第68話 完璧と究極の狭間で

 先制点はレックス、打つ時は打つバッターである緒方のホームラン。

 意外性のあるところで打つので、なかなか油断できないのだ。

(一点じゃ足りないな)

 直史は少しだけ肩が軽くなったが、それでも満足はしていない。

 本気でやれば、大介を封じることは出来るかもしれない。

 だがそれは、自分の限界を超えてしまう可能性もあるのだ。

 その限界というのは単なる能力の壁ではなく、肉体的な限界のことだ。


 壊れてでも本気で勝負してやってもいい場合はある。

 だが今はその時ではない。

 一回の裏のレックスは、結局その一点だけ。

 大原もベテランだけに、一発を打たれたショックから立ち直る術は身につけている。

 それでもベンチに戻っていく表情に苦いものは浮かんでいた。


 二回の表、先制点を得ただけに、ここをしっかりと抑えることは重要である。

 もちろんそれは直史にいまさら言うまでもない。

 四番から始まった攻撃を、三振二つと内野ゴロで終わらせる。

 使った球数は一桁で、安定したピッチングと言えるであろう。

 二回の裏、レックスの攻撃もまた、早々に終わってしまった。

 まだ体力を振り絞る段階ではないが、あまり試合展開が早すぎるのもまずい気がする。

 今はまだ、リードしているからいい。

 追いつかれたら問題になる。


 三回の表、ライガースの攻撃。

 先頭打者を内野フライに打ち取り、そこからまた三振を増やしていく。

 ラストバッターの大原は、当たれば怖いが当たらないバッターである。

 もう完全に打つ気のない直史よりはマシなのかもしれないが。

 当たり前のように、三回を終わった一巡がパーフェクト。

 ただ球数は32球と、直史としては平均的である。

 大介相手に少し球数を使ったのと、その影響で後ろのバッターにも少し球数が必要になったのだ。




 直史一人がいることで、レックスの投手陣は一気に強力になっている。

 同じことが大介にも言えて、単純なホームランの得点力だけではなく、出塁や盗塁に、相手ピッチャーへのプレッシャーと、大きな役割を果たしている。

 何よりもこの年齢で、まだショートをやっている。

 足首が硬くなったら、さすがにサードあたりにコンバートかな、とは思っている。

 身長はないがジャンプ力や足はあるので、外野でもいいかもしれないが。


 四回の表には、大介の二打席目が回ってくる。

 その前に三回の裏、直史の第一打席があるが。

 出来ればベンチで集中したかった直史は、先頭打者であることをいいことに、ベースから一番離れたあたりのバッターボックスに入った。

 確かにここでデッドボールを当てられることが、レックスとしては一番怖いのだが。

 潔い打撃放棄である。他のピッチャーがやったら、ちょっと問題になるだろう。

 直史の場合も問題にはなっても、擁護の声がそれ以上に大きくなるに違いない。


 大原に三振をプレゼントし、直史はベンチに戻る。

 首脳陣からの視線も完全に無視して、少し目を閉じた後、ライガースのショートの位置に目を据える。

(さっきの打席は危ないところだった)

 空振りどころか、外野のかなり深いところまで運ばれたのだ。

 それでもぎりぎりの一歩手前、というところに力の差があるのだろうか。


 今度は一番の左右田が出塁する。

 だが緒方は内野フライに倒れ、そこからクリーンナップに長打が出ることもなくスリーアウト。

 レックスは左右田か緒方が上手くバッターとして機能しないと、なかなか計算して点が取れない。

 その緒方が、たまにホームランを打ってくれるというのが、首脳陣としてはありがたいのだろうが。

(さて)

