第3話 でかい後輩1
この時期に転校した僕は、新しい環境に慣れるのに時間がかかった。
幸いなことに、貴島は相変わらず僕と――いや俺と仲良くしてくれていた。
わざわざうちまでは来なかったが、通話だけでも癒された。
今日もバイト帰りに掛かってきたので公園で座って通話していた。
『俺だってw』
「笑うなよ。これでも苦労してるんだ」
『そんなにガラ悪いの? 確かそっちの方が偏差値高いよね』
「円花にああ言われてわかったんだ。ぼ……俺って馬鹿にされてたんじゃないかって」
『そんなことないでしょ。円花だよ?』
「ずっと上から目線だったじゃない」
『あれは円花の円花らしさかな』
「円花のことはもういいよ……」
『ほんとに? ああ、でも言いにくいんだけどさ……』
「何だよ」
『円花、3-Cの辻村ってやつと付き合い始めた……』
「うそっ、あの円花が?」
『うん、私も信じらんなかった』
「そんなに早く切り替えられるのかよ……」
貴島とこれ以上話していられなくなった俺は通話を切ったが、どうしようもない怒りのやり場を失くしてしまった。
ベンチから立ち上がり家に帰ろうとしたが、思った以上にショックを受けていたようで、ふらつき、たたらを踏んでしまう。幸い、よろめいた先には別のベンチがあって助かったが、そこには先客がいた。
「「わっ!」」
先客にぶつかってしまい、二人とも驚いて声を上げる。俺は慌てて飛のき――のこうとしたが、尻もちをついてしまう。
「ごめ……」
「わわっ、大丈夫ですか?」
ベンチにはでかい女が居た。でかいと言っても俺とたぶん同じくらい。ただ、思いがけず遭遇し、また覆い被さるように手を伸ばしてきたため、余計にでかく見えた。そして羨ましいことに手足が長く小顔な印象だった。
「大丈夫大丈夫! ちょっとふらついただけだから」
俺は自分で起き上がり、とりあえずベンチに身を寄せた。
「あっ、よかったら飲みます?」
彼女はスポーツバッグの中からスポドリの新しいペットボトルを取り出して渡してくる。
「えっ、いいの? ごめん、ほんと助かる。ありがとう」
眩暈がしていた俺には本当にありがたかった。
一息つくと、足元もしっかりしてきた。
「別れ話ですか?」
突然の的を射た質問にむせた。
「ごっ、ごめんなさい」
「い、いいのいいの。似たようなものだから」
「やっぱり……」
「ちょっといろいろあって、その、俺を信じ切れなかった彼女と別れたんだ」
はっきり円花には返事はしなかったが、彼女の行動はつまり別れたということだろう。それ以前に俺は逃げた。
「信じて貰えないのは辛いですね……」
「辛かったね。――ああ、君はこんな時間に何してるの? もう遅いよ」
「自分こそ。中学生? 高校生?」
「中学だけど、伯母のところでバイトした帰り」
「私は……」
「バレーやってんの?」
少し見えた彼女のバッグの中身から何となくわかってはいた。
「まあ、はい……」
「俺もやってたよ、バレー、楽しいでしょ。俺、あんなに楽しいものだとは思わなかった。もっと早くやってたかったなあ」
「う……ん、そう、ですね……」
「楽しくないの?」
「レギュラー入りした途端に、楽しいかわからなくなっちゃったんですよね」
「お、レギュラーなんだ。俺もレギュラー入りするのに1年近くかかったなあ」
「レギュラーなんですか?」
「もう後輩に譲ったけどね。受験もあるし」
「えっ、三年ですか? どこ中ですか」
「西第一だったけど、少し前に転校して今は東」
「西第一ってもしかして鷹なんとかって」
「鷹野原」
「やっぱり! 試合観ました! 足のバネがすごかったです!」
「それはわからないけど、何かバレーって体に合ったんだよね。一年の夏前に始めたんだけど……」
そこまで言って
バレーを始めたきっかけ。そこに至ると先へ進めなかった。
彼女も何かを察したのか、それ以上は聞かなかった。
「……あの、先輩。もしよかったら私にバレーを教えて貰えませんか?」
「えっ、でも教えるとか素人だよ? あと君も東なの?」
「はい、東の
「まあ、構わないけど……」
どうせ友達も少ない。小学校の知り合いも何人か居るはずだが、もう二年以上会っていないし、そこまで親しかったわけでもない。受験もあるが余裕はあるし気分転換にはいいだろう。バイトの目的も失いがちだった俺は、彼女の部活が終わる時間に合わせてバイトを切り上げ、ほどほどに練習に付き合ってやることにした。
◇◇◇◇◇
「先輩! おはよーございまーす!」
朝、登校の時間、遠くの方から目ざとく見つけられ、橋倉に挨拶される。朝練を終えたばかりなのか汗がにじんで前髪が少し濡れている。昨日とは違って長い髪をポニーテールにしてる。夜に見たときとは違って、彼女は快活な女の子にみえた。
俺はと言うと、あと二学期しかないことから前の中学の制服のままだった。それほど違いはないけれど、それでも目立つのだろう。彼女に見つかってしまった。
「せーんぱい!」
「橋倉、声でかいよ」
「でかくないですよ!」
