第6話 胸のドキッ
階段を経て地下の床に靴裏を付けた。水着で飾り付けられた店舗を見つけて靴先を向ける。
正直いらない。水着はビーチバッグの中に入っている。まだ数回しか脚を通してないのに新調するのは馬鹿馬鹿しい。
俺は形だけ店舗に踏み入り、いい商品が見つからなかった風を装って店の外に出た。
じっと待つのも時間の無駄と考えて適当にぶらつく。どうせ昼食はこの辺りで摂ることになる。店舗をリストアップしておけば予定の移行がスムーズだ。
「ん?」
ベンチに既知の姿があった。静謐とした雰囲気に眼鏡。品のある佇まいが着物姿を幻視させる。
繊細な手には一冊の本。物音を抑えてページをめくる様はまさに座れば
眼鏡越しの視線と目が合った。大きな目が丸みを帯びる。
「萩原さん? どうしてここにいるんですか?」
「あ、いや……」
足を止めなければよかった。
今さら後悔しても遅い。丸田たちは俺と燈香を二人きりにするために別行動を取った。彼らの認識では、俺たちは仲を深め合いながら水着を選ぶことになっていたはず。
燈香とは別行動中。はてさてどう言い訳したものか。
「……ちょっとお手洗いにね。ここは広いよな、迷っちゃいそうだよ」
告げた言葉は嘘だ。ここには何度も足を運んでいる。
下手に状況を明言すると矛盾を起こす。ボロを出すくらいならぼかして伝えた方がいい。
「ところで他の三人はどうしたんだ?」
流れるように問いかけへと移行した。
俺と柴崎さんは初対面だ。とにかく会話を繋げないと間が持たない。そんな心情を逆手に取って、質問攻めで話題を逸らす作戦だ。
「皆さんはどこかの店舗を回っていると思います」
「君は一緒に行かなかったのか?」
「最初は後ろについて回っていたんですが、ノリが合わなかったので離脱しちゃいました」
柴崎さんが冗談めかして小さく笑う。清楚な雰囲気とは裏腹に大胆な性格をしているらしい。
「後ろって言ったけど、横に並ばなかったのか?」
歩きながら会話をする時は、普通友人の左右に位置取るものだ。肩を並べて歩き去る人々もそうしている。
前と後ろでは、相手の顔を見る際に首を大きく動かす必要がある。首が疲れるし前も見えない。相手の視界にも入らないから自然と会話を振られる頻度は減少する。
人によっては、他者に迷惑を掛けると知りながらも
柴崎さんが目をぱちくりさせた。
「横に並んだら通行人の邪魔になりませんか?」
細い首が傾げられて、艶のある黒髪がさらっと流れる。
俺は小さく吹き出した。
「私、何かおかしなことを言いましたか?」
「いや、何もおかしくない。君は思慮深いんだなと思ってさ。とても好ましいよ」
街を見渡せば分かることだ。横並びの誘惑は大人でも逃れられないほどに凄まじい。
自分一人だけが後ろを歩き、談笑する友人達の背中を見る。大半の人間はあの疎外感に耐えられない。他者の邪魔になると無意識下では理解していても、気付かないフリをして横に並ぶ。ハブられるくらいなら道を塞ぐのだ、人間は。
にもかかわらず柴崎さんは、それを踏まえて丸田たちの後ろに付いた。自分が損をすることよりも、他者に迷惑を掛けないように立ち振舞った。それが思慮深くなくて何だというのか。
「好ましいなんて、始めて言われました」
柴崎さんが視線を逸らす。照れくさいのか、陶器のように白い頬が仄かに赤みを帯びた。
「始めては嘘じゃないか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって柴崎さんは」
綺麗だし。口を突きかけた歯が浮くようなセリフを呑み込む。
俺は頭を回転させて別の言い回しを言葉にする。
「その、男子が憧れそうだし」
何というか、柴崎さんは犯し難い雰囲気がある。ミステリアスガールという言い表しが一番しっくりくる様相だ。顔にあどけなさが残っていなければ気後れしていたに違いない。
「憧れ、ですか。萩原さんも私に憧れますか?」
「え?」
一瞬思考が漂白された。
ここは肯定すべきなのだろう。冗談を交えて笑みを交わすのは親交を深める常套手段だ。
しかしその対応を柴崎さんにするのは照れくさい。正統派美人みたいな外見だから誤魔化しが利かないというか、返事に困る。
柴崎さんがくすっと笑った。
「冗談ですよ。本気にしないでください」
「え、冗談だったの?」
「はい」
柴崎さんがふっと笑む。神秘的な美貌に子供っぽさが浮かんで、左胸の奧がドキッとした。
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