第28話
映像が動き出した。
死ね。
強くそう思う。
生まれて初めて心からそう思う、そういう相手だ。
映像が女の出来物から離れる。
女からも離れた。
映像は右へと移動し、草陰から覗く黄色いリュックサックが目に入る。
リュックサックにズームしてゆく。
黒いファスナーが閉じられている。
そのファスナーに、何か挟まっていた。
映像はそれに注目する。
白い何か——ビニール袋だ。
ビニール袋がファスナーに挟まっている。
この映像は、男の視野そのものだろう。
つまり今こいつは、女の死体よりもファスナーに挟まったビニール袋が気になっている事になる。
——本当に気持ち悪りいヤツだ。
女の死体から目が離れても、気分の悪さは薄まらない。こいつを殺したいと思う俺の心がブレる事はない。
だがパニックに近かった先程の感情は和らぎ、少しだけ冷静になっている自分がいた。
しかし、死ね。
あのまま男に欲望の深追いをさせ時間を長引かせる手もあったと思う。普通ならその方が発見される可能性が高いとも思う。
だがこいつは普通ではない。
だから俺はこいつが別の行動をとる事に期待した。
その方が「死の可能性」が高いと感じたのである。
今まで観た夢からの経験則に、したがって。
映像が更に移動しながら離れ、男の後ろ姿とリュックサックのみが視える位置に戻った。
いや、よく見ると男の両脇から伸びる女の脚も、今では僅かに見えている。肌色は、男の腕と尻だけではなかった。
男は腰を後ろに引いてリュックに近寄る。遠巻きから下半身が露出した仰向けの女も見える様になった。左奥にある布切れの様に見える物が、女の穿いていたものだろう。
俺は目を背けようとは思わない。見届けてやる。
映像が男とリュックに少しだけ近づく。
どうやら手こずっている様だ。
普通ならビニール袋など無理矢理ファスナーを開けば千切れるはずだ。リュックを開けるのは難しくもなんともない。
だが、こいつは普通じゃない。
きっと、袋をきれいに取り除きたいのだろう。そんな事にまで考えが及ぶ自分にも嫌悪する。
——早く死ね。
本当にそう思う。経緯や過程はどうでも良い。早くこいつの死ぬ姿を拝みたい。
死ね。死ね。死ね。
不意に男に強い光が当たった。
左にある斜面の上からの光だ。
「何してるんですかー!?」そんな声が聞こえる。やがて——。
「——おい! なんだそれ!? 何してんだ!?」そんな声に変わった。
男がリュックを持って立ち上がろうとする。
だが、中途半端に脱いでいたズボンで足がもつれて転んだ。
立ち上がりズボンを上げて、走り去った。
「誰か! 誰か来てくれ——!!」
逃げるな。早く死ね。
映像がフェードアウトする。
待て。まだ終わるな。
こいつを殺せ。
——まだ終わるんじゃねえッッ!!
願いが通じた。
映像はまだ終わらない。切り替わっただけだった。
その部屋は明るい。
部屋の中央に、上下にグレーのスウェットを着た、一人の男が立っている。赤い正方形の枠線の中央に。
頭髪に多くの白髪が混じるその初老の男は目隠しをされて顎を少し上に向けている。首には縄が掛けられ、その縄は天井に付いた滑車から垂れていた。
——こいつか?
この男が、先程の男なのか。
先程の映像よりもかなり痩せている。
かなりの時間が経っている様だ。
——これは……死刑? だとすると俺の選択は正しかった、そういう事か?
俺の選択により男の姿が目撃されて、今の様な状況になっているのだろう。だが、時間が経ち過ぎている。
俺は、早くこの男に、死んで欲しかった。
男の口元が僅かに動いている。何やらぶつぶつと呟いている様である。
映像が男に近づくと共に、その声も近づいて来た。
「……私は悪い事をしました」
そうだ、死ね。
「……独りでの独房は、とても孤独でした」
当たり前だ。死ね。
「……ですが同時に、安らかに過ごせた時間でもあります」
——は? なんだと? 安らか? そう言ったのか?
「……私は異常でした。女性を見るといつも歪んだ欲情を抑えなければならなかった」
………。
「……ですが、ここには誰も居ません。とても安心して過ごす事ができました」
——ふざけるな。安心だと? そんなモノを感じる権利がお前にあるのか? もっとこの状況に怯えろよ?
「……私は、反省、しました」
反省なんてしなくていい。怯えて死ね。
男が口を大きく開いた——。
「——だから私は死にたくないッ! もっとここでの平穏な時間を過ごさせて下さい!」
——そうだ! 足掻け! でも無理だ!
後悔して死ねッッ!!
「——お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願い——」
——無理だ無理無理! 無駄だ無駄無駄!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死——————。
がたんっ。
赤い枠線の内側が開く。
床に空いたその穴に、男は落ちて行った。
がっ。
滑車から伸びたロープがぴん、と張り、たわんで縮んでまた伸びる。そして、揺れる。
「やった! やったぜ! ザマァ見ろ! あははっ! あはっ! あはははははははははははははははははははは————ッッッ」
その夢は終わった。
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