第4話 神隠し

 ネットの情報は玉石混淆ぎょくせきこんこう、それは十分にわかっているつもりだった。だが唐島源治は、その情報を全面的に信じている。あの日、逃げる自分と出くわした男が、秋嶺山荘のオーナー日和義人であると。これは信じられるはずだ。そうでなければおかしい。まるで自分のためだけであるかのように、ピンポイントを突いてきたこの情報なのだから。


 唐島源治が二つ目の殺人事件を起こした後、エゴサーチすることによって情報を収集しようとしていたとき、アングラな掲示板で自分の情報を集めているヤツらがいた。これは危険だ、何か対策を考えねば、そんな風に考えていた唐島の目に、日和義人の名前が飛び込んで来たのだ。


 それはまさに天啓。その瞬間、自身が何をなすべきかが決まった。逃亡を続けながら準備し、警察の隙をうかがい、綿密に調査した結果、唐島源治はいまここにいる。


 林道に沿って森の中を進む。いまのところ警察の検問などはないが、用心のためだ。


 何としても日和義人を殺さねばならない。自分の顔を知っている人間はすべて殺す。それは崇高な使命と思えた。


 家族を切り捨て、過去のすべてを切り捨て、この身を世界の外側に置いたのは、社会に対する復讐のためだ。自分で鼻を折り、自分で歯を抜き、顔の形を変え続けたのも、ただひたすらに透明になるためだ。


 誰にも知られない存在になれば、誰からも自由になれる。真に自由になった存在は、法律であろうと束縛はできない。たとえどんな罪を犯そうとも、決して捕まえられない。すなわち、裁くことすらできないのだ。


 もう少し、あと少しで自分は本当に自由になれる。この苦悩に満ちた腐った世界を完全に切り捨て、離れられるのだ。そのために、自分の素顔を見た者は抹殺しなくてはならない。日和義人を殺し、最終的には刑事たちを殺す。それは神へと至る道。


 もしかしたら自分は狂っているのだろうか。そんな思いが脳裏をよぎらないでもなかったが、もはやそれはどうでもいい。何故、何のためにといった疑問もどうでもいい。


 透明になるのだ。とにかく透明になるのだ。その願いは唐島源治の生きる理由となっていた。


「感謝するぞ、ピロロ三世」


 そうつぶやきながら。




 階段で一階まで下りると、ケンタは一同を振り返り、左方向を手で示した。


「この奥が応接室とオーナーの個室になります。式村様には後程改めてご案内しますので」


 続けて今度は右手にズラリと並ぶ部屋を示す。


「こちら一番手前の銀色のドアが厨房で、残りのドアがない四部屋が健康道場になります。いまは自由時間なので、特に運動も作業もしていませんけど」


 二階同様、一階も下広がりの斜めの壁面がのしかかるような印象があるが、天井がもっと高く幅も広さもあるため、特に圧迫感はない。壁面の縦方向に延びる細長い窓から陽の光も入って来ており、それなりに明るい印象。健康道場はどの部屋も出入り口のドアは取り払われ中が見えている。内側から聞こえて来る子どもの笑い声。


 と、そこに一番奥の部屋から、小柄で日に焼けた少年が飛び出してきた。周囲を見回しながら、まっすぐに式村憲明の方に駆けてくる。まるでその姿が見えていないかのように。


「おいカンジ!」


「えっ!」


 ケンタにカンジと呼ばれた日焼けの少年は、ぶつかる直前で足を止め、驚いた顔で憲明を見つめた。


「ああビックリした! 何だよもっと早く教えてくれよ」


 不満げに口を尖らせるカンジは、しばらくキョロキョロしてようやくケンタを見つけたようだ。やれやれと言いたげなケンタだったが、穏やかな声でたずねた。


「何かあったのかい」


「いや、ジローがまた行方不明だからさ」


「ジローなら階段の踊り場にいたよ」


「何だ、今日は変なところにいやがるな。しゃーない、ちょっと行って連れて来るわ」


 それだけ言い残すと、カンジは階段へと走って行った。


「大丈夫なのか、アレ」


 五十坂の言葉にうなずくケンタは慣れた様子だ。


「大丈夫です。ちょっとイレギュラーに弱いだけなので」


「ちょっとねえ」


 そして差し込む柔らかい陽の光の中、健康道場の前を横切り進むと、真正面にさっき入ってきた玄関が見える。向かって左側、健康道場の並びにエレベーターがあり、その隣にはカウンターがある。一般的なホテルならチェックインカウンターがある場所なのだろうが、ここでは小さな診療所の受付のような感じだった。


「ここが受付で、普段は僕たち年長組の塾生が交代で詰めています。奥に八科の部屋もありますので、八科に御用があるときにはここに来ていただければ」


 そう言ってケンタは振り返った。


「以上簡単でしたが館内の説明をさせていただきました。何かご質問はあるでしょうか」


 後でオーナーと話すときにたずねてもいいのだが、何も訊かないのも悪い気がする。式村憲明は小さく手を挙げた。


「健康道場での活動を少し詳しく聞きたいんですが」


「そうですね、個人個人できることとできないことがあるので断言はしませんが、ザックリ言えば体操と瞑想ですかね」


「体操と瞑想」


「ええ、どちらもストレスを発散させて体の免疫力を高めると言われています。体操は朝、瞑想は昼食後、強制ではありませんが、ほとんどの子はやってますね。それ以外の時間は各自に向いた創作活動が主になります」


