第27話 諦めきれねえんだよ!


 俺たちは何を話し合うこともなく解散した。


 俺と燈香。互いに二股をかけていた。怒りよりも罪悪感とショックが勝って、三人に何を語りかければいいか分からなかった。燈香のお腹が鳴らなければ、今も中庭に突っ立っていたかもしれない。


 時刻はすでに十五時を回っている。多くの生徒が分担して校舎内の清掃を行う。各所にゴミ箱が用意されているものの、ゴミをゴミ箱に捨てる発想ができない人は一定数いる。掃除をしておかないと二日目の文化祭に差し障る。


 校舎を汚したのは一日目に訪れた客。


 そんなことは、二日目に初めて訪れた客には関係ない。察してくれる人もいるだろうけど、大半は生徒の素行が悪いという結論を出す。学校の評判が悪くなるのは、学校の運営者や大学受験を控える三年生も望むところじゃない。


 二年生の俺たちも来年は我が身だ。土や樹木の芳香に包まれながら中庭を巡る。空き缶やソースで汚れた容器を見つけては、ゴミばさみで挟んでゴミ袋へと放る。


「萩原、秋村とのデートどうだった?」


 丸田がゴミ袋をまとめる。


 表情は微笑。例の件は耳に入っていないことがうかがえる。俺たちの事情を知るのは四人のみ。言いふらすような口の軽い人はいなかったようだ。


 俺は顔に微笑みを貼り付ける。


「特別なことは何もなかったよ。模擬店を回って見世物を見ただけだ」

「せっかくの文化祭なのにもったいねーな」

「楽しみ方は人それぞれさ」

「彼女持ちの余裕ってやつか。うぜー」


 丸田がげんなりした。自分から話を振っておいて、その態度は色々と理不尽な気がする。


 でも第一公演の鑑賞に協力してくれたし、二股をかけた罪悪感もある。丸田を無碍に扱うのはためらわれる。


 丸田が両腕でゴミ袋を持ち上げた。


「ゴミ袋捨ててくるけど萩原はどうする?」

「中庭を一巡してから教室に戻るよ。細かいのが落ちてるかもしれないからな」

「そうか。んじゃまた教室でな」

「ああ」


 丸田の背中が廊下に消えた。


 俺は一人中庭の歩行スペースを歩く。


 目につく所にゴミは見当たらない。丸田と手分けして辺り一帯を歩き回ったんだ。落ちているとすれば茂みや樹木の陰くらいか。


 外履きで土に靴跡を刻み、人目につかないポイントを一つ一つ確認する。


 とある茂みに歩み寄ったのを機に、自由時間の光景が脳裏をよぎる。


 燈香は俺と同じく二股をかけていた。人目のないこの場所で、浮谷さんとくちびるを重ねようとしていた。


 胸の中がもやもやする。


 俺だって柴崎さんとデートを重ねた。実行委員の任を解かれた暁には、燈香に別れ話を切り出すつもりでいた。


 浮谷さんに奪われそうになって、今さら燈香が惜しくなったとでもいうのか。俺はいつからこんな勝手な人間になったのだろう。


「萩原」


 反射的に振り返る。


 歩行スペースに立っていたのは、一度は共に遊んだ男子だった。ある意味恋敵とも言える相手がいつになく真剣な眼差しを向けている。


「浮谷さん。どうしてここに?」


 問いかけて視線を逸らす。平静を装ってはみたけど浮谷さんの目を見れない。自分の中に巣くうのが罪悪感なのか、それとも別の何かなのか、自分でも理解しかねている。


 浮谷さんも口を開かない。気まずい静寂に精神が締め付けられる。


「俺、ゴミ探しの最中だから」


 口が逃げの言葉を紡ぎ上げた。これ幸いと靴裏が浮き上がる。


「俺さ、萩原のこと嫌いだったんだわ」


 予想しない言葉に足を止めた。


 俺が浮谷さんと面と向かって話したのは、海水浴場で遊んだ日が初めてだ。その時でさえろくに話もしなかった。浮谷さんに嫌われるようなことをした覚えはない。


 俺が呆ける間に浮谷さんが言葉を続ける。


「俺ほど背が高くない、運動も俺よりできない、華やかってわけじゃないし、クラスメイトからの人気もない。なのに秋村さんから選ばれた。そんな萩原がねたましくて仕方なかった。だから、嫌いだ」