 二度目の対決へ、直史はベンチからのっそりと踏み出した。




 大介の前に絶対にランナーは出さない。

 もしも出してしまったら、点の入る可能性が飛躍的に上がる。

 大介の長打率は、10割前後であるのだから。

 足のある和田が一塁にいては、一気にホームに帰ってくる可能性が高い。

 単に大介がヒットで塁に出るだけなら、後続を絶つのは充分に可能だ。


 ツーアウトにしておけば、三塁まで進まれても、確率的に失点は防げる。

 そもそも今年直史は、連打で得点を許したことはない。

 これは単純な事実であり、ただ大介の前にはランナーを出したくない、というのも本当のことではある。

 そして確実にアウトを取るためには、三振が望ましい。


 カウントを上手く調整し、ツーツーにする。

 そしてそこから、上手く落ちるチェンジアップを使う。

 これで空振りを取って三振。

 ワンバンしているので走るが、そこは迫水もしっかりと一塁へ送球。

 変な悪送球もなく、しっかりとアウトが取れた。

 これで準備は整った。


 大介の打順が回ってきた。

 二度目の打席。一打席目は一応、記録上は直史の勝ちである。

 だがあと0.1mmの違いがあったとしたら、大介が勝っていただろう。

 そのあたりも直史は、運がいいと言ってもいい。

 野球の世界に引きずり込まれた直史には、悪運のように運の良さが含まれているのでは、と感じることがある。

 それでも、相手は大介。

(実力だけでは勝てないな)

 しかしもう二度と、逃げてはいけないと決めている直史である。




 ストレートでの空振りは難しい、と分かったのが一打席目である。

 正確には、一度は空振りを取ったが、二度目のストレートはさらに空振りを取れるはずのものだったのを、大介は当ててきたのだ。

 勝負球にストレートを持っていくのは危険だ。それは分かった。

 だが全く使わない、というわけにもいかないだろう。

 あるいはスルーを使うために、上手く混ぜて使っていけるかもしれない。


 さっきの打席の配球は、当然ながら全て憶えている。

 大介が反応を見せたのは、ストレート系。

 狙われていると分かっていて、あえて投げたものである。

 それでも打たれないのが、本当の決め球とも言える。

 直史はまずツーシームから入った。

 これが148km/hと、普通のストレートよりも速かったりする。

 スイングした大介は、これをフェアラインの外ぎりぎりに飛ばした。


 内角に投げたものを、三塁方向に打たれている。

 当たりそうなコースからの変化であったが、割と簡単に打たれているのだ。

(それでも強烈なライナーにはなっていない)

 打球の方向を見極めた大介は、少し眉をひそめていた。

 意外とバットを押し込まれた感覚があるのだ。


 150km/hが出ていなくても、打てないボールというものはある。

 それは大介が一番よく知っていることだ。

 170km/hのボールでも、当てることは充分に当てることが出来る。

 ストレートは速度も重要だが、その質こそが個性となる。

 直史のストレートは、普通のストレート、伸びるストレート、そしてホップするストレートというのが、高校時代の種類であった。

 今はそれにムービング系を混ぜているので、普通のバッターの手には負えない。

 だが狙い球を絞れば、打てないことはないというのも確かなのだ。




 まずは内角、というのは大介相手には危険である。

 ただ外角に投げても、大介は普通に打ってしまうのだ。

 MLBの外側に大きなゾーンに慣れたバッターもピッチャーも、その感覚を戻すのには時間がかかる。

 特に大介の方は、10年以上もMLBでプレイしてきたのであるから。

 直史は内角の小さなゾーンに投げ込むコマンド能力を持っている。

 二球目はそれで、カットボールを投げ込んだ。

 大介はわずかに腰を引き、判定はボールとなった。

 フレーミングを上手くすれば、ストライクになったかもしれない。


 一球投げるごとに、疲労度は上がっていく。

 まったくこれは、寿命を削っているようなピッチングだ。

 ただ自分の寿命を削って、それで子供が生きるなら、それは親として本望と思うべきなのだ。

 直史の価値観は、家父長的である。

 それは同時に、家のためには自分の全力を尽くすということである。

 明史が田舎の家を継ぐかどうかは分からないが、それを判断出来るようになるまで育てる、というのは直史の役目だ。


 義務感のように聞こえるかもしれないが、直史はその義務に対して、命を賭けている。

 もはやそれは義務ではなく、天命であるとさえ言えるだろう。

 その直史が全力を尽くして、大介を打ち取ろうとしている。

 だが勝利には確信など持てない。

(まったく、どうして俺たちは)

 二人の前後数年は、本当に怪物のような才能が特に集中して生まれたような気がする。

 もちろん実際は、今の30歳前後にも、充分に怪物と言われた選手はいた。

 しかし直史と大介に匹敵するのは上杉と、やや甘めに見て武史ぐらいであろう。




 直史の投げた三球目は、高く外したストレート。

 これを悠々と大介は見送り、そして四球目にはスローカーブ。

 お手本のような緩急のつけ方であるが、大介はこれをしっかりと打った。

(くそ!)

