ダウンタウン松本人志 文春砲問題について その1

最近読者の方に読んで頂いているものを見ると、『お笑い芸人ランキング』や『お笑い考察まとめ』など、いわゆる『アレ』に関するものが何故か伸びていることが分かった。


これが何故なのか筆者なりに推察したのだが、どう考えても理由はアレだろう。


そう、そのアレとはタイトルにもある通り、阪神の優勝ではなくあのお笑い界のドン(?)、『ダウンタウン松本人志がモンハンの滅龍弾なみの強烈な文春砲を喰らった件について』である。(?)


筆者としても、この問題について言及することを読者の方々から求められているのだろうな~という空気をビシビシと感じたため、そういった経緯から現時点での筆者の考察をここに残しておきたいと思った次第だ。(次第だ。じゃねえよ、さっさと本題に入らんかコラッ!!ムダな前置きはいらんとばい!!)(????)


まあ何故急に博多弁なのかは置いておいて、松本が一体何をセンテンススプリングされたのかについては、もう既にご存知の方ばかりかと思うため、ここではその報道を受けて筆者が感じた印象を語っていくことにする。


【松本人志】


以前ワイドナショーであれほど兼近を擁護していたものの、今度はその自分が文春砲を受けて窮地に立たされているという、かつての笑いのカリスマ、『てるおはるお』のどっちがはるおなのかよく分からない方。(???)


浜田と二人でどっちが『はるお』になるか取り合ったという話はともかく、現状の実力に関しては完全なオワコンであると口を酸っぱくして言い続けている通り。(この辺の話はお笑い考察まとめの方で詳しく解説しています)


以前にも語ったが、勿論まだ凡百の芸人よりは力を残してはいるものの、それはあくまで『蝋燭の燃え尽きる前の最後の輝き』『巨大な光り輝く才能の残滓』であって、全盛期をリアルタイムで見てきた世代であれば、その才能と力量の落ち込みぶりは肌で感じていることと思う。(むしろその才能の残滓に負けている若手芸人がもっともっと頑張らないといけないのではないかと感じる。最近は本当に芸人としての『格』を感じられる若手が全くいないと思うし、ダウンタウン、とんねるず、ウンナン、爆笑問題の太田を最後に、何十年にも渡ってSランククラスの芸人は出てきていないのではないかとすら筆者は感じてしまうのだ。現状テレビを席巻し始めている『かまいたち』や『千鳥』ですらいいとこAランクまでというか。漫才やコントなどの『技術』だけは上がっているものの、肝心の『中身』はレジェンドクラスに全く追いついていけていない感覚がある)


思わず脱線してしまったため話を戻すが、この松本、かつて板尾をかばったり兼近を擁護したりと、自分が気に入っている後輩には私情を挟みまくるというか、めちゃくちゃ甘いところがあるのではないかと個人的には感じている。


昔は放送室で、被災地でカメラに向かってピースサインするアホに激怒したり、古本屋で万引きした少年を警察に渡したのに、その少年が取り調べ中に逃げ出して電車にはねられて死んだことで、何故か古本屋の店主が責められて店が潰れたことに激怒したりと、世の中のアホや理不尽に対して怒る、優しさや愛情を持っていたのである。


だからこそ筆者も放送室時代の松本は好きだったのだが、その優しさや愛情が裏目に出たのか、筆者が落胆、幻滅しまくったあの兼近擁護、しかも『スポンサーは(世間の反対の声に)惑わされないように』などと、一体どの位置から言っているのか分からない偉そうな発言など、元々映画大失敗でミソが付いていたところに加えトドメの一撃というか、そこで『松本人志』という芸人の全ての潮目が変わってしまった感がある。(個人的にはあのスポンサー云々を言っている時の松本が一番嫌だったし、かつての大ファンとして見ていて本当に哀しかった。いやいや、それって昔の松ちゃんが一番嫌ってた、『上から権力を振りかざすおもんない先輩』ってやつに自らなってもうてるんちゃうの?と思ったし、その自己矛盾に気付かない感性の落ち込みぶりを目の当たりにしてしまい、そこで筆者は松本という芸人を完全に見切ったのである)


スポンサーは惑わされないように、などと言っていた当の本人が、今回の文春砲を受け番組からスポンサー撤退の噂も出ているというのだから、これはもう何をか言わんやである。


芸人ランキングの松本への想いを見て頂ければ分かる通り、筆者はけして松本のことを嫌いなどではなく、むしろ昔大好きだったからこそ、現在の姿が本当に残念でならないと思っているだけなのだ。


今回の文春砲を受け、松本のツイッターでは『いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ~』との発言も出てきたが、俺はそんなことやってないとハッキリ明言するのではなく、ツイッターでお気持ち表明のようなこのムーブがもう既にダサいと思ってしまうし、いつ辞めても良いと思っているのであれば、それこそ尊敬する紳助のようにスッパリ辞めればいいだけの話だろう。(まあ文春と戦うためにも辞めれない気持ちがあるということは理解できるが)


本当にやってないのであれば、自信を持って自分の口から『それでも僕はやってない』と胸を張って堂々と断言できるはずではないのかと思うし、俺はそんなこと絶対にやっていない、よって文春を名誉毀損で訴える、やっていないのであれば今回のことはそれだけの話ではないのか?と疑問に思う。


昔のことで記憶がどうこうではなく、こんなことをやったかやってないかは覚えていなければおかしいし、俺はそんなことやってないと堂々と胸を張って断言できてこそ、『人志松本のやってない話』と言えるのではないのだろうか。(????)


いや、やってない話はともかく、松本も小沢も何故その核心部分には一切触れずにダンマリを決め込んでいるのか意味が分からないし(松本は意味不明のお気持ち表明)、これではこの件について何か『身に覚え』『心当たり』でもあるのか?と世間に思われても仕方のないムーブを、自ら取ってしまっているとしか言いようがない。(吉本から本件について勝手に動かないように止められているといった可能性もなくはないが、それにしてもやっていないのであれば本人の口から速やかにやっていないと言えばいいだけの話で、長引かせる意味はないだろう。吉本から『当該事実は一切なく』『客観的事実に反する』という表明はされたが、本当にやっていないのであれば、小沢と松本本人の口からやっていないと断言させるべきではないかと思うし、それがない限り世間の疑念が晴れることはないように思う)


話は少し変わるが、やったやってないの水掛け論はひとまず置いておいて、これがどういう結果に終わろうとも、もうこういった話が沸き出てくる時点で、お笑いの歴史における『松本人志』という『一つの時代が終わった証』なのではないかと、筆者には思えた。


何故なら、かつての松本が持っていた目には見えないオーラというか、『無形の力』『神通力』であれば、そもそもこのような話自体が出てきていなかったのではないか?と感じるからだ。


昔の松本には、我が家の『言わせねぇよ?』ではないが、そういった声を黙らせるぐらいの芸人としての圧倒的な『力量』というか、松ちゃんならしょうがないよねと周りに思わせる『説得力』というか、反発があっても『それを凌駕する面白さ』があったように筆者には感じられる。(無論時代の違いもあるが、映画の大失敗や芸人としての力が落ちてきたことにより、松本が世間に『舐められはじめた』という見方もできるのではないか)


現時点での松本のムーブに関する考察は、大体このようなところ。


さすがに松本と比較すると格は落ちるが、本件の関係者として一応は言及しておかなければならないと思うため、次回その2はスピードワゴン小沢について考察していきます。

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