空のかたち

@wakumo

第1話 転校

 新しい学校へは家から自転車で通う。だだっ広~い運動場の隅に木造の校舎。

 一学年一クラスのマッチ箱のように小さな学校。まるで、昭和の時代にタイムスリップしたみたいに、ここはスッポリと映画の中のような田舎で、退屈しそうな程、時間もゆったりと流れている。

 教室の窓から見える畑には野菜の苗が畝ごとに行儀よく植えられていて、何処までも広がる田園が、幾重にも繋がっていて、いかにもこの学校らしさを象徴していた。降り注ぐ陽の光も柔らかい。葉一枚一枚が光を浴びてキラキラと輝いている。

 父はバリバリの商社マンで外国に行ったり帰ったり、仕事に追われ、子供の頃からゆっくりと家に居たことが無かった。父にとって最も重要なのは仕事で、子供や母はその中の点描に過ぎないのだろうか。帰巣本能だけは無くさずに家に帰る。と言う事だと思う。

 しかし、そんな風に見える父と母も大学時代からの長い付き合いで、とにかく人もうらやむ程の大恋愛だったらしい…という話を父の仲間から聞いている。

 そんな父に尽くしていながらも、主の留守がちな家に一人で待つ日々は家庭的な母にとってきっと寂しかったに違い無い。

 折りに触れて、そろそろ家に腰を落ち着けられないかと話したり、時には母さんが泣くこともあったけれど、なかなか思うようになりそうもなかった。

 そのうち父は大きな仕事を任されてアメリカに三年ほど行った切りになる事になり、母もとうとう諦めて、自分の故郷の田舎に戻る決心をした。父は一緒に行って欲しかったのかも知れない。でも、それは母が拒んだ。ついて行ったとして父はどんな生活を送ったんだろう。今のまま家に帰らない日が続くなら、母は孤独に苛まれてどうにかなってしまったかも知れない。

 もともと田舎が好きな母が、父のいない。周囲に林立するビルの中で、団地の家を一人で守って暮らすのは大変な事だったんだろうな。それでも、時々帰ってくる父を待つには不便すぎて、やはり田舎に引っ込む訳にはいかない。

 今回の父のアメリカ赴任は、結局そんな二人を収まるところに納めようとする、自然の成り行き、神様もついに痺れを切らした。という感じがした。

 一番悩んだのは私かも知れない。母から引っ越しの話を聞き、来る時が来たかと思ったものの、慣れ親しんだこの町を離れるのが切なくて、気持ちがすっきりしない。隣町のおばの家から今まで通りの学校に通うかことも考えてみたけれど、母一人、娘一人だから離れがたい、最後は一緒にこの村に来ることを承知した。

 慌ただしい引っ越しは、夏休みに入るやいなや、後、わずか一学期を残しての転校だった。

「決まったら少しでも早いほうがいいよね。あなたもそれだけ向こうの学校に長く席を置けるんだから」

「うん、決めたんだからどっちでも同じ。早く慣れるとするか」

「良かった。素直がどうするかって心配だったの」

「どうするかって、そんなに選択肢なかったじゃない」

「でも、学校変わるの嫌がってたでしょう。母さんの我がままだけで決められないなって思ってたのよ。姉さんも心配していたし」

「いいよ、今度は私がうんと我がまま言わせてもらうからサ。だけど、またからかわれると思うとな…憂鬱だ~」

「なにが?」

「この名前。定着するまで時間がかかるんだよね」

「母さんの自慢の名前なのに?」

「そりゃあそうでしょ、何にも無くてこんな名前付けられたら悲しくなるよ」

「こんな名前って、母さんと、父さんの願いがこもってるんだよ」

「どんな?」

「素直に育ちますようにって」

「単純だよね。お陰様で娘は苦労してるんです」

 母は、透き通るような顔で笑っている。この母のおかげで私は幸福だった。娘に素直と付けるくらいだから、根っこの美しい人で、人を疑ったり、人のせいにしたり、人を責めたりしない人だった。

 父さんもきっと、そんなところ好きだったんだろうな。だから私もずっと幸福で、この母ひとりだけで田舎にはやれなかった。そばにいたかったしそばにいてあげたかった。

 私でさえそう思う母なのに、父は何故そんなにまでして仕事がしたいんだろう。結婚したと言っても何時も離れ離れで、家にゆっくり居たことなんて無かった。もちろん男だから、家庭と仕事と較べる事なんてしないんだろうけれど、私にはまったく解らない。

 解らないまま、母のそばであれこれ思う十四歳になっていた。

「あなたが、女の子で良かったって思ってる」

「なぜ?」

「だって、男の子だったら、私一人でこんなにしっかり育たなかったろうなって。お父さんの気持ちだってよく解らないのに、男の子だったら何も解ってやれないんじゃないかって思うの」

「私だって複雑なもんですよ」

「それでも素直の事は何でも解るような気がするの。もしいつかお嫁に行って別々に暮らすことになったとしてもね」

「そうなの」

「うん、そうなんだ。一人っきりの子が女の子で良かった」

 この頃母は年を取ったのか弱気だった。もともと性格の強い方じゃなかったけど、やっぱりそれでも父の存在が大きかったってことなのかなあ。玄関に並べたスリッパも、普段用の物は私と母の二つだけにしてしまって、それだけでも気落ちする風景だった。

 

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