閑話 クモリツバキ

(この気持ちは何だろう)


 ツバキはサヨの手を握りながら考える。


 ツバキには親がいない。幼いころの交通事故で死亡して、生き残ったのはツバキだけであった。


 壊滅的事故から生還した甥っ子を実の叔母は気味悪がった。


 卑屈なツバキを従妹は見下した。叔父はツバキの少女らしい容姿を見て……


 ツバキは物置に押し込められて、誰にも相手にさえなくなった、中学からは行っていない。遺産はあったものの扱いはまるでごみのようだった。


 己の中に生まれた嫌な思いに、ツバキは必死に蓋をした。


「スズラン市に得体の知れない脅威が迫っていて、それをどうにかする力が俺達にはある。そうなったら……やることは一つだろ。ここを守る。ここにいる人たちを守る。少なくともそれがこの力を与えられた意味だと俺はそう思ってるんだ。だからこの力が何かわかってもわからなくても俺のやることは変わらねぇよ」


 サヨの言葉を、ツバキは心の中で繰り返す。


(僕はそんなに強くなれそうにないよ……)


 だからこそ、君はきっとすごいんだよね。


 後ろをついてくる変わった格好の初めての友人に、ツバキは心の中でそう言った。


「あ、そう言えば貸し出してくれる場所ってどこにあるの?」


「あぁ、そこをまっすぐ行って右に」


「オッケー! わかった!」


 視線を、前に戻す、その時ツバキは心臓が激しくはねたのを自覚した。


「ッ!!」


 立ち止まって視線を下に向ける。


「ツバキ……?」


 サヨが心配そうに肩をたたく、お願いだから、どうか『気が付かないでくれ』そんな願いは、水泡に帰す。


「ツバキか?」


 よく聞いた男の声だった。これを聞くだけで呼吸が荒くなる。


 自分の倍はあるとも感じられる巨大な体、鬣のような金髪、鋭い瞳に取り繕ったような笑顔。


「……」


「ツバキ? 知り合いか……?」


 呼吸が荒くて、まともに声も出ない。あえぐように下を動かしていると、優しい手がツバキの背中に添えられた。


「へぇ。かわいい子じゃないか。初めまして。俺はこいつの叔父ってやつだ」


 ゴツゴツした手がツバキの頭に添えらえて、思わず体をはねさせる。


 気持ち悪い。そんな単語が包み込むようにツバキの心に満ちていく。本当ならば今すぐにでも振り払って逃げ出したい。なのに体が動かない。


「で? にしてもどうしてここに?」


「どうしてって、家族サービスさ。妻と娘……あと娘の友達を乗せてここまで来たってわけさ。これでも父親だからね。こいつには娘とも仲良くしてほしいんだが」


「へぇ……」


 自分の真上で言葉が飛び交う


「お前の家族の中にツバキは入っていないのかよ?」


 聞きなじんだサヨの声だった。いつも穏やかで、ワクナーイと戦っていた時ですら何処か余裕のあった男の子にしては高い声に、確かな怒気を込めていて、ソレは間違いなく叔父に向けられたものであった。


「そ、それは……ハハハ、勘違いしてもらっては困る。こいつは……」


「ツバキの好きな物」


「あ?」


「ツバキが好きなものとかちゃんとわかってるのかよ? テメェツバキのことちゃんと見てるのか? って話だ」


 ゴツゴツしたものが頭から消えて、フワッとした感覚がツバキを包む。抱き寄せられた。 


スベスベの素肌がツバキの頬にくっついた。


「知るはずがなだろ! 失礼な奴だな! 腰を振って俺に媚を売るしかないバカなゴミの仲間も馬鹿でゴミかぁ!? コレは……バツが必要だな!」


「馬鹿でもごみでもない。覚えとけクソ野郎、クモリ ツバキだ。俺の友達のな」


 ツバキには。彼が次に何をするのかが分かった。背中で大きなこぶしが振り上げられたのを感じる。ざわつきが大きくなると、ツバキは強く抱きしめられたのを感じた。


 ゆっくりに感じるときの中で、ツバキは考える。どうしてサヨは今ここで魔法少女の力を振るわないのか……と。


 今ここで魔法少女に変身し、圧倒的な力で男をねじ伏せようとも、きっと誰も何も言わないだろう。賞賛の声すら上がるかもしれない。そんな思考の中で、ツバキは思い出す。…やることは一つ。ここを守る。ここにいる人たちを守る。


