第4話:密談

 檜垣屋の茶庵は本屋敷や客殿とは離れた裏庭の奥ある。

 高価な錦鯉が悠然と回遊する池のある、品の良さを感じさせる山水の一角に、茶庵は建てられている。


 檀家衆でお茶の心得の有る者が望めば、少なくとも担当手代が亭主となってお茶を点ててくれる。

 

 特別な檀家が望めば、茶道に嗜みの有る番頭、時間が許せば当主自らがお茶お点ててくれるのだが、今日は従五位上の官位を持つ祖父が茶を点ててくれていた。


「ゆう、良い勉強になったかい」


「はい、自分がまだ幼く、不出来なのがよく分かりました」


「それが自覚できるなら十分だよ。

 では、今回の件について話しておこう」


「はい、宜しくお願いします」


 全ての説明を祖父の檜垣常央がする。

 檜垣屋の当主を務める富徳は黙って横に座っているだけだった。


「どうやら今回の件は、癩病で苦しむ者達に対する思いやりが原因らしい」


「思い遣りですか」


「ああ、家族に四国八十八ケ所や肥後本妙寺に詣でるようにと追い出された者達は、途中で生き倒れて死ぬか、乞食となって生きるしかなかった」


「その話は私も聞いた事があります」


「誰かが、どうせ乞食になるのなら、伊勢乞食と言う言葉まであるくらい、乞食が暮らしやすい伊勢神宮に向かわせた方が良いと、心有る者が考えたようだ」


「こういう言い方は身勝手かもしれませんが、他所から来た者を乞食として受け入れる事は絶対にできません。

 それが例え癩病で苦しむ者達であってもです。

 伊勢神宮で穢れを払うためには、神宮に直結する拝田衆と牛谷衆に施しを与えなければなりません。

 拝田衆と牛谷衆は、元々近江大津の由緒ある三井寺別院近松寺お抱えのささら説教師です。

 彼らでなければ、本当の禊はできません」


 まだ若いゆうは、表向きの理想しか分かっていなかった。

 近松寺が非人仕事を受けずに説教師として生きろと命じたのに、楽に豊かになれる非人仕事を選んだ裏事情を知らなかった。


「ゆうに説明されなくても分かっているよ」


「申し訳ありません」


 釈迦に説法のような事をしてしまったゆうは真っ赤になった。

 知らず知らずに、知っている事をひけらかしてしまうような言動も、ゆうの若さ幼さを物語っていた。


「話を戻すが、お伊勢参りの姿をした者を追い払う訳にはいかない。

 それが宿に泊まらず宮川で野宿する者でもだ」


「奉行所からお達しの有った、拝田衆と牛谷衆を装った乞食が、檀家の方々が撒かれる浄財だけでなく、お伊勢参りに来られた方々が撒かれる浄財まで拾う問題ですね」


「そうだ、檀家衆はもちろん、急に思い立ってお伊勢参りに来られた方々には、神領の非人と流れてきた乞食の違いなど分からない」


「ですがお爺様、神領の者達は首から名札を下げる事になったのではありませんか」


「その事を知っているのは神領の者達だけで、檀家衆も伊勢参りの方々も知らない」


「名札を持たない乞食は奉行所で取り締まってくださるのではありませんか」


「物乞いをする直前まで、貧にやつれても伊勢参りをしようとする信心深い者か、他所から流れてきた乞食の区別がつかん。

 物乞いを始めるのを見て初めて捕らえる事ができるのだが、近くの奉行所の手の者がいる時は物乞いをしないのだ」


「奉行所の人手が足らないと言う話は私も聞いています」


「小林殿からか」


「あ、え、はい、宿の様子を心配して来てくださったときに……」


「ゆう、お前の気持ちは知っている。

 だが、檜垣屋は、檜垣河内家の流れを汲み、従五位上権禰宜の官職を持つ由緒ある檜垣右京家なのだ。

 ゆうはその檜垣右京家の跡継ぎ娘なのだぞ。

 不浄役人の子供を養嗣子に迎える訳にはいかん。

 御本家も気にしてくださっている」


「大叔父様の事は大番頭さんから聞きました。

 お爺様の顔を潰してしまって申しわけありません」


 ゆうは心から申し訳なく思った。

 祖父は本家当主を務める度会常之の庶兄なのだ。


 弟が夭折するか、跡継ぎが生まれなかった時は、祖父か父が檜垣河内家を継ぐことになっていたのだ。


 大叔父が元気に育ち、跡を継ぐ嫡男が生まれたのを機に、檜垣河内家を出て分家である檜垣右京家を立て、檜垣屋をここまで大きくしたのだ。


 檜垣河内家を継げなかった祖父の内心が複雑だろう事は、まだ若いゆうにも十分理解できた。


「ゆうはとても可愛い孫娘だ、家柄だけで婿を選んだりはしない。

 無能な者や性根の腐った奴は絶対に選ばない。

 ゆうを幸せにしてくれる、優しく有能な者を選んでやる。

 だからあの者の事は忘れるのだ」


「……」

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