第28話 楽しかった思い出


 文化祭二日目。俺は柴崎さんを中庭に呼び出した。花の香りにくるまれながら頭を下げる。


「今まで苦しい思いをさせてごめん」


 歩行スペースの地面を見詰める。その状態からでも柴崎さんの慌てようが見て取れた。


「あ、頭を上げてください! 萩原さんが謝ることはないですよ!」


 俺は顔を上げる。


 困惑した視線と目が合った。鮮やかなピンクのくちびるがふっと浅い曲線を描く。


「答えを、出したんですね」

「ああ。俺は、柴崎さんに謝らないといけない」


 繊細な指がスカートをぎゅっと握る。口元が引き結ばれて、ラインの綺麗なあごが引かれる。


「いいんです、何となくこうなる気がしてました。物語における悪女の末路なんて相場が決まってますから」


 揺れた声が鼓膜を震わせて、胸の奥がチクリと痛んだ。


 臆しそうになる自分を鼓舞し、意を決して口を開く。


「柴崎さんのことは嫌いじゃない。でも今の俺は自分の気持ちすらよく分からないんだ。相手をちゃんと見るためにも、自分と向き合う時間が欲しいと思ってる。だから、ごめん」

「そう、ですか。分かりました」


 絞り出したような声に遅れて柴崎さんが口角を上げる。


 今にも滴がこぼれ落ちそうな目のうるみ。反射的に目を逸らしそうになる。


 その衝動は男の矜持きょうじで抑え込んだ。


 柴崎さんをキープしておきたい欲求はあるけど、その選択はお互いのためにならない。分かり切っているからこそ、この場できちんと別れを告げておく必要がある。


「それなら、待っていてもいいですか?」

「え?」


 頓狂とんきょうな言葉が口を突いた。


 柴崎さんが悪戯っぽく微笑む。


「嫌いじゃないってことは、私にもまだチャンスはあるってことですよね?」

「それはそうだけど、いいのか? 最終的には別の人を選ぶかもしれないのに」

「よくないですよ」


 言葉に詰まった。


 そりゃそうだと思ったけど、急にはしごを外されたような気分になった。


「何で困惑しているんですか? 当たり前じゃないですか。待たされる身にもなってください」


 柴崎さんが小さく頬を膨らませる。


 可愛い。


 可愛いけど、今の流れで突き放されるとどうすればいいか分からない。


「いや分かるよ? 柴崎さんの言いたいことは分かるんだけど、面と向かって言われると正直反応に困るというか」

「萩原さんはもっと困るべきだと思います。悩んで、悩み抜いて、もし気が向いたら、その時はまた一緒に出かけましょう」


 端正な顔立ちに微笑が戻った。邪気のない笑みを前に、俺はふっと口元を緩める。


「ああ、そうだな」


 その機会が訪れた時、俺たちの関係はどうなっているか分からない。今とは違う形に収まっているかもしれない。


 それでも柴崎さんとなら上手くやっていける。そんな確信があった。


「約束しましたよ。あんまり待たされると、萩原さんより良い人を見つけちゃいますからね」

「ああ。胸に刻んでおくよ」


 俺は苦笑いで応じてクラスに戻った。クラスの一員としてやるべきことに専念し、一人でも多くのお客さんに劇を楽しんでもらえるように尽力した。


 本日最後の公演がつつがなく終了した。実行委員の一員として客の誘導を行い、エンディングセレモニーを終わりまで導いた。


 教室に戻るなりクラスメイトに呼びかけて、教室内の内装を元に戻した。

 

 ホームルームが始まる前にスマートフォンの液晶画面をタップする。


 心に抱えていることはたくさんある。学校やカフェで吐き出せるような内容じゃない。


 明日は文化祭の振り替え休日。アプリの入力欄に文字列を並べて、燈香にデートの予定を持ちかけた。


 了承の返事が返ってきた。担任による締めのあいさつを経て廊下にはける。文実委員の仕事を終えて帰途に就いた。


 玄関に踏み入ってドアで外気を遮断した。自室に通学カバンを置いて衣服やポーチの具合を確認する。妹のひやかしを適当に受け流してその日は床に就いた。


 振り替え休日の朝は晴天だった。


 俺はからっとした気分で私服に袖を通した。妹のいじりを華麗にあしらって洗顔を済ませ、水だけ口に含んで外気に触れる。


 燈香とは最寄りのカフェで合流した。文化祭での催しをさかなに、朝食代わりのパンとラテで空っぽの胃を満たした。


 今日回る場所は決めてある。映画館や水族館、バッティングセンターやボーリング。以前燈香とデートした場所に片っ端から足を運ぶ。


 施設に踏み入るたびに、二人で楽しんだ時のことが脳裏に浮かんだ。


 緊張して言葉に詰まったこと。意を決して燈香のやわらかな手を握ったこと。初々しい思い出話に花を咲かせて歩を進めた。


 青く澄んでいた天然の天井は、いつの間にかオレンジに喰われつつある。


 俺は燈香と記念撮影してゴンドラ内部に靴裏を付けた。


 伸びたドアがゴンドラ内部と外を隔てた。冷房の効いた乗り物が地面を離れて樹木の高さを超える。


 窓越しに駐車場やビル群が顔を出した。バックに広がるのは憂いの色を帯びた空模様。見ているだけで言いようのない哀愁に囚われる。


「綺麗だね」

「ああ。あの時と同じだ」


 初めてのデートもここで締めくくった。何か気の利いたことを言おうとてんぱっていたら、突然隣に座られて何が何だか分からなくなったっけ。


 正面にいた燈香が隣に移った。


「今日はあの時とは違うね」


 悪戯っぽい微笑みに覗き込まれた。やわらかな甘い香りに鼻腔をくすぐられる。


「さすがに長い時間一緒にいたしな。これくらいじゃもう動揺しないよ」


 そう何度も頭の中を真っ白にされてはたまらない。意図せず左胸の鼓動が早まったことは墓の下まで持って行こう。


 続けるべき言葉は浮かばない。


 ここに来れば、自然と放つべき言葉が口を突くと思っていた。情緒あふれる黄昏を目にしても思いの丈はあふれ出ない。


 ここじゃないのだろう。俺たちが踏み出すべき場所は別にあるんだ。


「燈香、最後にもう一か所寄っていいか?」

「いいよ。私もちょうど同じこと言おうと思ってた。場所当ててあげようか?」

風情ふぜいがなくなるからやめてくれ」


 苦笑を交わして窓の向こう側を眺める。 

 

 次にドアが開くまで、俺たちは一言も交わさなかった。

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