星々のささやき、夜空に描かれた夢

犬子蓮木

風に舞う砂

 トモの唯一の友達はゴウだけだった。

 その虎のぬいぐるみの瞳は、黙って彼を見つめていた。その瞳はトモにとって、深い井戸のように思えた。その底に何があるのか、見えないけれど、何かがそこに確かに存在している。

 トモはゴウの耳をなぞった。そこには欠けた部分があった。それは、彼自身の存在と同じように、どこか不完全で、引き裂かれたように見えた。

 窓の外を見た。風は草木を揺らし、砂埃を巻き上げていた。その風に舞う砂埃のように、彼の心は絶えず彷徨っていた。どこに向かうべきなのか、何を望むべきなのか、それさえもわからない。彼はただ、漠然とした不安と疎外感に襲われ、心の中で深い絶望を感じていた。

 トモはゴウを抱きしめると、自分の部屋を静かに眺めた。その部屋は家具が少なく、壁には何も飾られていない。空っぽの部屋は彼の心と同じく、何もないことが何よりも大きく響いていた。

 窓を開けて外を見渡すと、街の賑やかさが広がっていた。行き交う人々、子どもたちの笑顔、それらはすべて彼から見て遠く、遠くの風景のようだった。

 彼は再びゴウを見つめた。その虎のぬいぐるみは、ただの玩具ではなく、彼にとって一番近くにいる存在だった。欠けた耳をなぞりながら、トモはゴウに向かって小さな声で言った。

「僕たちは、一緒だよね、ゴウ」

 その言葉は彼の心の中で鳴り響いて、存在の証明となった。

 暗い部屋の中、トモは時間を忘れてゴウと遊び続けた。欠けた耳の虎との対話は、彼の心を満たす唯一の楽しみであった。想像の中で、ゴウは彼に話しかけ、時には励まし、時には共感してくれた。その対話は全て彼の心の中だけのもので、誰にも邪魔されることなく、トモの世界を満たしていた。

 だが、トモは知っていた。ゴウが動くのは、彼自身の想像の中だけで、本当にはゴウはただのぬいぐるみであり、話すこともできない。そんな現実を思い出すたびに、彼は胸が詰まるような感覚に襲われた。

 ある日、トモは突然ゴウを見つめて言った。

「もしも、ゴウが本当に話せたら、どんなことを言うんだろう」

 その言葉が部屋に響き渡ると、トモは深い静寂に包まれた。静寂はトモの心をさらに虚しく感じさせ、彼はゴウを抱きしめながら涙を流した。

 トモは夜が深まるにつれて、より一層虚しく感じた。ゴウとの会話は全て自分の中にあるもので、それが真実でないことを強く感じていた。このままでいいのだろうか、と彼は問いかけた。しかし、答えは帰ってこない。ただ、ゴウの欠けた耳が彼を静かに見つめているだけだった。

「ゴウ、僕たちは一緒にいるけど、ほんとうは一人なんだね」

 トモの声は部屋にこだまして、長い間消えることはなかった。彼の心の中は虚無感でいっぱいで、ただ一つの思いだけが彼の心を締めつけた。

「ゴウ、僕たち、どうしたらいいんだろう」

 トモはゴウに問いかけたが、答えはなく、彼の問いはただ空虚な部屋に消えていった。しかし、その夜、トモはゴウとの対話を続け、一緒にいることで少しでも心の穴を埋めようとした。その眼差しは、絶望と希望が混ざり合ったような複雑な感情で、ゴウを見つめていた。

 トモの眠りは深く、心の奥底から湧き上がる音が彼を夢の世界へと誘った。瞼の裏側に広がる闇を泳いでいた。

 闇夜の海が荒れ狂い、その闘いの中から一つの唸り声が飛び出してきた。風が古木を揺さぶり、その木陰から一匹の虎が現れた。

 トモの心臓は鼓膜を叩く風の音に合わせて早鐘を打つ。彼の小さな足は自然と後ずさり、自分の体が小さく、虎の巨体を見上げる角度が怖さを増幅させる。しかし、その時、体格に見合わぬ欠けた右耳が視界に入る。なじみ深いその形状は、トモの心に一筋の熱を走らせる。

「ゴウ......?」

 トモの声は小さく、風にすぐに飲み込まれた。それでも、彼の手はゆっくりと砂から離れ、恐怖から解き放たれた。ゴウと同じ欠けた耳、それが確信へと変わる。手足が自由に動き始め、トモは虎に向かって少しずつ進む。

「トモ、君も私と同じだね」虎の口から飛び出した言葉。

 それは風に乗せられ、羽毛と共に運ばれてきた。虎の存在はトモの中に深く根を張り、それはトモ自身でも見たことのない世界となる。

 砂浜に寄り添う二つの影、トモとゴウ。トモの瞳は満天の星々を映し出しているが、その意味は掴めない。星々は沢山あるけれど、一つ一つを数えることができない。それは、彼がまた一つ、何かを掴めない事実を確認する瞬間だった。

「ゴウ、ぼく、星を数えられないんだ」

 トモの言葉は混乱を訴えていた。彼は友達と一緒にいるという現実を、無言の歓びとして受け入れていた。しかし、その言葉は同時に、彼自身の無力さと戸惑いを明らかにしていた。

「それは星が多すぎるからさ」

 ゴウの答えは慈悲深く、しかし何処か遠い。彼の瞳はトモを見つめていたが、その眼差しの中には不可解な影が揺らいでいた。友達でありながら、何かを隠している。

 トモは再び星空を見つめる。数えきれない星々、理解できない世界。それらは彼にとって混乱と迷いの源であった。だけど、その混乱と迷いの中にも、ゴウという友達と共有できる時間があった。それが、彼にとって一時的な慰めであり、狂気を緩和する唯一の要素だった。

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