解決するための手段として、『聖女の存在を隠していたのではないか?』という疑いをフィアーノ家に掛けてくる可能性があるというのが、アシェリーの見立てである。
「つまり、汚職をしていたその騎士は、貴方の存在を生贄に、自分がフィアーノ家に糾弾され難い状況を作り出そうとすると考えられるわ……」
「そして、そうなると僕の立場も厄介な感じになりそうだね」
「そうね。4人目の聖女を隠していたと疑われれば、うちの家の問題にもなるし……厄介ね」
「ごめんね。こんな風にしちゃって」
アシェリーとともにこれまで、聖教を倒すために多くのことをやってきた。
今回の件はかなりクリティカルな失敗だ。
これからの計画もおじゃんになってしまうかもしれない。
「謝る必要は無いわ。いえ……こうなった以上、状況をコントロールして、うまく立ち回るしかないのよ」
「でもどうすれば?」
「まあ最悪の場合は一緒に逃げましょう? 聖教との関係性が少ない国も、東の方にはあるらしいから」
冗談にも、本気にも聞こえなかった。
僕にとってもその提案は、検討に値するがバカげたプランだった。
敵に臆して逃げても、復讐は成らないのだから。
――少しの間、馬車の中に静寂が満ちる。
アシェリーは何事かを考え、僕はと言えば、これからの想像で嫌な事ばかり考えてしまっていた。
そんな中、ぞっとする声と目つきで、アシェリーは――。
「ちっ……。それにしてもあの騎士、本当に面倒なことをしてくれたわね」
と言った。
これまでの付き合いで、僕にはその顔つきのアシェリーに覚えがあった。
「アシェリー。怖い顔だけど……程ほどにね」
「ええ。分かってるわ」
闘気は漲り、人を殺す目をしていた。
……死んだな、あいつ。
■
数時間後――王都シルリア。
その詰め所にて、アシェリーたちと邂逅した騎士が報告を行っていた。
その内容には多くの疑問点があったものの――棄て置ける内容ではなかった。
王都とフィアーノ家の領境には、法衣貴族(※)である公爵【ジェイソン・ココッチオーラ】と、その護衛である近衛騎士1名が詰め所に駆け付けていた。
ココッチオーラ公爵と言えば、聖教派の筆頭であり、この場で最も発言力を持つのもまた彼だった。
※法衣貴族とは、貴族の中でも、王宮での役職を持つものを指す。テクニカルには、領主貴族以外の貴族全般を指す。爵位に応じ、領主貴族と同等の年金を貰っている。
更には近くでかき集められる限りの正騎士の1000人隊長レベルが総揃いしていた。
ジェイソンは持っている報告書を、感情の読めない表情で見て、……しばらくすると、ぱさり、と伏せて置いた。
「気がかりな点もあるが、貴様がここで虚偽を申告する理由にも思い至らぬ」
「は! 虚偽などではございませぬ! 私はあの場所で見たのです! 治癒を使う4人目の『聖女』を!」
「フィアーノの娘とともにいたというのも、間違いないのだな?」
「ええ!」
「であれば、問いただす必要もあるか……」
貴族は自治領における捜査権を持ち、上位の貴族の介入がない限り捜査と量刑について一定の裁量権がある。
だが、この件についてはフィアーノ家に任せるわけにはいかない。
何せ、聖女とフィアーノ家は利害関係者である可能性があるからだ。
素行不良の正騎士が上げた案件。
最初は「何を馬鹿な」と誰もが思っただろうが、捜査せずにはいかないセンシティブな内容でもある。
――4人目の聖女がいるなどと。
「では、すぐに中央の貴族へ連絡を送れ! 至急だ!」
「はっ」
公爵の男が近衛騎士に支持を出し、すぐさま動き出す。
■ 捜査記録
ゼファ・フィアーノ、アシェリー・フィアーノの2名に対し、事件の日から3日後に、王都へ出頭を命じた。
――捜査は近衛騎士と王都正騎士を主体として尋問の体を取った。
貴族相手であろうとも、隠蔽の疑いがある以上強い語調で詰問が行われる運びとなった。
問題と尋問対象の性質から、拷問などを行なうことは禁止され、また、情報の正確性には疑いがあることを考慮する。
(1)聖女と疑われている人物の居場所は不明であるが、ゼファはその居場所や正体を知っていると知れた。アシェリーは黙秘を選んだ。ゼファは聖女自身がその情報を明かされることを拒んでいることから、現時点で明かすことはできないと主張した。
(2)両名とも、聖女とされる人物が聖女であるということを知ったのは事件の日当日だったという。
(3)アシェリーより、王都正騎士の振る舞いに対しての疑義が主張された(※別資料)。
尋問は各人に対して15時間にも及んだが、真偽は不明のままとなった。
真偽不明で捜査終了など、中央が許すはずもないが――、【聖女機関】の介入があり、王国としては中断せざるを得なかったのだった。