 引っ張りすぎて、ポールの向こうに飛んでいった。

 ミスショット、と言えるだろう。

 あと0.01秒待つことが出来たら、完全にミート出来ていた。


 ほんのわずかなタイミングの違いだ。

 そう、バッティングというのはその極意は、タイミング以外の何者でもない。

 もちろんパワーはある程度必要で、そこからスイングスピードが生まれてくる。

 しかし一瞬の瞬発力が落ちてなお、ボールをスタンドに運ぶ。

 それにはタイミングが重要になるのだ。


 本来ならそのタイミングは、動体視力が重要となる。

 野球選手の筋肉の中で、特に野手にとっては致命的な衰えとなる部分。

 それは眼球の焦点を合わせる筋肉であり、ドーピングの最大のものは、この衰えを補うものであるのだ。

 ただ大介の場合は、この動体視力を使う部分を、他の技術で補っている。

 他のバッターに話しても、全く理解されるものではない。

 リリースした瞬間に、そのボールが何かを感知するのだ。


 元々この力は、以前からずっと使っていた。

 だからこそボールのコースや球種などを、早めに予測できていた。

 この先、動体視力はさすがに衰えていく。

 その時にさらにこの能力を伸ばしていけば、野球選手としての寿命は伸びる。

 これもほとんど超能力に近いものであるかもしれない。

 だが、既にこれを持っている人間は、他にもいるのだ。

 いつかこの能力が一般化した時、人類と野球は次のステージに進むのかもしれない。




 ツーボールツーストライク。

 あと一球、ボール球を使うことが出来る。

 普段の直史であれば、遊び球を使わずに勝負してくる。

 だがそもそもここまで、ゾーンだけで勝負をしていないのだ。

 直史は確かに無駄球を投げる人間ではない。

 だが必要であれば、ボール球は投げるのだ。

 大介との対決で、投げた球が無駄であるはずがない。


 大介もそれは分かっている。

(ボール球になったのは、高めと内角)

 外角ぎりぎりのボールを、果たして投げてくるだろうか。

 アウトローにツーシームを、ゾーンからぎりぎり外れる程度に。

 あるいは他のパターンで、外に投げてくるであろうか。

(カットしていくしかない!)

 直史の投げたのは、おそらくはスライダー。

(遠いが)

 ここから変化していって、ぎりぎりボール球でキャッチされる。

 いや、キャッチャーがもっと懐深くでキャッチしたら、審判にはストライクに見えるのではないか。


 打ってもスタンドにまで届くかな、という疑念があった。

 なので無難にカットしていく。

 三塁側ベンチの上、スタンドに放り込んでおく。

 やはり大きく変化したので、おそらくキャッチング技術でストライクになっただろう。

(ナオのコントロールは良すぎるから、審判も判断が引っ張られるんだよな)

 これを審判のミスとするのは無理がある。


 直史はここのところ、完全に球数を抑えたピッチングをしている。

 ただこの試合は、やや多めになっている。

 シーズンの終盤まで、絶対に壊れるわけにはいかないが、限界ぎりぎりまで出さなければ大介には勝てない。

 確率だけで投げてはいけない、ひりひりする対決だ。

 だがこれで、色々と布石を打つことが出来た。




 スルーはいつ使ってくる?

 あるいはスルーチェンジは?

 大介が注意しているのは、この二つの球種にストレートを絡められることだ。

 ピッチトンネルが同じように投げて、ストレートとスルーは両方ストライクになる。

 スルーチェンジは高さによるが、ベースの手前でボールゾーンに落ちていく。

 基本的にストレートにタイミングを合わせておいて、スルーとスルーチェンジをカットする。

 スルーはともかくスルーチェンジはカットするのすら難しい。


 あと一つ、ボール球を投げられる。

 だがそれが必要なボール球であるのかどうか。

 直史はゆっくりと足を上げて、脱力した状態から一気に、腕を振ってきた。

 スピードボール、と瞬間的に察知する。

 だが直感が、警鐘を鳴らす。

(違う!)

