16話

 史岐のコーヒーはハンド・ドリップ。硝子のポットにフィルタをセットして作る。豆の種類によってはミルで挽く所から始めるので、出来上がるまでには、いつも、少し待つのが普通だった。

 前にここへ来た時に読んだ長編ミステリがあったので、続きを開いてみたが、いまいち頭が回っていない感じがして、四ページも読まないうちにマグカップが運ばれてくる。

「コーヒーを淹れていると、色々、思い出す」利玖の向かいに座りながら史岐が言う。「えっと……、そう、《とほつみの道》だっけ。利玖ちゃんは知らないよね?」

「はい。初耳です」利玖は頷いた。「ヒトと妖が交渉をする場のようなものかな、という印象は受けましたが」

「うん、ほぼ、それで合っている」史岐はコーヒーを一口飲む。「じゃあ、たくみさんも、何も教えていないんだ」

 利玖は再び頷いた。

 佐倉川匠は、五つ年が離れた利玖の兄で、潟杜大学理学部の博士課程に在籍している。植物生態学を主とする研究者であり、同時に、世間一般では公にその存在を認められていないもの、つまり、妖、化生けしょう、神々、そういった呼び方をされるモノ達に対して、ある程度の知識を持ち、礼儀をわきまえた、佐倉川家の嫡子でもある。

「たぶん、わたしには関わってほしくないと判断したのでしょう。だから存在を伏せているのだ思います」

「そうだね」史岐は顔の前で、両手の指を合わせて目を瞑った。「僕だって、出来れば行ってほしくない」

「呼ばれているのはわたしです」

「そうなんだよなあ」史岐は顔をしかめて天井を見上げた。

「何か、危険があるのですか?」

「いや、《とほつみの道》自体は安全だよ。武器を持ち込む事も、呪術のたぐいで傷をつける事も厳しく禁じられている。超人的な力を持つ土地神や神使しんし、妖達と、ヒトが対等に話し合う為の手段として生み出されたものだからね」

「しかし、それが確約されているのは、あくまで《とほつみの道》の中だけ、と……」利玖は呟く。史岐の言いたい事が、何となくわかってきた。

「そう。中で話し合われた事の、その後の穏便な幕引きまでは、《とほつみの道》は保証しない。話だけでも聞いてやろう、と赴いて、自分の手には余る事態だとわかっても、相手がすぐに諦めてくれるとは限らない」

「それって、気軽に使えるものなのですか?」利玖は質問する。「えっと、つまり、柏名山のヌシが《とほつみの道》という手段を示してきた事が、どのくらいの先方の必死さを表しているのか、という意味ですが」

「うーん」史岐は唸る。

「ああ、真剣なんですね」利玖は顎を引いた。「そうか、困ったな……」

「あと、もう一つ障害がある」史岐が指を一本立てた。

「《とほつみの道》は使える人間が決まっているんだ。僕の家系だと、ちょっと伝手つてがない。匠さんに訊いてみても良いけれど……」

「やめておきましょう」利玖は即答する。「こじれます」

「同意見」史岐は、本人に聞かれるかもしれない、と危惧でもしているような抑えた声で言うと、溜息をついてベッドの縁に手をかけ、体をひねって灰色に煙る窓を見上げた。

「となると、あとは槻本つきもと家か」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る