「絵を描いたり陶器を焼いたり」


「はい。それなりの作品が出来上がれば買ってくださる篤志家の方もいらっしゃるので、ここの運営資金にもなりますから」


 憲明はちょっと気が引けてしまった。これは踏み込んだことを聞きすぎたのではないかと。子どもたちが施設の運営資金の話まで知っているとは思わなかったのだ。だがそこにズカズカ踏み入ったのは五十坂。


「ここの予算ってどれくらいなの」


「いやあ、金額まではちょっと。基本的に寄付金で回ってるのは間違いないと思いますが」


「そりゃそうか、了解」


 憲明は振り返ってにらみつけてやりたい気分だった。後ろに刑事が張り付いてさえいなければ、だが。


「他に何かありますでしょうか」


 ケンタの言葉に、憲明はもう十分だと首を振った。やはり詳しいことはオーナーにたずねた方が精神衛生上いい気がする。


「ここにいる子どもたちに個室とかあるのかい」


 また五十坂だ。しかしケンタは嫌な顔一つ見せない。


「いいえ、道場の各部屋の奥に二段ベッドが四組設置されています。プライベート空間はそこだけです」


「ふうん、そりゃ厳しいねえ」


「自宅じゃありませんしね、その辺は仕方ありません」


「なるほど」


 五十坂は素直に納得した顔を見せる。もうこんなものか、これ以上の質問もないだろうと憲明が思っていると、今度は隣に立つ娘の紗良が手を上げた。


「何でしょう」


 微笑みかけるケンタに向かって紗良は問う。


「ここではこれをしない方がいい、みたいな暗黙の了解はありますか」


 この質問には、さしものケンタも戸惑った様子だ。


「暗黙の了解かあ。あんまり大っぴらに言えることは暗黙の了解じゃない気もするけど、そうですね、まずオーナーと八科の言葉には基本的に従うこと。それとあと一つ、夜は建物の外に出ないことかな」


「ああ、夜はこの辺り真っ暗でしょうし、危ないですよね」


 憲明がうなずいていると、ケンタは小さく首をかしげた。


「ええまあ、そういう意味でもあるんでしょうけど、この近隣って結構いまでも不思議なことが起こるんです」


 その言葉は紗良の興味を引いたようだ。


「不思議なこと」


「そう、たとえば神隠しとか」


 憲明はケンタの言葉を聞いて、紗良の話していた夜叉姫伝説を思い出した。自分の後ろで五十坂が不愉快げに眉を寄せていることにも気付かず。だが紗良は気付いていた。その視線を追って、ケンタも気付く。


「何かご不審な点でも?」


 ケンタの問いかけに、五十坂は大人げないレベルで不愉快そうに答えた。


「不審な点は何もない。神隠しなんてもんがないのと同じ次元でまったくない」


 その返答に、紗良は思わず吹き出した。驚いたのは父親の憲明である。娘が笑うところなど見たのは何年ぶりだろう。


 ケンタも困ってしまった。


「神隠しって、ないモノなんですかね」


「ないね」


 五十坂は言い切る。


「人が消える理由なんていくらでもあるのさ。ことに昔、まだ法治国家として未成熟だった時代には、いまよりもっと多かった。たとえば地域の掟を破った者、余所から流れ込んできた無法者、あるいは口減らしのための子どもなんかは、姿を消してくれると大多数が助かったんだ。だからある日突然いなくなる。それを神隠しと呼んだだけであって、超自然的な消失現象が起きた訳じゃない。たまに天狗にさらわれて戻ってきた子どもの記録があったりするが、神隠しに遭った人間の大半は、人間に殺されたと考えるべきだろうな」


 神隠しという言葉に、ここまで大演説をぶつ者はさすがに見たことがなかったのだろう、式村親子もケンタも、ある意味圧倒されていた。


 五十坂も決して馬鹿ではない、ちょっとやり過ぎたことは自覚しているのだが、そこで自分からテヘペロできるキャラクターではなかった。


 ここは多少強引にでも軌道修正すべきだろう、そう考えたのかケンタは微笑む。


「もちろん、神隠しと単なる行方不明の間にどんな差があるのかとか、僕らにはわかりませんけど、この近くの村で突然人が居なくなるってことは実際に起きてるみたいですよ」


「そ、それは気をつけなくてはいけませんね」


 空気を読んだ式村憲明がうんうんとうなずいたとき。


「あ、そうだ」


 まるで話の流れを断ち切るかのように、五十坂が声を上げた。


「写真を何枚か撮りたいんだが、撮っていい場所は八科さんに確認した方がいいのかな」


 これはつまり、「さっきのはナシな」という宣言、と言うよりSOSなのだろう。黙って通してやるのが武士の情け。ケンタはうなずいた。


「そうですね、確認を取っていただけると助かります」


「OK、了解した」


 ケンタはもう一度一同を見回した。


「他になければ、一旦お部屋にお戻りください。もうすぐおやつの時間ですので、コーヒーを運ばせます。紅茶の方がお好みの方はおっしゃっていただければ」


 すると五十坂が慌てたように声を上げる。


「あっ、ちょっと待った。俺はお茶はいい。車の中で仕事がしたいんでな」


「はあ。でも館内でないとWiーFi繋がりませんけど」


「オフラインでできる仕事もあるのさ。それにアレだ、ここ館内禁煙だろ?」


 ケンタはようやく得心が行ったという顔で微笑んだ。


「わかりました。八科にはそのように伝えておきます」


「助かるよ」


 いまどき喫煙者は大変だな、ほんの少し同情しながら憲明は紗良とエレベーターに向かった。刑事がついてくる気配はない。思わずついた小さなため息を、誰かに聞かれなかっただろうか。そんなことが心配になるくらい、式村憲明はナイーブになっていた。

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