第10話
「——ボールさんすいませんでした!!」
『ボールさん! すいませんでした!!』
野球グラウンドの中心に、一つのボールが置かれている。ユニフォームを着た奴らが皆んな、輪を作ってそれを囲み、声に合わせて土下座していた。
一人が叫ぶと他の奴らもそれに続く。
そうやって皆んながボールに土下座しているのだ。監督と思わしきオッさんは少し離れた位置で腕を組み、それを見下ろしている。
10分くらいだろうか。映像が切り替わってからそれくらいの時間が経った頃、同じユニフォームを着た奴らがやって来た。
その様子を見ると、うんざりとした表情をする。
「おはようございまーす!!」
そいつらもオッさんに挨拶をした。
「おう来たか! おいコバヤシ! 説明しろ!」
先ほどオッさんの前に名乗り出た部員が立ち上がり、後から来た先輩らしき奴らに体を向ける。
「すいませんでした!」
いきなり頭を下げた。
「——昨日! 自分が! 自主練中にボールをなくしてしまい! コーチが! 見つけてくれましたッッ!!」
説明を受けた奴らは無言で真顔だ。
というか、監督ではなくて、コーチ。監督は何処にいるのか。
「そういうワケだ。お前らがちゃんと後輩の面倒を見ないからこういう事になるんだ。オラ! お前らも加われ! 今日は練習ナシで一日中『ボールさん』に謝るんだッッ!!」
後から来た奴らもその輪に加わった——。
俺は競技こそ違えど、自分達と彼らを比べていた——なんだよコレ? まるで宗教だろ?
「ボールさんすいませんでした」と彼らが叫ぶ度、彼らがあわれに思えてくる。
こんな事に何の意味があるのか。
こんな事で野球が上手くなるとでも言うのか。
練習を潰してまでやる価値があるのか。
もし俺が「諦めない」を選択していたならば、どうなっていたのか。
————ヤベ! 寝落ちしてた!
蛍光灯がつけっぱなしの自室で俺は、目を覚ました。時計の針は、午前三時を示している。寝落ち、とは言っても目を瞑った時点で俺が眠る事は確定していた。その時は「目を瞑って休憩するだけ」とか謎の理屈でそうしていたが、起きた今ではただの言い訳である。机に残った涎がプリントにしみていないのが幸いだ。その程度の理性はまだ残っていたらしい。
カーテンの外が薄暗い。電気はまだ、消さない方が良いだろう。早くプリントを終わらせなければ。
今日の部活は休もう。本来テスト期間中、部活は休みだったはずだ。それを運動部の大半が「自主練」とか言い張り、破っていただけである。練習をしたい、というよりは、勉強したくなさ過ぎるから。そういう言い訳。先生方も何も言わない。
今の俺は「練習をした過ぎる」ぐらいなのだが、今日のコンディションで部活をしたなら、きっと熱中症か何かの餌食になる。昨日もそうとう暑かったし、今もそれなりに蒸している。
だが今俺が汗でびっしょりなのは、暑さのせいだけではないかもしれない。
いったいどんな夢を観たのだろう。
俺はいったん部屋を出た。そして冷蔵庫まで飲み物を取りに行くと、また部屋に戻りプリントの続きを始める。
一度寝たせいか、集中力が良く続く。やっぱり早寝早起きは続けよう——。
宿題を終えた俺は、いつも通り準備をしてから家を出た。二度寝する余裕はなかったが、シャワーを浴びる余裕があったのと、家を出る時間がいつもより早かった事だけが、いつも通りではない——あ、部活カバンがないのもいつも通りじゃなかったな。
まだ生徒がまばらな校門まで来ると俺は、駐輪場を目指す。一応校内は手で押して歩く決まりなのだが、教員用駐車場は校舎の真裏にあるので、この時間ではバレる事がない。
サドルから尻を離し左ペダルに右足を乗せた、片足で立ったままの姿勢で、屋根のついた駐車場の前で右折した。まだ時間が早いから自転車を停め放題なのであるが、出る時の事を考えるとなるべく端っこに停めておきたい。
しかし同じ事を考える奴もいたようで、駐車場の右端には既に、先客が居る。
「うぃっす! おはよー!」
声の先に居たのは嶋田だ。
「ウィッスとオハヨーって、どっちかにしたら?」
嶋田は挨拶も返さずに、そんな事を言う。
「じゃあお前は何て返すんだよ?」
「……おはよう」
俺は強引に返させた。
この前こいつの愚痴を聞き続けてやったから、こういう軽口を言いやすい。
「よろしい。ってかお前チャリなのな?」
「チャリで悪い?」
「悪くはねえけど、態度が悪い」
「奥田はちょっと馴れ馴れしいけどね」
——馴れ馴れしいか?
他の女子と話さないし、こいつに話すのも二回目だし、そう感じるかもしれない。だがあの時の気分と話した内容のせいで、多少フレンドリーになるのは仕方ないと思う。いや、多少そういう話し掛け方を意識しているかもしれない——部室で散々イジられたからな。
「んじゃ、また教室で」
俺はそう言いながら自転車に鍵をかけた。
「ちょっと」
「ナニ?」
「なんであんた、すぐいなくなろうとするの?」
ちょっと良い感じのセリフを思いついたから、実行してみる。
「そういう反応が見たかったから?」
「……バカにしてる?」
——アレ? すべった?
「う、嘘だって。冗談だよジョーダン」
「この前からあんたのイメージ変わったかも」
言われて俺は「たしかに」と思った。
初めてこいつに話し掛けた日からまだ三日目。その間に気分、というか考え方が少しだけ、前向きになったような気がする。
でもそれは、こいつのお陰ではない。
きっとこいつに話しかける前の「爽やかな気分」がその理由だ。昨日も一昨日も別段「機嫌が良かった」というわけではないが、なんだかいつもとは違う選択をしていた。
もしかしたら、そういう夢を見ていたのかもしれない——なんてセリフは流石に誰にも言えねえ。
「ま、皆んな、そんなもんでしょ」
そんなセリフで、はぐらかす事にする。
「はぁ?」
当然、嶋田の反応は悪かった。
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