「でかいよお前はいろいろ」
彼女は思ったよりかわいくて目立っていたし、その彼女に声を掛けられている俺も目立ってしまった。
おかげで、教室へ入ると隣の男子に話しかけられてしまった。
いや、それはいいのか。
「な、転校生、お前もう七海ちゃんと仲良くなったの?」
「鷹野原」
「タカノン、七海ちゃんとはどういう?」
「元バレー部だからちょっと話が合っただけ」
「マジか。やっぱバレーか。バレーやっときゃよかったよ」
「えっ、バレーやってた鷹ナントカってあの西第一の?」
会話を聞いたクラスの女子が話しかけてくる。
やばい。あまりその辺は広められたくないと今更思った。
クラスの雰囲気がガラッと変わるのは怖い。
「いや、俺はレギュラーじゃなかったし、西第二だしさぁ……」
俺は適当を言って逃げた。
◇◇◇◇◇
橋倉は練習に付き合ってやるとそれはそれは楽しそうにしていた。ただ、バスケなんかと違って二人でできる練習は限られていたので、俺は伯母の力を借りて、近所の奥さん方のバレーチームの練習に混ぜて貰ったりした。
「そうなんですけど、そうじゃないんですよー」
「何言ってんだ。上達したいんだろ」
橋倉はバレーチームに混じって練習するのに難色を示していたが、やがて、楽しさを見つけたのか積極的に参加してくれるようになった。
「お世話になります。これ、差し入れですので皆さんでどうぞ」
俺は使い道のあまり無いバイト代でスポーツドリンクのカートンを差し入れした。
「おっ、悪いね少年! でも、気を使わなくていいんだぞ」
「そうそう。瑞希さんちのバイト代からでしょ? 彼女さんに使ってあげなよ」
「七海ちゃんめっちゃ小顔よね。暁くんも美形だし、お似合いで羨ましいわ」
「いえいえ~」
奥さん方の話に橋倉がのっかる。
「いや橋倉、お前もちょっとは否定しろよ」
「やだ、暁くん、イケメンなのに鈍感系?」
「七海ちゃん、苦労するわよ」
「少年、それはないぞ」
「先輩、それはないですよ!」
いや、勝手に話を進めないで欲しいのだが。橋倉とは何でもない。
そういうとまた集中砲火を浴びると思った俺は黙るしかなかった。
◇◇◇◇◇
まあ、とにかくだ、二学期が始まる頃には橋倉はバレーの悩みも無くなったようで元気にレギュラーをやれていた。俺もそろそろ受験勉強を頑張ることにして橋倉との時間を減らすことにした。そして貴島とはしばらくゲームもやっていなかったが、時折はメッセージや通話が来ていた。
『円花にさ、一度会ってやってくれない?』
「何で今更」
『最近ちょっとだらしないのよ。遅刻も多いし、勉強にも身が入ってないみたい』
「円花が? ありえないでしょ」
『そう、ありえないのよ。休み明けのテスト、学年順位がかなり下がってた』
「下がったってどうせ一桁でしょ?」
『張り出されなかったって言えばいい?』
「え……」
『だからちょっと会ってあげて』
「無理でしょ。だって彼氏がいるんでしょ。俺が出る幕なんて……」
『その彼氏だって――』
貴島は言い淀んだ。だけど俺には今さら円花に会う義理は無かった。
◇◇◇◇◇
「せ~んぱいっ!」
「やめろ」
登校時に俺を見つけて声をかけてくる橋倉。最近では人目もはばからず、背中に抱きついてくるようになった。やめてくれ、お前がでかいのは背だけじゃないんだぞ。
「あっれー? 先輩、照れてるんですかー? 初心ですねぇ先輩」
「抱きついてくるお前の方が悪いんだ。校門前にいる生活指導の先生呼んでくんぞ」
「それだけはご勘弁を……」
「つか朝練終わってすぐの体で抱きついてくるな」
「えっ、もしかしてくさいですか私?」
「くさいわけじゃない。とにかくやめろ」
「なんですか先輩、顔が真っ赤ですよ?」
「……」
彼女の香りとデオドラントの香りが混ざって頭がくらくらする――などとは言えなかった。
そしてまた、彼女の練習に付き合った帰り道。
「先輩を後ろから抱っこしてると癒されるんだ」
「背はそんな変わらないし、最近は俺の方が大きい」
「そういう小さいところに拘るから母性を刺激されるんですよ、先輩」
「後輩に母性とか言われたくない」
「知ってます? 先輩、私たち、周りから恋人同士って認識されてるんですよ」
「冗談だろ。俺はもう、誰かを好きになりたくはない」
「そうなんですか? その若さで?」
俺は情けないことにまだ円花とのことを引き摺っていた。
彼女のためだけに努力したあの時間。そして報われた瞬間。
あれはもう二度とは訪れない、泥溜りに投げ捨てられた記憶だった。
「そうなの!」
「あっははっ! おかしいっ」
そんな俺を橋倉は笑った。何がおかしいんだ、アホ女……。
橋倉は俺から離れると振り返ってこう言った。
「じゃあもっと頑張りますね! 先輩が折れるまで」
「頑張んなくていいよ」
「頑張りますっ!」
うざいけれど直接心をぶつけてくるような後輩に少しだけ癒された気がした。
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