オジギソウ
青月クロエ
第1話 歓楽街にて
「オジギソウ」
別名:ミモザ、眠り草
花言葉:感じやすい心、デリケートな感性、謙虚
そして……
『失望』
⑴
夜の歓楽街の一画にて、数人の娼婦が道の往来で横並びに整列している。
その列の前で、一人の男が眉間に皺を寄せながら神妙な顔つきで眼球だけを動かして、女達を一通り見回す。女達は媚を売るように笑い掛けたり、胸の谷間や腰の細さを強調する姿勢を取ったりと、男に買ってもらおうと存分に自分の魅力を見せつける。
「どーれーにーしーよーうーかーなー」
男は一番左端の女に向かって右手の人差し指を差し、歌の言葉に合わせて一字ずつ、指を左から右へと動かしていく。
「てーんーのーかーみーさーまーのーいーうーと――……」
「ふざけんな!!」
女達は、運任せで適当に今夜の相手を決めようとした男の態度に腹を立て、一斉に男を罵倒する。
「なんだよーー、そんな怒ることないだろう??」
何故女達が急に怒り出したのか、いまひとつ理解できずにきょとんとする男の様子が益々、女達の怒りに火をつける。
「金持ちの上客ならともかくとして、あんたみたいなくたびれた男に相手は誰でもいいなんて舐めた態度取られたら、そりゃ怒るわよ!」
「私らだって、プライドってもんがあんだよ!!」
男は女達の余りの気迫に気圧されつつも、「えっ、いやぁ、だからさ!!君達が皆魅力的だったから、どうしても決められなくて……。で、つい、ね??」などと苦しい言い訳を述べる。
「はぁ??よく言うわね。大方、あんたの馴染みのフェイが捕まらなかったから、自分に声掛けてきた娼婦を誰でもいいから買おうと思った。でも、思った以上に声が掛かってしまったから、どうしたもんかと迷って、ああいうことしたんでしょ」
肉付きが良く、年増な雰囲気の娼婦が唇の端を意地悪気に持ち上げながら、男の考えを言い当てる。
何で分かるんだよ、と、男は反論の余地もなく黙り込んでしまう。
(これが年の功ってやつなのか、あ、でも、多分、俺よりは年下かもしれないけど。にしても、恰幅いいなぁ、胸もでかいし)
などと、どうでもいい方向へ思考が脱線しかけた男だったが、「この人、フェイの馴染みなの??」と、女達も女達で集まり、男の素性についてひそひそと話し込んでいる。
何だか面倒な事態になってきたので、男は女達が話に夢中になっている隙にこの場から退散しようと彼女達に背を向ける。
「待ちなよ!」
先程の恰幅のいい年増娼婦が、ドスの利いた太い声で呼び止めようとする。
(いやいや。勘弁してくれ。面倒事は嫌いなんだよ)
構わず男は歩みを進めた。追い掛けてくるかと思いきや、女達はその場でギャーギャーと大声で彼への罵倒を叫び散らすだけで、誰一人として男の後を追ってこない。
そのことにホッとしたのも束の間、男はいきなり誰かに左腕を強く引っ張られた。腕を掴んでいる主の姿を確認すると、女――、しかも小柄な少女だ。 新手の娼婦だと思った男は腕を振り払おうとしたが、少女は男の腕をガッチリと掴んだまま、頑なに離そうとしない。
男は背丈こそ一九〇㎝近くもあるが、ひどく痩せ細っているので一見非力そうに見える。しかし、彼の、「大きくて重たいものを作る仕事」柄、嫌でも力は身についてくる。ましてや、相手は小柄でいかにも非力そうな少女とくるので、本気を出せば突き飛ばすくらい訳はない。だが、彼は優しい、というより少しばかり気弱な男なので、そんなことをしようなどと思いもしないどころか、仕方ないので話だけでも聞いてやろうと、少女にズルズルと引っ張れるまま、裏路地の建物の物陰に連れ込まれてしまった。
無言で腕を組み、煉瓦造りの壁にもたれ掛かる少女の顔をまじまじと眺める。
癖のない真っ直ぐなプラチナブロンドの長い髪、少しだけ目尻の吊り上がったアーモンド型の大きな瞳、瞳の大きさに反して小さな鼻と唇――、童顔ではあるが整った顔立ちの彼女は、誰の目から見ても器量良しの部類だと認められるに違いない。
