第18話 シーヴァの憂鬱

 

 シーヴァは、マリオンと共にテーブルに着き、ジャガイモの皮を剥いている。美しい顔を最大限に歪め、玄関先で客人と話し込むイアンの後頭部を睨みながら。


「なぁ、イアン。たまには俺達の飲みに付き合えって」


 つい十分程前、近所に住む靴職人がイアンを飲みに誘いにきた。

 イアンはシーヴァから放たれている、凶悪な殺気を背後で痛い位感じ取っているため、返答に窮している。


「アブナー……、お前らのことだから、どうせ飲みだけで終わらないだろう??」

「そりゃ、そうさぁ。飲んだ後は女を買うに決まってるだろう??」


 二人はシーヴァとマリオンに会話の内容を聞かれないように声を潜めて話す。その、こそこそした態度がシーヴァの怒りに益々火をつける。隣でマリオンが怯えながらチラチラと横目で彼女の機嫌を伺いつつ、包丁を動かしていた。


「すっかり枯れてるように見えるけど、お前も男だし溜まるもんも溜まってんじゃないか??」

「おい、そんな露骨な話するなよぉ……。シーヴァに聞こえる……。飲みには付き合うが、俺は女なんて買わないからな……」


 イアンは恐る恐る振り返ると、シーヴァとマリオンに伺いを立てる。


「ちょっと今からアブナー達と飲んでくるけど、良いよなぁ??」

『行きたかったら行けばぁ?!』


 シーヴァは憮然と冷たく応じる。


「許可が下りたから付き合うよ。……飲みだけな!」

「分かった、分かった。じゃ、行くぞ」


 アブナーと共に外へ出ようとしたイアンは、シーヴァとマリオンに向かって「じゃ、ちょっと出掛けてくる」と気弱な笑顔で声をかける。

  マリオンは、行ってらっしゃい、と立ち上がって笑顔で応えてくれたが、シーヴァは依然席に着いたまま。イアンに包丁の先を向けると、ゆっくり唇を動かして告げる。


『女なんか買ったりしたら……、……削いでやる!!』

「どこをだよ?!」


 今時の若い娘は何て恐ろしいんだ……、とブツブツ言いながら、イアンがそそくさと家を出て行くと、玄関の扉がパタンと音を立てて閉まる。

 途端にシーヴァは、おもむろに肩を落とし、俯く。


「シ、シーヴァ。大丈夫だよ!イアンさんはきっと、約束通りに酒場で飲んだら帰ってくるよ……。ねっ、ねっ?!」

 マリオンが必死に慰めてくれるが、シーヴァは立ち直りそうにない。

『私……、イアンから見たらそんなに子供なのかなぁ……』


 イアンと一緒のベッドで毎晩共に眠るようになってから半年が過ぎたというのに。寝る前にシーヴァから彼に必ずキスをするというのに。

 イアンは何事もなかったかのようにそのまま寝てしまうのだ。


「もしかして……、あれから何にも変わってないの??」

 マリオンの問い掛けに、シーヴァは力無く頷く。

「うーん、せっかく僕と部屋を交代したのにね……。イアンさんの野暮っぷり……、もとい、我慢強さも大概だなぁ……」

『こうなったら、もう寝込みを襲うしかないのかなぁ……』

「多分、上手く躱されてうやむやにされそうだけどね……」

『マリオンもそう思う??』

「うん……」


 シーヴァは、長い溜め息を吐きだす。その様子を見ていたマリオンが、何故かニコニコと微笑んでいる。


『何で笑うのよ』

「ご、ごめん!ただ、シーヴァって、イアンさんの事が本当に大好きなんだなぁ、って思ってさ」

『大好きなんてもんじゃないわ』

「えっ??」


 シーヴァにとって、イアンは神様――、神様すらも相手にならない、彼女の全てと言っても過言でない程の揺るぎない存在だ。

 彼か自分のどちらかが死を迎えるまで、ずっと傍に居たい、傍に居て欲しい。


『……何でもない。マリオン、ジャガイモの皮剥き手伝ってくれてありがとう。残りは私がやっておくから先にお風呂入って来て』

「う、うん。分かった」


 シーヴァが一瞬見せた暗い表情が気にしつつ、マリオンは言われた通りに風呂へと向かう。

 ジャガイモの皮剥きを終えたところでマリオンが居間に戻ってきて、風呂に入るよう促された。


 入浴が一人終わるごとに、大鍋で沸かした湯を数回に分けて桶に汲み、洗面所の隣にある、小さな空き部屋に置かれた座浴槽に湯を入れる。

 今は夏場の暑い時期なのでまだマシだが、冬場はすぐに湯が冷めてしまうことと、手間がかかるのが難点だ。


 風呂の用意ができるとシーヴァは衣服を脱ぎ、髪を洗い、湯で濡らした布で身体を拭く。彼女の肌には所々、丸い痣に似た火傷痕が薄っすらと残っていた。


 シーヴァは自身の体型をまじまじと眺めてみる。

 特別大きい訳でもないが、かと言って決して小さくもない、程良く膨らんだ乳房、脇腹から尻にかけて、なだらかな曲線を描く腰つき。

 やや線は細めだが、充分女らしいといえる体格だ。しかし、シーヴァ自身はもっと胸や尻が大きい方が良いのに……、色気が足りない、と不満だった。


 もしかしたら、もう少し豊満であれば、イアンは自分を求めてくれるのだろうか。

 湯に浸かりながら悶々と考えていると、玄関の錠が開く音が微かに耳に届く。


 イアンが帰ってきた!思っていたよりもずっと早く帰ってきてくれたことに安心し、すぐさま風呂から上がる。


『おかえりなさい。随分早かったのね』

「誰かさんに散々脅されたからなぁ。早く帰って来ざるを得んだろ……」

 シーヴァはイアンに詰め寄ると、彼のシャツを引っ張ってくんくんと臭いを嗅ぐ。

『酒くさっ!!でも、女の臭いはしないから許す』

「お前は犬か!!」

 イアンはシーヴァの、洗ったばかりの長い黒髪をわしゃわしゃと乱暴に撫で回す。

『ちょっと!髪が乱れる!!』

「ささやかな仕返しだ」


 してやったりとばかりに、悪戯に成功した腕白坊主みたいな笑顔を向けてくるイアンが何だか可愛くて愛おしかった。


「最近は触っても怒らないんだな。前はうっかり触ろうものなら、物凄く怒ったのに」

『別に……、本気で怒ってた訳じゃなくて……。照れ隠しみたいなものよ』

「照れ隠しで脛を蹴飛ばすのか……」

 呆れ返りながらも、シーヴァの髪を弄り続けているイアンに向けてぽつりと呟く。

『私が触られても平気なのは、イアンだけだよ』

「…………」


 イアンは、シーヴァの髪を弄るのをやめて指先を離した。


「風呂入ってくる。湯はお前が使っていた分の残りでいい」


 そう言い残すと、シーヴァを居間に残してさっさと風呂場へ行ってしまった。

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