第37話
眠りにつくと、また夢だ。
昨晩あんな夢を見たのに、自分のミスで人を殺したのに、のほほんと、能天気に、甘ったれたヌルい時間を過ごす「昼の俺」に吐き気がする。「今の俺」がこんな気分だというのに。だが、嬉しいのは事実だ。昼間の俺も、今の俺も、別人ではない。昼間の俺は知らないだけだ。それでも、妬みたくないのに、嫉ましい。純粋に幸せを味わえる、昼間の自分が。
一番腹が立つのはこの夢だ。
この夢自体に「昨晩の異常者」が重なる。理不尽な選択を他人に与え踏み躙ったあいつは、俺に対するこの夢そのものだ。希望を与えては絶望させ、絶望させては希望を与える。あいつはあんな事をしながらものうのうと、今を生きているのだろう。昼間の俺にも重なる。
そして、俺にはあいつをどうする事もできない。何故なら今日これから観るであろうこの夢はあいつとは関係のない夢だからだ。
俺はただ、知っただけである。ああいう異常者がこの世に存在するという、その事実だけを——。
映像には馬鹿でかい建物が映っていた。それから遠ざかる。
入り口にある短い階段からはアルファルトが広がっている。建物側の芝生付近には幾つかベンチが並んでおり、その奥、その間には、黄色やオレンジの花が咲く花壇があった。
更に映像が離れる。
アスファルトが左右にすぼまってゆき、手前側には芝生と葉の豊かな木々が広がっていた。
——どこだここは?
そんなのはどうでも良い。
問題は人だ。
どんな登場人物に、どんな未来が、どんな「死」が、訪れるのか。
それこそが重要だ——気持ちを切り替えよう。
この夢がどんなに不快だろうと、俺はこの夢で、選ばなければならない。助けられる命は助け、もし死ぬべきならば、殺す。
そんな今の俺も、他人を思うがままに支配する昨晩のあいつに重なった。
——くそ、昨日の奴の事は考えるな。
そう自分に言い聞かせる。
俺は違う。楽しんでなんかいない。真剣なのだ。
建物から出る小さな人々の内に居る一人にカメラが注目する。前髪から耳元まで均一に揃えられたマッシュのその男へはズームせずに、そいつの方がこちらにやって来る。
そいつは俺から見て右の道へ曲がった。
ようやく映像がズームする。
極限まで近づくと、そいつの視点になった。
しばらく歩く。
やがてまた道が太くなる。どうやらこいつが選ばなかった道と合流した様だ。レンガで出来た出口の右側に、鉄柵の様な物がある。下にある車輪を見るに、そういう扉みたいだ。出口と外界を仕切る様に掘られたレールの様な溝に沿っている事からも、それが窺える。そこに、一人の女が立っている。黄色っぽい白のふわふわしたワンピースを着ていた。長い髪が大きく巻かれている。
映像が出口へ近づくと共に、女の姿も近づいて来る。
通り過ぎようとした時、女が声を掛けてきた。
「お疲れ。久しぶりに一緒に帰らない?」
「え? あ、うん」
応えたのは言うまでもなく、この視点の男だろう。
歩きながら二人が話す。
「ねえ? 最近ヒワタリさんと遊ぶんだって?」
「ん? まあ確かに最近、そうかもな?」
「私への当てつけ——?」
映像が止まる。
『分岐です。彼は肯定しますか? それとも否定しますか?』
——この野郎。なんて夢を観せやがる。
この夢自体に大した事はない。今まで観た夢の中ではソフトなものだ。だが、朝に嶋田と話し、別の女と付き合うことになった、起きている時の俺。その記憶を持つ俺にこんなシチュエーションを観せるなんて、狙っているとしか思えない。
くそ。余計な事は考えるな。こいつらは他人だ。俺には関係ない。そして、死ぬべきではない人間だ、両方とも。
ただし、俺が選べるのは男の未来だけである。全力で男を救わなければならない。
『まもなく時間です。カウント10で自動的に彼の行動が決まります』
『10』
まずこの男女はどういう関係だ? 恋人か——いや違うな。「久しぶりに」と言っていた。元恋人か? それとも別れる寸前?
『9』
そして、「当てつけ」とは。
なるほど、十中八九、別れた後だろう。だが、別れた後に当てつけなんかするか? 俺ならしない。たぶん。
『8』
酷いフラれ方をしたなら別か? その場合、フったのは女の方。しかし、酷いフり方をした女が誘う目的は?
『7』
男がフったのかもしれない。女の何かが嫌になり、そしてフった。もっと良い女が見つかったからすぐに乗り換えた?
『6』
別れる寸前にも色々あったのかもしれないな——いや待てよ? 俺をフったハズの嶋田は今朝、あいつに向けた俺の好意がなくなった事を気にしていた。やっぱり別れたのは、フったのは、女の方から?
『5』
わからない。自然のままに答えるべきか。普通ならどんな場合でも「当てつけではない」と否定する。肯定したならば、相手の怒りを買う事になる。
『4』
簡単な事だ。考えなくてもわかる反応。だが、今まで体験した選択達が俺を悩ませる。こういう時に俺は選択をミスっていた気がする。
『3』
それにどうも引っかかる。この男が死ぬならば、それはこの女によるものだろう。この女が望む言葉を言わなければ、きっと殺される。
『2』
どう殺されるかは重要ではない。あくまでも選択。女が望む言葉。それはなんだ。
『1』
そうか。そういう事か——。
「答えは『肯定する』だ」
俺はいつもの様にギリギリまで時間を使い、そして選択した。
この答えには自信がある。
前言撤回。この夢を今日観たからこそ、この答えが出せるのだ。
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