第23話 王子とイカロス
演劇の受付が始まった。廊下で待機していた一般客が教室という名の劇場になだれ込む。
奇妙な感傷が込み上げた。気恥ずかしいような、よそ者に立ち入られて悲しいような、自分でもよく分からない心持ち。愛着のある道具を他者に使われた感覚、という表現が一番近いだろうか。
すすられる麺のごとく、客の列が見る見るうちに入り口へと飲み込まれる。内側から指示が飛び、満員と記したホワイトボードを机の上に立てた。
「萩原、劇見てこいよ」
丸田が親指を立てて教室を指し示した。
「見てこいも何も、俺は受付を任されてるんだが」
告げて気付いた。受付いるか? 二人も。
受付は満員であることと、次の開演がいつになるかを客に告げるだけの役職だ。一人いれば十分だろう。
「まさか、わざわざそれを言うために受付を請け負ったのか?」
「やだ嘘、モロバレ? はずかちぃ」
丸田が両手で顔を覆う。じーっと手の甲を見つめると、左腕が教室の入り口を指し示す。
「早く行けよ! 始まるだろ!」
本当に照れていたのか声の調子が乱れた。
意図せず口元が緩んだ。彼氏として彼女の晴れ舞台は見たいはず。そんな心遣いをしてくれた友人が誇らしい。
素直に誉めるのも気恥ずかしい。俺は椅子から腰を上げて背を向ける。
「ありがとう。今のお前、最高にケチャップライスおにぎりだぜ!」
「意味分かんねえよ!」
お礼代わりに愛あるいじりをぶつけて教室に踏み入る。
女子にいぶかしむ視線が向けられた。受付は丸田がやる旨を告げて室内の暗闇に同化する。
日光を通す窓ガラスは垂れ下がった暗幕に覆い隠されている。人工的な暗がりの中、スポットライトが壇の上に降り注いだ。
シンデレラ。
和名は『灰かぶり姫』。世界的に知られた作品であり、オペラやバレエの題材としても使われる。
日本ではシャルル・ペローが書いたサンドリヨンが有名だ。父の再婚相手とその娘たちにいじめられていたヒロインが、王子に見初められて物語はハッピーエンドを迎える。心根のいい人は報われるのだと、観客にそんな人生観を植え付ける。
その一方で、サンドリヨンが貴族の娘であることはあまり知られていない。
魔法を使う
一見夢や希望にあふれているように見えて、実際は残酷な現実を見せ付けてくる。この二面性が大人にも愛される秘訣かもしれない。
十二時の鐘が鳴った。ドレスをまとった女子が身をひるがえして、王子役の燈香が腕を伸ばす。
待つように願う声があった。名を問う声があった。
だがシンデレラは待たない。ドレスの表面を波打たせて垂れ幕へと走り去った。
物語のヒロインなんてどうでもいい。物語の王子と一体化したような燈香の動きに、俺はただただ釘付けになった。
演劇部でもないのにこの完成度。実行委員の仕事と並行して劇の練習を積んでいたに違いない。一体どれだけの時間を費やしたのか、演劇の経験がない俺には想像もつかない。
「綺麗、だな」
口からつぶやきがこぼれた。気が付くと手を固く握りしめていた。
燈香の容姿が麗しいのは言うまでもない。妥協を許さず突き詰めた在り方も相まって、スポットライトを浴びる王子が太陽のようにまばゆく映る。
「……ああ、そうか」
腑に落ちた。
どうして忘れていたんだろう。俺はあの輝きに憧れていた。だから翼を繕って飛び立ち、イカロスのように羽ばたく途中で焼け落ちたんだ。
王子とシンデレラが結婚して物語は締めくくられた。
ペロー版シンデレラでは姉たちとの和解も綴られているが、劇の余韻を考えるとそれは蛇足になる。シンデレラと王子の再会で終わらせた方が賢明だ。
その判断は間違っていなかった。観客の全員が手の平を打ち鳴らす。室内が乾いた音で満たされて、シンデレラ第一回公演は幕を閉じた。
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