しかし、やや小柄で決して痩せすぎてはいないものの、華奢な体格で胸や尻もそれほど大きくないため、幼い容姿も相まっていまいち色気が足りない。はっきり言って、男の好みではない。
「貴方、フェイの常連客だってね」
「そうだけど……」
「フェイなら、オズボーン通りのマスケラっていうジン・パブに客引きに行ったわ」
てっきり、自分を買わないかと誘いを掛けられると踏んでいたが、いざ少女の口から出された言葉は全く違うものだった。男は拍子抜けすると共に、それ以上に驚いたことがあった。
少女の声色は可憐容姿に似合わず、酒焼けしたようなしゃがれ声で、口調も若い娘にしては妙に据わっていた。ひょっとすると、男が思っているよりもずっと年を取っているのかもしれない。最も、娼婦などという汚れ仕事をしていれば少なからず、やさぐれた部分を皆持ち合わせているものだが。
「もしかしたら、もう他の客捕まえたかもしれないけどね。行くだけ行ってみたら??」
「わざわざ、そのことを俺に教える為だけに、ここに連れ込んだのか??」
「そうよ」
「そりゃ、どういたしまして」
男は教えてもらった場所にすぐに向かおうとしたが、少女は再び彼の腕を掴み、空いている方の手をそのまま差し出してきた。
「お兄さん、煙草持ってない??」
「は??」
「持ってたら、一本恵んでくれないかしら??あと、火も」
「煙草もマッチも一応、持っているが……」
ズボンのポケットからくしゃくしゃに潰れた煙草の箱とマッチ箱を取り出し、煙草を一本少女に差し出す。彼女が煙草を口にくわえるのを見払い、マッチを擦って火を着けてやる。
「ありがと、お兄さん」
煙をふっと男に吹きかけると、それまで一貫して鉄面皮だった少女は、僅かながら口許を緩めてみせた。
⑵
男は少女に教えられた店に辿り着くと開口一番、「ここにフェイっていう、娼婦が来ているはずだが、何処にいる??」と店主に尋ねたが、「まずは酒を注文してくれ」と注意を受けてしまい、一番安価な酒を注文した。
カップを受け渡される際に店主から、フェイが二階で行われている鼠殺しに参加していると聞かされ、男はすぐさま酒を一気に飲み干し、二階へ駆け上がる。
鼠殺しとは一定時間内に犬が一定数の鼠を噛み殺すのを賭けるという、極めて残忍で悪趣味な遊びだ。
薄暗い部屋の中を漂う獣臭と血の臭いが入り混じった悪臭に加え、犬の唸り声と犬をけし掛ける人々の騒がしい声に男は顔を顰めつつ、特設ステージの周りの人だかりをかき分け続け、ようやくフェイらしき女を探し当てた。
「あら、イアンじゃない!珍しいわね、こんな場所に来るなんて」
フェイは男ーー、イアンの顔を見た途端、パッと顔を輝かせた。
「客は中々捕まらないし、客引きも兼ねて参加した鼠殺しの賭けも負けちゃうし、今夜はついてないなぁーー、と思ってたところだったの。だから、イアンに会えて嬉しいわぁ」
「待望の金づるだから??」
「やっだ、もうーー!!そんなこと一言も言ってないじゃなーい」
フェイはけらけらと、大きな声で屈託なく大笑いしてみせる。
艶がなくパサついたジンジャーブロンドの髪に、シュッと目尻が切れ上がった鋭い目付き、やや上向きの低い鼻といい、フェイはきつくて個性の強い顔立ちでお世辞にも美人とは言えないし、人によってはブスだとも言われる。
だが、一見貧相に見える程ガリガリに痩せている割に胸が大きく、十九歳とは思えぬ色気を醸し出している。何より気風が良く、竹を割ったようなカラッとした明るい性格がイアンは気に入っていた。
「イアンに会うのも一か月半振りねぇ」
ルータスフラワー《娼館の名前》に向かう道中でもフェイのお喋りは止まらない。
「ちょいと仕事が立て込んでいてね、中々顔を出せなかったんだ」
「まっ、仕事ならしょうがないんじゃない??」
「やけにあっさりしているな」
「何なら一晩中、一か月半も来なかったことに対して、くどくどとお説教しようか??」
「……結構です……」
「わははは!冗談よ!!」
大きな身体を縮こませるイアンをフェイは豪快に笑い飛ばしたが、ふっと表情を引き締めた。
