ほあらと染一

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 細胞壁を噛み砕く音。

 真冬の重く厚い衣を脱ぎ損ねたのだろうか。春の空気はまだ冷たい。

 ようやく顔を出し始めた道草でも食んでいるのか。たとえそう推論されたとしても異論は許されない。棒状にカットされた野菜をうさぎさながらに食している。元から毬のような頬をさらにまるく膨らませる。ひざの上に乗せた本から顔を上げる。

「誰だっけ?」

 少女、道草みちくさほあらは、さも当然といった様子で尋ねた。

「同級生です」「知ってるけど」と彼女は、あごを引いた。

「そうだ。ヒントちょうだい」

 隠れていた茂みから出る。葉がついていると、にんじんで指摘される。はらい、口を開く。「僕は」「あー」突然の発声にびくつく。「かー」そうか。「さー」「過ぎてる。過ぎてる」懸命に手を振る。

仮屋染一かりやせんいち。変わった名前だから、おっと思ったんだった」

 むうと顔をしかめる。

「道草ほあらだって、相当、珍しいと思うけど」

 そんなことは言われ慣れているのか、我関せずといった様子だ。

「お父さんかお母さんが、染色を生業にでもしているの? それとも、ただの趣味かしら?」

「草木染はしているかもしれない」

 適当極まりない返答に、ほあらはふうんと頷く。のんきなやつだ。

「お前はどうなんだって顔してるね」

 そのとおりだと、顔を赤らめる。座ろうとしていたベンチから反対に腰を浮かす。座り直し、自分の思い違いに気づく。

「ミスター仮屋は、なぜ私をつけてきたの?」

 歯ぎしりして思案する。少しばかり情けない理由からだったのだ。うん? と道草ほあらが、上体ごと傾ける。

「私って、学校でどう見られてるの?」

「成績優良者」

 自分で発しておきながら、胸が痛む。学年順位は下から数えたほうが圧倒的に早い。自分には、縁のない言葉だ。

「だよね。勉強ができても、優等生とは決して言われない」

「全国模試で冊子に名前が載るような人が、同じクラスにいるなんて未だに信じられない」

 少なくとも入学時には、ほとんど横ばいの成績で、同じ授業を受け、同じ時間を過ごしてきたはずなのに。単に、勉強時間の違いか。

「いやさ、一応は進学校なんだから一人も名前が載っていないほうが信じられないよ。難関大に行く人が全くいないのに、進学校はないでしょう。恥ずかしくて名乗れないよ」

 正論に舌打ちする。それは、暗に、偏差値がアンダー五十の生徒は、進学校の生徒に非ずということか。

「そうですね。全県一位の道草さんならば、きっとどこの難関大でも余裕ですよね」

「そうもいかないんだよ。県内に敵はいなくても、県外にはまだ上がいるからね」

 大仰に溜息を吐く。

「オレなんか、敵だらけだよ。一体、どうしてくれるんだ」

「目の前の敵を地道に倒していくしかないさ。わかりやすい敵としては、週末課題とか週明けの英単語テストとか」

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