「ああ、なるほどな」


 思わず苦笑した。


 燈香は入学当時から人気があった。彼氏になった俺が、多くの男子からいい目で見られていないことも知っていた。


 それでも面と向かって嫌いと言われたのは今日が初めてだ。小説で類似した展開を目にしたことはあるけど、リアルの同級生に言われると中々心にくるものがある。


「言いたいことは分かったけど、わざわざそれを言いに来たのか?」


 浮谷さんが肩をすくめた。


「そんなわけないだろ。お前、ナンパに追われる秋村さんを見て駆け付けたって言ったよな」

「ああ」


 柴崎さんと廊下を歩いていた時だ。何となく燈香の姿を探して視線を散らせたところ、窓ガラスの向こう側で髪をたなびかせる燈香を見た。


 演劇のスケジュールから逆算して、燈香が制服姿で走る理由が分からなかった。午後の公演が中止になった話を聞いて納得したけど、人生何があるか分からないものだ。


「正直なところを教えてくれ。あの言葉は本当なのか?」

「本当だよ。燈香がナンパ師に追われてたから合流を図った。嘘だと思うなら柴崎さんにでも聞けばいい」

「別に疑ってるわけじゃない。ただ、その話を聞いて一年生の頃を思い出したんだ。お前が道に迷った設定でナンパに泣きついたって話。覚えてるだろ?」

「ああ、覚えてるよ」


 忘れるわけがない。勇気を出して憧れの女の子を助けたと思ったら、休日明けの教室で笑い者にされていた。泣いたふりをしただけだと弁解しても全く信じてもらえなかった。燈香に誤解されていたらどうしようかと気が気じゃなかったのを覚えている。


「実はさ、俺秋村さんが頭を下げるところを見てたんだよ」

「話を広めた女子が謝罪に来た時のことを言ってるのか?」

「ああ。悪いと思ったけど話の内容も聞いた。ナンパ師に泣きついたのは秋村さんを逃がすための演技だった。それを聞いた時は、だから何だ? としか思わなかった。俺ならそんな情けないことをせずに、ヒーローみたいにバシッと燈香さんを助け出したのにってな」


 確かに、浮谷さんならできたかもしれない。


 彼は水泳部だ。空手や柔道と比べれば格闘向きじゃないけど、水は空気と違って抵抗が強い。速く泳ぐには筋肉を付ける必要がある。腕っぷしは俺の比じゃないだろう。


 俺が可能性を推測した次の瞬間には、浮谷さんの視線が歩行スペースの地面に落ちた。


「でもさ、今日ナンパの現場を目の当たりにして分かったよ。相手は二人だし俺よりも体格が良かった。暴力沙汰になると部活に差し支えるとか、停学になるかもしれないとか色々考えたけど、結局それは動かないための言い訳でさ。単純にすげー怖くて動けなかったんだ。秋村さんには足を引っかけたって嘘付いたけど、本当はあいつらが他の客にぶつかって自爆しただけなんだよ」


 俺は眉を跳ねさせる。


「もしかして、搬送されたのはあの二人組だったのか?」


 浮谷さんの頷きがあった。


 中庭で燈香たちと解散した後で、学校に救急車が来ていたことを耳にした。客と客がぶつかって熱々のコーヒーが男性に掛かったらしい。その男性は火傷で搬送され、もう一人の男性が付き添いで救急車に乗った。


 まさか泣き叫んだのがナンパ師だったとは。不運と言うべきか、自業自得と言うべきか。


「あいつらに関しちゃ別にいい。人が嫌がることをネチっこく続けてたんだ。きっと罰が当たったんだよ。でも分際ぶんざいを知るって言うのかな。俺が萩原に劣ってることを自覚したら、俺の中で何かが崩れ去る気がしてさ。焦って秋村さんに迫っちまった」

「それで茂みのアレか」


 意図せず眉間に力がこもった。


 単純な好意で燈香に迫ったならともかく、自身の優越性を証明するためにくちびるを奪おうとしたなら話は別だ。


 俺は浮気をした分際だけど、燈香は恋人である前に一人の友人。同じ男性としてその身勝手な行動には思うところがある。


 浮谷さんが手をかざす。


「勘違いすんなよ。俺と秋村さんの名誉にかけて打ち明けるけど、あれはやる前に拒絶されたんだ。たぶん、お前に未練があるんだと思う」


 左胸の奧がトクンと鼓動を打った。


 燈香への未練。それが、俺の中にあるもやもやの正体なのだろうか。


 答えを見つける前に浮谷さんが言葉を募らせる。


「もう俺の方が上だなんて自惚うぬぼれない。秋村さんがお前を選ぶならそれも仕方ないって納得する。秋村さんって女がいながら二股掛けてたのは気に食わねえけど、それは俺たちもだから文句は言わねえ。でもさ、今の冷め切った関係を続けるのだけはやめてくれねえか? あんな隙だらけな空気を出されたら、俺と柴崎さんだって諦めきれねえんだよ!」


 悲痛な声が静寂をかき乱した。俺は微かな驚愕とともに目を見張る。


 考えもしなかった。俺と燈香のことで、他の誰かが苦しんでいるだなんて。


 浮谷さんや柴崎さんだけじゃない。俺が鈍かっただけで、これまでも多くの人の心情をかき乱してきたに違いない。


「ごめん」


 俺は目を伏せる。


 一言、そう返すのが精一杯だった。


「……最後に、これだけは言っておく」


 恨み事でも言われるかと思って身構える。


 浮谷さんが勢いよく頭を下げた。


「お前の女に手を出して悪かった。謝る」


 浮谷さんが一礼を残して背を向けた。歩行スペースの地面を踏み鳴らして大きな背中が廊下に消える。


 直感があった。きっとどこかで、燈香と柴崎さんも似たやり取りを交わしている。心に秘めていたことを、ずっと考えてきたことを、罪悪感や嫉妬とともに吐き出しているのだろう。


 いい加減、俺たちも答えを出さなきゃいけない。それがせめてもの責任だ。

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