第2話 冷え切った仲
セミの鳴き声に混ざって運動部の掛け声が聞こえる。
窓の向こう側に視線を向けると、男女が土の地面を進んでいる。エネルギッシュな体を存分に振り回して、降り注ぐ光を余さず身に受けている。欠片の曇りもない部活模様。まさに青春だ。
俺はテーブルの天板にそっと肘を置く。
羨ましくなんてない。本のページをめくりながら、川にたゆたう落ち葉のごとく時の流れに身を委ねる。
視線で活字をなぞる作業に飽きて、そっと顔を上げる。
右斜め前にいるのは一人の少女だ。さらっとした明るい色の髪、長いまつ毛。陶器のような白い肌。告白を交わした時と変わらない容姿がそこにある。
初めて見た時のようなドキドキはない。かつては視界に入れるだけで心臓が踊ったものだけど最近は静かなものだ。驚くほど心に響かない。
「何?」
恋人の瞳と目が合った。
問いかけの声は水面のように平淡だ。まだクラスメイト相手の方が愛想にあふれている。特別扱いがこんなにも嬉しくないとは思わなかった。
俺は燈香の手元に視線を落とす。
「その本面白い?」
「別に」
返答は短い。そっけない。
燈香は元々読書をたしなむタイプじゃなかった。紙の本を手に取るようになったのは俺の影響を受けてからだ。恋愛小説で涙する燈香を見た時は胸の奥がぽかぽかしたのを覚えている。
「そっちはどうなの?」
「あんまり」
親指を抜いて本をパタンと言わせた。
椅子から腰を上げて棚の前を歩く。並んだ背表紙を視線でなぞる。
別の書物に腕を伸ばそうとした刹那、廊下の方で小突く音が連続した。ドアがガラリと音を立てて廊下の内装が露わになる。
「やぁ」
眼鏡に飾られた面持ちがあった。
俺は棚から視線を外す。後方で椅子の脚が床を擦った。
「いいよ、座ったままで」
手で座るように促されて椅子の上に腰を下ろす。視界の隅で、燈香も腰を下ろすのが見えた。
「湊先生。こんなところまでどうしたんですか?」
「どうしたはないだろう、もうすぐ期限だぞ。部員は集まりそうなのか?」
「いえ。まだ二人のままです」
俺と燈香は文芸部の再興を掲げて部員集めをしている――ということになっている。
発端は燈香との関係が良かった頃だ。何を血迷ったのか、二人きりの時間を増やすために文芸部の再興を掲げた。
俺たちの同行会には顧問がいない。規則で翌週の月曜日には解散となる。
湊先生は、俺たちが部員を集めたら顧問になると言った。先生は結構乗り気だっただけに、騙したようで申し訳ない気分になる。部員勧誘をしてなかったことは墓場まで持って行こう。
「まだ期限はある。こっちでも可能性のある生徒に声を掛けてみるから、最後まで諦めるんじゃないぞ?」
「ありがとうございます」
湊先生が背を向ける。
室内と廊下が一枚のドアで隔たれた。
部活の顧問なんて一利なしと聞くのに、湊先生は何かと俺たちを気にかけてくれる。本当にいい先生だ。
だからこそ、この同好会は終わりにしなければならない。
この部屋は燈香と二人で過ごす意図で確保した。恋人関係の維持すら危うい今となっては、無理をして同好会を存続させる意味もない。
俺は振り向いてブラウンの瞳を見据える。
「燈香」
名前呼び。
付き合い始めた当初は、口にするたびに胸の奥が温かくなった。
こうして呼びかけてもやはり心は動かない。浮き上がるような心持ちは思い出の彼方に消えた。
哀愁の欠片もなく言葉を続ける。
「この同好会は終わらせる。それでいいな?」
「いいよ。ここに愛着があるわけじゃないし」
二つ返事の了承で解散が決まった。
すぐにでも帰宅したいところだけど他の部は活動中だ。声かけして待機している名目があるし、湊先生への義理立てもある。早々に切り上げて帰宅するのはためらわれる。
読書は飽きた。
かといって燈香と雑談するのも億劫だ。完全下校時間までは来週の予習に手を付けよう。
通学カバンに腕を突っ込み、教科書を引き抜いてテーブルの上に広げる。
同じタイミングで燈香の教科書がテーブルの天板を鳴らした。互いに同じことをして妙な気まずさが漂う。
ダンッ! と大きな音が鳴り響いた。俺の口から変な声がもれる。
燈香が「ひゃっ」と声を上げた。久しぶりに聞いた可愛らしい悲鳴に思わず視線を振ると、微かに赤らんだ顔がむっとした。
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