王国は捜査を、聖教所属の【聖騎士<ホーリーナイト>】の特権機関にして、聖女機関の直属である、【異端審問委員<クルセイダー>】に移譲する。
■
――あの騎士は約束を守らなかったらしい。
王都は大慌てでフィアーノ家に対して調査を開始した。
ココッチオーラ公爵家からの政治的圧力により、王宮への呼出と尋問があったらしい。
申し訳なく思うが、取り敢えず黙秘を中心に、僕の正体についてバレないように気をもんでもらった。
王都から馬車が帰り、アシェリーの部屋で僕とアシェリーとゼファの3人が向かい合う。
「イスト」
ゼファは僕をにらみつけてくる。
「お父様、邪魔をしないで下さる?」
僕を庇うように、アシェリーが前に出る。
それを苦々しく見るのは、ゼファだ。
「アシェリー。お前は――」
一旦そこで息を吸い、続けてゼファは言いずらそうに言う。
「――俺に王を裏切れと言うのか? イストの人相は広まっているんだ。お前の言うようにすれば、フィアーノ家は潰される。既に調査の手がこの家に及んでいるのだ」
「王? 聖教? そんなの全て騙し切ってしまえばいいのよ。お父様がイストのことを「心当たりがある」なんて言ったせいで、今面倒なことになっているのは理解していて?」
「騙すだと? それは王に対しての不敬だッ!」
「そうよ。私は不敬をしてるの。でも聖女様に不敬になるよりよっぽどいいでしょ……お父様?」
少しも憚りもせずに短剣を抜くアシェリー。
剣の腹を眺め、殺気を纏う。
「……さて。ただの騎士だった頃のお父様はまさしく――この国の強者の一角だった。でもね……今はどうかしら?」
脅しではない。
アシェリーは、必要とあれば、ゼファを殺すつもりだ。
それができるかは分からないが。
親子の情より、大切なものがあるのか、あるいは――。
「アシェリー。貴様知っていたな?」
ゼファが思考を遮って言う。
その眼には、凡そ娘に向けるものではない怒りが込められていた。
「……」
「イストが聖女の力を持つ『男』であると、知っていたんだな?」
「それが何か?」
「それは王に対する背信だ。たたっ切ってやる」
ゼファが剣を構える。
ピリピリと闘気を感じる。鬼気迫る表情を向ける。
「……ッ!」
ゼファは冷静ではない。アシェリーも、また。
僕は、どうする?
ゼファもアシェリーも、止めるだけなら簡単だ。
シャドウに入られてから僕の体は極めて頑強で、身体強化を載せれば、この世の大抵の物質は僕より柔らかくなる。
2人とも強いが、常識外の強さという訳ではない。
だが、……ここで暴力を使って、ただこの場を治めるだけの姑息な処置で解決するかと聞かれれば――それは疑問だ。
「……ゼファ『公爵』」
「なんだ? イスト」
「今すぐ剣を納めてください……アシェリーも」
アシェリーは、イストの命令に従い、すぐに剣を納める。
ゼファも、ゆっくりと時間をおいてから剣を修めた。
「アシェリー、今回の件、解決法はある――僕がここにいなければ――聖女は居なかった、それで片が付く」
騎士団が探している聖女は、僕のことで間違いない。
だから一番簡単な解決策は、僕がこの場を去ることだ。
探しても見つからない。
いずれは風化し、調査は打ち切られる。
そう思ったのだが――、
「それでは解決にならん。この家の人間に限らず、お前のことを知っている、見たことのある人間は複数いる。イスト、お前の思っている問題点は、ズレている。問題は――聖女がここにいることだけじゃない。それが、男であるということも含めた、より包括的な問題だ」
そこまでいうと、ゼファは少し顔に笑みを浮かべた。
「解決する方法はある。その方法を取らないなら、俺は娘を斬ることになる……イスト、――そうさせてくれるなよ?」
「解決する方法とは何ですか」
「いいか、イスト、お前は――貴方は今日から『女』だ。そうすれば、新たな聖女が発見されたと言う報告だけで済む。聖教が扱う問題も、「男が聖女になった」などというデリケートなものにはならない」
聖女が男であるなど、あり得てはならない。
アシェリー以外に『公爵家使用人イスト』が聖女であることを知っているのは、ゼファだけだ。
だが、騎士たちがより詳しく調査すれば、あの日僕とアシェリーが町中を歩いていたことは知れてしまう。
それは、聖女の力を持つ僕が男であることを確定させてしまうのだ。
「……」
ゼファとアシェリーの両名が僕の方を見る。
嫌だ。
この感じ、凄く嫌だ。
僕は男だ。
そして、ゼファは『女になれ』と言っているのだ。
そして――僕には選択肢がなかった。
僕は、その提案を呑んだ。
それしか、なかった。
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