第9話 よく分からないもやもや


「行くよーっ」


 体の動きに釣られてダークブラウンの髪が揺れる。手で弾かれた球体が放物線を描き、付着していた海水を飛沫として振り落とす。


 両手を掲げる。


 親指と人差し指で作った三角にビニールボールを映し、放物線を描いて迫るそれ目掛けて指を突き出した。


 指に軽い感触を得た。軽い球体がふわっと浮き上がる。


 フッと気合を入れる音が聞こえた。華耶が体の向きを変えて細い腕をしならせる。


 乾いた音が鳴り響いた。跳ねたボールが海面に乗って波にたゆたう。


 坊主頭が振り返った。


「痛ったいな⁉ 何すんだよ!」

「あんたが人の浮き輪をナンパの道具にしてるからでしょ!」


 華耶が両手を腰に当てる。


 丸田が浮き輪を欲したのは数分前。華耶は快く貸したけど、何をするのかと思って視線で追ったら丸田がナンパを始めた。浮き輪でぷかぷかする女性に寄って、浮き輪をさかなに距離を詰めようと試みていた。


 華耶はダシにされたようで釈然としなかったのだろう。振られた丸田の後頭部にスパイクを打って今に至る。


「これお前のじゃなくね?」

「私が頼んだんだけど。そんなだからあんたモテないのよ」

「お、俺モテるし! 昨日だって声かけられたし!」

「ほんとかなぁ」


 嘘だろうね。指摘しても丸田は否定するだろうけど。


 ザバッと音がして振り向く。海面から大きな物がぬっと伸びて、私は思わず背筋を反らす。


 人だった。水泳帽をかぶった長身。がっしりした腕がゴーグルを持ち上げる。


「秋村さん、なーにしてんの?」


 声が陽気なリズムをとった。


 以前ナンパされた時のトラウマで身構えたけど、子供っぽさと爽やかさを兼ね備えた笑みが緊張を一気に解きほぐした。抱きかけた負の印象が落ち葉のごとく吹き散る。


「バレーボールしてるの」

「いいね。俺も混ぜてよ」

「駄目! 男は入るんじゃあないっ!」


 丸田が両腕でバッテンを作った。


 華耶が意地悪な笑みを浮かべる。


「こら、ボールに発言権はないぞー」

「ボールはそこ! 俺人間だから!」

「はいはい、嘘つきはみんなそう言うんだよねー」

「言わないでしょぉッ⁉」

「おーい俺も混ぜてー」

「駄目、混ぜん。俺は女の子がきゃっきゃうふふしてるのを見たいんだ」

「はいはい。燈香、おにぎりにスパイク打ってみない? 結構すっきりするよ?」

「本当? やる!」

「やるな! おにぎりってそれ絶対俺の頭だろ!」

「そんなことないよー」

「嘘付け!」


 友人の漫才を視界の隅に追いやって砂浜を見る。


 熱そうな砂の地面。パラソルの陰に敷かれたシートの上で、萩原と柴崎さんが笑みを交わす。


 柴崎さんの表情がお花のように綻ぶのもさることながら、敦も珍しく微笑んでいる。あんな表情久しぶりに見た。


 まぁ、別にいいんだけど。


「ほれ燈香、決めちゃえ!」


 意識を近くの友人に戻す。


 腰を落とした華耶がトスを上げた。


「やめるんだ!」


 丸田が腕を伸ばした。


 どうしてそうなったのだろう、丸田のお尻が浮き輪にすっぽりはまっている。脱出できないのか、揺れる水面の上であたふたする。


 全力で打っても所詮はただのビニールボール。威力なんててたかが知れる。


 私は背を逸らして腕を振りかぶる。


 よく分からないもやもやを手先に集めて、腕を鞭のごとくしならせた。

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