 速球が急激に減速するようなスピン。

 スルーチェンジに大介のバットが止まる。


 ワンバンするようなボールを、迫水は必死で止めた。

 どのみち後逸しても、振り逃げなどにはならないのだが。

 これでフルカウントとなった。

 あとは歩かせてくるか、それともストレートなどのスピードボールを使ってくるか。

 前提条件として、直史はランナーを出すわけにはいかない。

 だがその条件を逆手に取って、制約を知っている大介にボール球を降らせるというぐらいのことは、直史もしてくるであろう。


 確実性を求め、確率を重視しながらも、統計には捉われない。 

 それが直史のピッチングである。

 分かっていても空振りするような球を投げる。

 大介はそれを前提として考えているが、果たしてどうなるのか。

 あるいはこの試合だけは、パーフェクトの条件を自分で放棄するかもしれない。

 今年の直史は、かつての直史と比べれば、フォアボールをそこそこ出しているのだ。




 フルカウントから何を投げるのか。

 マウンド上の直史は、大介に背中を向けて、マウンドの土を均していた。

 背中が静かに燃えている。

 氷のような冷たさを、同時に感じる複雑な闘志。

 直史の中には、相反するものが存在する。

 勝利絶対主義の信念と、誰でも絶対に打ち取るから勝負させろ、という感情だ。


 実際に直史は、多くの強打者をたやすく葬ってきた。

 そのピッチングに心を折られたバッターも多い。

 折られることはなく、上手く受け流すことも重要なのだ。

 たとえばアレクなどは、他のピッチャーを打てばいい、と開き直った思考であった。

 それにMLBでは直史と敵対しないように、同じチームにも入っている。


 一緒のチームでプレイしたいな、という思いはある。

 だがそれは国際大会でやればいいだけのことだ。

 やはり同じグラウンドにいるのならば、こうやって対決するのが楽しい。

 たとえ結果が自分の敗北に終わっても、だ。

(さあ、どうする?)

 何がきても、対応する準備はしている大介だ。


 直史としては、ここまで上手く布石を打ってきている。

 スルーチェンジを空振りする、あるいはスライダーを見逃すという、都合のいい事態は考えていない。

 大介ならカットするか、しっかりと見逃すと分かっているのだ。

 その上で投げる球は、ここまで組み上げた末の結果である。

 渾身で投げる決め球。

 それはストレートであった。

 大介は反応のままにスイングをする。

 そして打球は高く上がっていったのであった。

 スタンドにまでは、とても届かないような角度で。

(キレか)

 スピードではないストレート。

 センターはほぼ定位置でそれをキャッチした。




 スピードは142km/hしか出ていなかった。

 それなのに最初の打席よりも、さらに飛んでいないストレート。

 ボールの下を打ってしまったな、という感触はあった。

 だが今のストレートはなんだったのだ。

(これまでは使ってこなかったストレート、ということか?)

 大介は頭の中で、これまでの直史のフォームと今のストレートを比較してみる。

 あるいはその前までに投げていたボールとも。


 なるほど、分かった。

(さらに低い位置でリリースして、よりフラットにしたってことか)

 そうでなければ、あの球速でボールの下を打ってしまったという理由が出てこない。

 伸びているとかは感じなかったが、かなり沈まないライジングファストボール。

 いや、直史のストレートにしても、速度が出ていない方であったが。

 あのスピードならこれぐらいは落ちて当然、という計算が神経系で一瞬で成される。

 だからこそ、その基準からはずれるストレートを、ミスショットしてしまったというわけだ。


 これをもっと飛ばすのは、単純にスイングをややアッパースイングにするだけでいい。

 そう、今のストレートだけならば。

 ただすると他のボールには、そのスイングでは上手く対応できないかもしれない。

(面白くなってきたけど)

 次の打席で、大介が出塁したとしても、もう一人出なければ四打席目が回ってこない。

 既に一点を取られていて、直史は一点もやらないつもりで投げてくるだろう。


 最低でもあと一打席、大介には打席が回ってくる。

 そして他にもう一人、ランナーが出れば第四打席も回ってくる。

 現在は一点差。

 普通ならワンチャンスで逆転と思うところだが、直史からはそのチャンスを二つ積み重ねるのが難しい。

 狙うのは一発だ。今年の失点はホームランしかないのが直史であるのだから。

(次の打席、ホームランを打てれば同点に追いつける)