 サヨが戦う理由はここに生きる人を守るため、どんな外道もその例外には漏れないのだろう。


 だったら……この人は誰が守るんだろう。


 ツバキを抱きしめる体には筋肉がほとんどない。柔らかく母性のようなものすら感じるぬくもりが、果てしなくツバキを包んでいる。


 今にも壊れそうなこの人を守るのは……。


(みんなを守る事なんて、僕にはきっとできない。それでも)


「ッ!」


 サヨを突き飛ばして、ツバキは大きく両手を広げた。殴られるのは自分。それでいい


(サヨちゃんは僕を、みんなを守ってくれる、そんな彼を。僕は守る……!)


 冴えた思考の中で、移る視界はゆっくり動く、拳が迫ってくる。目を閉じた。乾いた音が、あたりに響いた……。




 鈍い痛みはいつまでたってもやってこない。ツバキは恐る恐る目を開けた。


「俺のツレになぁにしてくれてるんだッ!」


 拳を、筋肉質な腕が受け止める、息を荒くして、乱れた髪の毛の奥から鋭い瞳を相手に向ける。


「イグっ! てめぇ……!」


「レイジぃ!」


「何やってんだ馬鹿どもが、ちゃんと助け呼べよ」


 拳を強く受け止めたままのレイジがサヨの方を見て笑った。


「ツバキ、大丈夫だったか?」


「ぁ……う、うん」


「ぶっ飛ばしてやる!」


「警備員さんこっちです!」


 男がもう片方の手を振り上げた。しかし更なる声にハッとした。走る音が近づいてくる、周りの視線が痛い。


「クソ! 覚えてろ!」


 男が走り去っていく。一度大きくこけて男から完全にその場から消えると一呼吸おいて歓声が上がった。


「マジ助かったぜレイジ……ぶっちゃけ終わったと思った」


「アブねぇことするなよな。サヨ……ツバキもな! おまえちょっとサヨに似てるんじゃねぇの? あそこであんな事するか?」


「そ、それは……」


「そうだ、気をつけろよ?」


「あなたが言わないでくださいよ……」


 走る音が落ち着いて、ユキムラが後ろからサヨの肩をたたいた。


「あれ? 一人か? さっき警備員とか言ってなかった?」


「はったりに決まっているでしょう」


 ユキムラがあっけらかんと言い放った。


「……」


 結局何もできなかったな。と、そう思うとツバキの目には三人がとてつもなく明るく見えた。


 きっと自分はこの三人に追いつけない。それぞれの在り方で三人が輝いていて、それに対して自分はただ追い詰められてそのけじめを自分でつけようとして失敗しただけだ。俯き、胸に触れる……。ツバキは……


「ツバキ、ありがとな」


 ツバキの頭を、細い手が撫でた。


 頭を通しても温かくって、撫でられるとくすぐったい。


 顔を上げるとそこではサヨが眩しい笑顔を向けていた。


「かばってくれようとしてくれて。すげぇ嬉しかった」


「でも、僕は結局何も……」


「したじゃないですか。ああやってかばおうとした。その心が何よりも美しいんですよ」


 今度はユキムラがそう言って笑った。


「そうだ。そもそも、一部始終を見ている限り喧嘩を売ったのはサヨだったしな」


「あそこで切れなきゃ男じゃねぇよ」


「……その格好でいうこと?」


 ツバキが首をかしげるとサヨが笑った。それを見て、ユキムラがレイジが笑った、それにつられてツバキも笑った。四人はしばらく一緒に笑っていた。


 その中でツバキは思う。


(僕が守るのは、きっと大きなものじゃない、僕が守るのはサヨちゃんで、レイジくんで、ユキムラくんで……きっと僕の初めての友達を守るために、僕は戦う力を手に入れたんだ)




 思いを胸に、ツバキは胸にある気持ちに友情という名前を付けた……。


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