「ねぇ、何で私があの店にいるって分かったの??」
「んーー??人から教えられた」
「誰から聞いたの??」
「プラチナブロンドで猫みたいな琥珀色の目をした、小柄な若い娼婦」
フェイは唇に人差し指を押し当て、考え込む素振りを見せる。
「ねぇ、その女、美人だった??」
「美人かどうかは分からんが、まぁ綺麗な方じゃないか。うーん、綺麗というより可愛い感じだったな」
「……分かった!ミランダじゃない?!」
フェイの話によると、イアンにフェイの居場所を教えた娼婦はミランダといい、最近になってフェイ達の娼館で働き出したそうだ。
「元々はスウィートヘヴンで一番人気の娼婦だったらしいんだけど、色々問題を起こすようになったあげく、そこのマダムに手を上げたせいで追い出されて、うちの店に来たみたい」
「スウィートヘヴンっていやぁ、この辺りの娼館じゃ一、二を争う高ランクの店じゃないか」
悪趣味な名前に反して、スィートヘヴンという娼館は上客ばかりが集まる店だった。娼婦の質の良さの割に、高級娼婦程には金が掛からず(とはいえ、庶民からすれば手が届きにくい金額だ)扱いやすいため、富裕層の人々がこぞって足繁く通っていると、もっぱら噂をされている。
「ちなみに、彼女、私より年上だから。確か、二十二、三じゃなかったかなぁ」
「えぇっ!?」
てっきり、フェイと同じくらいか、少し下かと思っていたイアンは目を剝いて驚いた。
「彼女のこと、気になる??」
「は??」
フェイがやや挑発的な視線をイアンに送り付けてくる。気のせいかもしれないが、薄茶色の瞳の奥にかすかに怪しげな光が宿っている。
「別に。確かに器量は良いけど、俺の好みじゃない」
「あっ、そ」
フェイは面白くなさそうな表情を浮かべたが、先程の光は一瞬にして消え失せたのだった。
⑶
長く並んだ赤煉瓦造りの三階建てコテージを、丸々一戸借り切った娼館ーー、『ルータスフラワー』でフェイやミランダは働いている。フェイと共に店の玄関をくぐろうとしたイアンだったが、店から出て行く客に気付いたので彼を先に行かせようと、扉から離れた。
その時、客を送り出す為、客と共に外へ出て行った娼婦を見てイアンは愕然となった。
娼婦は、まだ年端もいかない幼い少女だった。
真っ黒な柔らかい髪と切れ長の双眸、一目で異国の血が混じっていると分かるエキゾチックな顔立ちをしている。だが、抜けるような白い肌とハシバミ色の瞳はこの国の人間の血も入っていることが伺える。そんな独特の容姿をしている者はそうそう見掛けたりしない。
(やっぱりシーヴァなのか?!)
「イアン。何、ボサッとしてるのよ」
玄関先で立ち止まって動こうとしないイアンに、フェイは中に入るように促してくる。
「あの子は……」
「二週間前に売られてきたシーヴァよ」
「……どう見ても、まだ子供じゃないか!」
「確かに、シーヴァはまだ十歳の子供よ。だけど、そのくらいの歳でも売春する子はいくらでもいるわ。所謂、ベビーブライドってやつね。いるのよね、小さい子にしか性欲が湧かないっていう人が」
「そういうこと言うのはやめろ」
「ねぇ、何だってさっきから突っかかってくるのよ??」
イアンはフェイの質問にすぐさま答えようとしたが、胸に去来する様々な感情を適切に表す言葉を見つけられず、黙りこくった。そんな彼をフェイは訝しんでいたが、あえて口には出さず彼の答えを待っていた。
「いや、その、何だ……。俺の娘が生きていたら、あの子と同じくらいの年頃だったと、少し複雑な気持ちになった……だけだ」
「そういうことね」
それなら仕方ないわね、とフェイは肩を竦め、二階の彼女の部屋までイアンを案内した。
イアンが先程フェイに話したことに嘘はない。
だが、その思いだけではなく、シーヴァに対してイアンは特別な思いを抱いていた。
なぜなら、シーヴァはイアンに僅かながら、生きる気力というものを与えてくれた存在だったから。
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