 延長戦に突入しても、おそらくある程度は直史が投げてくる。

 そこで勝負をかけることが出来るかもしれない。




 フラットなストレートを使い、大介の二打席目も封じることが出来た。

 これであと一打席、どうにか抑えたい。

 最低でも点を取られないようにすれば、ヒットまでは我慢する。

 大介がミートだけに絞ってしまえば、直史のボールでも打つぐらいのことは出来る。

 ただ今の打席、大介は長打を狙っていた。

 そして想定以上のストレートを投げたことにより、センターフライに打ち取ることが出来た。

 一打席目よりは、想定内のバッティングであったのだ。


 その後のバッターも打ち取り、直史はベンチに戻ってきた。

 結局大介は、二度の外野フライで打ち取っている。

 それも一度目はフェンス手前であったが、二打席目はほぼ定位置。

 フライの高さも二打席目の方が低い。

 より上手く打ち取れている、と言えるのかもしれない。


 ベンチの中で直史は考える。

 この試合はさすがにパーフェクトは難しいと分かっていたはずだ。

 そして大介の打席は、最低あと一打席。

 ホームランを打たれたら同点に追いつかれて、延長に入る可能性すら出てくる。

(大原からあと一点か)

 それほど難しくはないはずだ。

 緒方のホームラン以外にも、ランナーはしっかり出ているのだ。

 あと一点、出来れば二点あれば、最低限の目的は遂げられる。


 


 直史の信条は、元は点を取られないこと、であった。

 フォアボールを連発しようが、毎回ヒットを打たれようが、点さえ取られないければそれでいい。

 パーフェクトの達成などというのは、そういった点を取られないピッチングの延長線上にある。

 ランナーを出さないことは、失点の可能性を減らす。

 それはヒットでもフォアボールでも変わらない。

 あとはホームランを打たせないことだけを気をつければいい。

 実際に今年の失点は、二本のホームランだけである。


 最低限でも勝利のためには、あと一点の追加点がほしい。

 出来れば二点だ。そうすれば大介にホームランを打たれても、勝利への影響はあまりない。

 だがそう思っても、四回の裏のレックスは無得点。

 ランナーは出たのだが、そこから先をぎりぎりで失点につながらないピッチングをしている大原。

 さすがベテランの技と言うべきか、と気ばかり若い同じ年の直史は思った。


 五回の表、ライガースの攻撃。

 四番からのこの打席、長打が狙えるはずの打順だ。

 しかし直史は、カーブを主体にして、ストレートを決め球に使っている。

 本当ならもうストレートは、大介との対決では使う予定はない。

 同じような性質のボールで、二度も打ち取れたのだからそれで充分。

 なのでこうやって、他のバッター相手にも使っている。

 

 他のバッターにストレートを使っていくというのを、大介に見せ付けておく。

 意識の中にストレートがあれば、他のボールへの対応力がやや低下する。

 基本的に直史は、ストレートで空振りが取れるピッチャーに変わっている。

 落ちるボールでの三振が少ないというのは特徴であるだろう。

 150km/hが出ない本格派。

 ただし変化球はどんどん使っていくという不思議なタイプになっているのだろうか。




 ピッチングスタイルの基本は変わらない。

 今シーズンの初めの方はフライを打たせていったが、今はゴロを打たせるようになってきている。

 追い込んだら三振を狙っていくことで、球数を抑制することが出来る。

 もっともこの試合では、大介の前にランナーを出さないため、球数はそれなりに多くなってしまっている。

 このままのペースだと、久しぶりに100球以上を投げてしまうかもしれない。

 単純に球数だけが、体に負担をかけるわけでもないのだが。


 四番バッターを三振、五番バッターも三振、六番バッターは内野フライ。

 奪三振の数が多いというのは、それだけエラーの可能性も減らしているということだ。

 27球で終わらせる究極のピッチングを考えれば、ある程度は打たせて取ることも重要だ。

 しかし81球で全打者を三振というのも、また違う方向性の究極のピッチングだ。

 直史が考えるのは、この複合型である。


 全く点が入らない空気が、球場を満たしている。

 ただレックス側からすると、さすがにそれは困るのだが。

 大原から一点しか取れないのは、打線が情けないと思われても無理はない。

 それに直史自身が、追加点を必要としている。

 一点差で大介と勝負するのは、リスクが多いし余裕も少なくなる。

 打たれてもいいとは思わないが、取り返しがつく状態であってほしい。


 ただ主に下位打線が回ってきているこの五回の裏、レックスは追加点を取れない。

 直史もバッターボックスに立っているだけである。

 とりあえすバッターボックスでの直史の仕事は、デッドボールを回避することである。

 この日もその、バッティングとしては何も期待されていないことを理解して、足手まといにならないようにしている。




 六回の表となる。

 この回はライガースも下位打線。

 また大原のところにも、おそらく代打は出されないであろう。

 少なくとも六回までは投げてもらいたいだろうし、そもそも失点がまだ一点だけ。

 イニングイーターの大原としては、体力も残っている。


 今日は今シーズンでは一番、と言ってもいいぐらいのピッチングをしている大原だ。

 普段のライガースならば、援護点があって勝ち投手の権利を得ているだろう。

 しかし直史が相手であると、そう上手くはいかない。

 無失点完封がアベレージに近い。

 完投出来なかった試合数を、数えた方が早いのだ。


 直史はMLBでのピッチャーの評価基準をスタンダードとしているので、勝敗はピッチャーの価値ではないと思っている。

 ただ自分は、試合を勝たせるピッチャーだとも思っている。

 試合を勝たせてこそのエース。

 ピッチャーの評価基準はMLBスタンダードでも、己の価値観は試合に勝つこと。

 皮肉とも言えるのは、両方のどちらの基準であっても、直史は突出したピッチャーになるということだ。


 この回も直史は、あっさりと三者凡退で抑える。

 そして奪三振の数も、二桁に乗った。

 だが問題なのは、次の回である。

 七回の表は、当然ながら大介に回る。

 六回の裏には、追加点がほしい。

 その直史の願いはそれほど難しいものでもなく、よって果たされることとなった。

 たったの一点だが、レックスは追加点を得ることに成功。

 これで二点差となり、ソロホームランを打たれても追いつかれない状況になった。

(よし)

 直史にとっては、これが理想的な状況である。




 直史が考えているのは、あくまでも自分の目的を果たすことである。

 大介と対決し勝利するというのは、その過程で必要であるならば成し遂げるというものであるのだ。

 そしてそれを多くの人間が見たがっている。

 希望、とでも呼べるものが世界には充満している。

 日本だけではなく、アメリカをはじめとする野球がメジャーな国や地域は、この試合を視聴することが出来ている。


 かつて最も完璧に近いと言われたピッチャーと、あらゆる記録を塗り替えていったバッターの勝負。

 それが成立するのは、ほんの数試合しかない。

 もちろん両方のチームがポストシーズンに進めば、その回数は増えるであろうが。

 世界がそれを望んでいる。

 ならばそれに対して応えなければ、自分に因果が戻ってきてしまう。

 直史のこの考えは、迷信としか言えないものだが、それを本人が信じているなら、本人にとっては真実になる。


 七回の表、まずはランナーを出さないこと。

 一番の和田に対しては、大介に対するのと同じ緊張感で、挑まなくてはいけない。

 もちろん実際のところは、攻略の難易度は高くない。

 精神的に消耗することは、それなりに大きいが。

(それでも)

 空振り三振で、まずはワンナウト。

 そしてここからが本番なのだ。


 直史と大介、本日三度目の対決。

 あるいはこれが、今日の最後の対決となるかもしれない。

 もしも直史が大介を抑えたなら、その最後の対決となる可能性は一気に高くなる。

 そして打たれたとしても、まだ確率が極端に上がるわけではない。

 2-0という点差で直史が投げていれば、かなりの確率でもう勝敗は決まっている。

 しかしそれを逆転する可能性があるとしたら、やはり大介のバッティングなのだ。

 ここまでは外野フライ二つ。

 お互いに結果だけから、勝敗を決めるような二人ではない。

 この三打席目でも、勝敗は決まらないかもしれない。

 それを続けていくのが、野球というスポーツなのだ。

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